第23話 もう一度、立つ理由
——王都守備隊本部・医療区画
白い天井が、ゆっくりと視界に浮かび上がった。
規則正しい呼吸音。
どこかで水滴が落ちる小さな音。
そして、薬品のかすかな匂い。
戦場とはまるで違う、整えられた静寂だった。
「……」
怜は小さく瞬きをした。
身体が重い。
腕も脚も、他人のもののようだった。
胸の奥が、妙に空虚で——冷たい。
何かを使い切った感覚。
ゆっくりと息を吐く。
「目が覚めましたか」
静かな声がした。
視線を横に向けると、セラが椅子に座っていた。
記録板を手に、落ち着いた表情でこちらを見ている。
「ここは……」
「医療区画です」
短く、簡潔な答え。
「三時間ほど意識を失っていました」
怜は小さく頷いた。
記憶が戻る。
地下区画。
異様な圧力。
そして——
風神。
刃を振るった瞬間。
身体の奥から、何かが一気に引き抜かれた感覚。
「……魔力」
声がかすれる。
「切れました」
自分で言った。
セラは頷いた。
「典型的な魔力枯渇です。
生命に危険はありませんが、しばらく安静が必要です」
責める調子ではない。
だが、慰めでもなかった。
その時だった。
廊下から、重い足音が近づいてきた。
迷いのない歩き方。
戦場を知る者の足取り。
扉が開いた。
入ってきたのは——ブリギットだった。
戦闘装備のまま。
外套の端には乾いた血の跡。
その姿は、今も戦場の延長にいるようだった。
「起きたか」
低く、短い声。
セラが報告する。
「意識回復。
生命兆候、安定しています」
ブリギットは頷いた。
そして、怜を見た。
ただ、見ている。
感情を交えず。
判断するように。
「報告は受けている」
静かな声。
「執行者が出現した」
一拍。
「そしてお前は、魔力を使い切って倒れた」
事実だけを並べる。
怜は頷いた。
「……はい」
短い返答。
沈黙。
重い空気。
やがて、ブリギットは言った。
「帰還できたのは結果に過ぎない」
声がわずかに低くなる。
「魔力枯渇は戦場では、致命的な失態だ」
断言だった。
逃げ場のない現実。
怜の胸が締め付けられる。
「敵が退かなければ」
一拍。
「お前は死んでいた」
静かな声。
だが、重かった。
ブリギットは腕を組んだ。
「力を持つ者ほど、管理を誤るな」
短く言う。
「銘を持つレガリアなら、なおさらだ」
怜は視線を落とした。
拳を握る。
(私は……)
守るために来たのに。
守るどころか。
倒れた。
それが現実だった。
ブリギットはそれ以上言わなかった。
言葉はもう十分だったからだ。
踵を返し、扉へ向かう。
その時。
別の足音が近づいてきた。
軽い。
だが、躊躇がない。
扉が開いた。
「お、起きてるじゃん」
明るい声だった。
空気が少しだけ緩む。
入ってきたのは——マーラだった。
外套の肩口が焼け焦げている。
髪には細かな埃。
明らかに戦闘帰りの姿だった。
だが、表情は気楽だった。
「任務は」
ブリギットが短く問う。
マーラは肩を回した。
「終わった終わった。ちょっと手間取ったけどさ」
まるで散歩の帰りのような口調。
しかし、その外套の傷が戦闘の激しさを物語っていた。
マーラの視線が、怜へ向いた。
「で、倒れたんだって?」
責めるでも、心配するでもない。
ただ確認する声。
怜は小さく頷いた。
「……はい」
マーラは数秒、じっと見ていた。
そして。
「まあ、生きてるなら合格」
あっさり言った。
ブリギットがわずかに眉を動かす。
だが、何も言わない。
マーラは続けた。
「でもさ」
一拍。
「魔力切れは、ちょっと格好悪いかな」
軽い調子。
だが、言葉は真っ直ぐだった。
怜は息を止める。
マーラは肩をすくめた。
「死ななかったのは運が良かっただけ」
そして、小さく笑った。
「次はちゃんと帰ってきなよ」
さらりと言う。
押し付けがましさはない。
でも、逃げ道もない。
ブリギットが口を開いた。
「次の任務は私が——」
「私が出る」
マーラが先に言った。
自然な口調だった。
命令でも、申請でもない。
ただの決定。
ブリギットが視線を向ける。
「理由は」
短い問い。
マーラは迷わず答えた。
「こいつ、連れてく」
親指で怜を指した。
軽い仕草。
だが、重い意味。
室内の空気がわずかに張り詰める。
「責任は」
ブリギット。
マーラは笑った。
「持つって」
軽い口調。
しかし、目は真剣だった。
一瞬の沈黙。
やがて。
「好きにしろ」
ブリギットはそう言って、部屋を出ていった。
扉が閉まる。
静寂。
マーラはベッドの横に立った。
腕を組み、少しだけ首を傾ける。
「ねぇ」
気軽な声。
「なんで戦ってる?」
唐突な問い。
怜は言葉に詰まった。
考えたことはある。
でも。
答えを口にしたことはなかった。
「……守るためです」
やっと出てきた言葉。
真っ直ぐだった。
マーラは小さく頷いた。
「いいじゃん」
軽く言う。
そして。
少しだけ視線を逸らした。
「守れなかったこと、あるとさ」
ぽつりと。
「それ、ずっと残るんだよね」
短い言葉。
それ以上は語らない。
怜は息を止めた。
だが。
マーラはすぐに笑った。
「ま、暗い話はやめやめ」
手をひらひら振る。
「次はちゃんとやれる」
断言だった。
根拠は言わない。
でも、不思議と信じられる声だった。
マーラは踵を返した。
扉の前で立ち止まる。
振り向く。
「準備しときな」
一拍。
「次、ちょっと面白いの出そうなんだ」
口元に、小さな笑み。
危険を楽しむ者の顔だった。
扉が閉まる。
静寂が戻る。
怜は天井を見上げた。
胸の奥で。
何かが、静かに形を持ち始めていた。
悔しさ。
恐怖。
そして——
決意。
(次は)
倒れない。
守る。
戦う。
そのために。
もう一度、立つ。




