第19話 適性あり
——王都外縁 第七区画
石畳が途切れた。
足裏に伝わる感触が変わる。
土。
雑草。
崩れた塀。
街の喧騒は背後に残り、ここではもう遠い。
風が抜けるたび、乾いた空気だけが動いていた。
ラウルが足を止めた。
振り返らないまま、低く告げる。
「ここから先は警戒区域だ」
短い説明だったが、それで十分だった。
ユーグが周囲を見回す。
「住民は?」
セラが即座に答える。
「避難済みです」
落ち着いた声。
感情の揺れはない。
怜は周囲を見渡した。
閉ざされた扉。
割れた窓。
人の気配の消えた家屋。
静かだった。
静かすぎる。
風が通り、路地の奥で紙切れが転がる。
カサ、と小さな音が響いた。
それだけ。
「対象は?」
怜が問う。
ラウルは間を置かず答えた。
「単独個体」
一拍。
「等級C」
ユーグが口を挟む。
「逃げ足が速い奴だ。
前回は取り逃がした」
軽い口調だったが、視線は真剣だった。
ラウルが一歩踏み出す。
「今回は終わらせる」
それだけ言った。
決意を誇示する必要はない。
言葉は短いほど重い。
怜の胸元で、金属製のカードが微かに光っていた。
魔力登録証――レジストリ。
待機状態。
記録準備完了。
セラが振り向いた。
「怜さん」
穏やかな声だった。
「位置は後方です。
無理はしないでください」
怜は素直に頷いた。
「了解」
ラウルが全員を見渡す。
「役割を確認する」
簡潔な言葉。
「私が前衛」
拳を軽く握る。
「ユーグが支援」
ユーグが銃のベルトを整えた。
「セラが後衛」
医療袋が小さく揺れる。
そして。
一拍。
「怜」
名前が呼ばれた。
全員の視線が集まる。
「補助」
短い。
それだけだった。
当然の配置だった。
新人である以上、前線を任されることはない。
怜は頷いた。
「了解」
風が吹いた。
先ほどよりも少し強く、乾いていて、冷たい。
ユーグが笑う。
「緊張してるか?」
軽い声。
怜は少しだけ考えた。
「少し」
正直な答えだった。
ユーグは肩をすくめる。
「正常だ。
してない奴の方が危ない」
セラが小さく笑った。
「その通りですね」
ラウルが手を上げた。
止まれ。
声を出さない指示。
全員が即座に動きを止めた。
音が消える。
風だけが、ゆっくりと流れる。
その時だった。
ラウルが低く言った。
「いる」
ユーグが視線を上げる。
屋根の上。
崩れた瓦。
影が動いた。
速い。
黒い。
四足。
低い姿勢。
牙。
赤い目。
獣。
——いや。
違う。
骨が外に露出している。
裂けた皮膚の隙間から、白い骨格が覗いていた。
だが。
それでも動いている。
「接触」
ラウルの声が落ちた。
ユーグが銃を上げる。
「確認」
セラが医療袋を開く。
「治療準備」
怜は静かに息を吸った。
胸の奥で、空気が整う。
風が集まり始める。
細く。
見えない。
だが確実に存在する力。
ラウルが一歩前へ出た。
「開始」
次の瞬間。
獣が跳んだ。
一直線に。
ラウルへ。
速い。
重い。
鋭い。
ユーグが引き金を引いた。
乾いた銃声が響く。
弾丸は確かに命中した。
だが。
止まらない。
「硬い!」
ユーグが舌打ちした。
「通常弾じゃ抜けない」
一拍。
この世界では。
銃は対人制圧には優れる。
しかし。
大魔獣や、防御能力の高い個体には、決定打になりにくい。
ユーグが親指で弾倉を軽く叩いた。
「次は魔装弾だ」
プロの判断だった。
ラウルが踏み込む。
拳。
一直線。
空気が震える。
重い衝撃。
獣の体が弾かれ、地面を転がった。
だが。
すぐに起き上がる。
異常な回復力。
ラウルの声が飛んだ。
「怜」
呼ばれた。
戦闘中、初めて。
怜は動いた。
右手を上げる。
風が集まる。
圧縮。
収束。
細く、鋭く。
一直線に。
次の瞬間。
衝撃が弾けた。
見えない力が獣の体を横へ押し流す。
体勢が崩れた。
ラウルが踏み込む。
間合い。
最短。
拳。
叩き込む。
骨が砕ける鈍い音。
沈黙。
獣は動かなかった。
完全停止。
ユーグが息を吐いた。
「終わりだ」
セラが近づく。
確認。
そして頷く。
「活動停止」
公式の宣言。
ラウルが振り向いた。
怜を見る。
数秒。
無言。
そして。
「判断が早い」
短い言葉。
だが。
それは明確な評価だった。
その瞬間。
怜の胸元で、小さな音が鳴った。
カチ。
レジストリの内部で、記録が刻まれる。
戦闘履歴:初任務
対象:魔獣
役割:補助
結果:制圧支援
そして。
もう一行。
評価:適正あり
ユーグが笑った。
「いい滑り出しだ」
軽い声。
セラが頷く。
「無理をしていません。
理想的な初動でした」
ラウルはすでに歩き出していた。
「続行」
短い命令。
任務はまだ終わっていない。
怜は一歩前へ進んだ。
その背後で。
風が、静かに吹いた。




