第15話 未成年と書類と、拳の指導
王都外縁の訓練場。
朝の空気は冷たい。
だが中央では、すでに熱気が立ち上っていた。
今日も実戦を想定した訓練が行われている。
「――遅い」
低い声。
ドナルだった。
腕を組み、
岩のような体で立っている。
対面しているのは――
高円怜。
額に汗。
息は乱れていない。
だが。
足元の砂が、わずかに崩れている。
「もう一度」
ドナルが言う。
「来い」
怜は小さく息を吸った。
踏み込む。
ダッ
一歩。
二歩。
距離を詰める。
拳。
ではない。
体。
重心。
腰。
――投げ。
ドナルの体が、
ほんのわずかに動いた。
次の瞬間。
ドスン
地面が鳴った。
怜の体が、
背中から落ちていた。
「いったぁ……!」
砂が舞う。
空が揺れる。
ドナルは一歩も動いていない。
「今のは悪くない」
彼は言った。
「ただし」
指を一本立てる。
「相手の体重を忘れるな」
怜は仰向けのまま睨んだ。
「知ってますよ……!」
「知っているのと、できるのは違う」
正論だった。
周囲で見ていた若い戦士たちがざわつく。
「あの子、また挑んでるぞ」
「今日で何回目だ?」
「五回」
「折れないな……」
その視線は。
好奇。
ではない。
敬意だった。
怜は起き上がる。
息は整っている。
手の動きは無駄がない。
武器は持っていない。
それでも。
姿勢は完全に――
実戦者。
ドナルは言った。
「次」
怜は頷く。
だが。
その瞬間。
遠くから声が飛んできた。
「ドナル!書類だ!呼び出し!」
沈黙。
ドナルはゆっくり振り向いた。
「……何の書類だ」
伝令兵が答える。
「アーケイン・レジストリからです!」
空気が変わった。
周囲の戦士たちが顔を見合わせる。
怜は嫌な予感しかしなかった。
数刻後。
王都中央区。
巨大な石造りの建物の前で。
怜は立ち止まった。
「……やっぱり来たくなかった」
見上げる。
威圧感の塊。
アーケイン・レジストリ王都本局。
ドナルが言う。
「ここが元締めだ」
「元締め?」
「街のギルドは仕事の窓口。
依頼を受けて、報酬を払う」
彼は続けた。
「だが――」
建物を指差す。
「登録情報、資格、身分証、報酬管理。
全部ここが握っている」
怜は理解した。
つまり。
役所。
しかも。
絶対に逆らえないやつ。
「帰りたい」
「無理だ」
中に入る。
広い。
高い。
忙しい。
そして。
聞き覚えのある声。
「あら、怜さん」
カウンターの向こうで。
微笑む女性。
テレサ。
以前、登録を担当した受付係。
すでに顔見知りだ。
「また来ましたね」
彼女は柔らかく言った。
「呼び出されたんです」
怜は封筒を差し出す。
テレサは封蝋を確認し。
小さく息を吐いた。
「……やっぱり」
「何ですか?」
怜が訊く。
テレサは書類を開く。
そして。
静かに言った。
「あなたの活動資格の正式承認手続きです」
「それ、もう済んでませんでした?」
「仮登録だけ」
一拍。
「本登録には条件があるの」
ドナルが腕を組む。
「年齢か」
「はい」
テレサは頷いた。
「この国では16歳から軍や戦闘職に就けます。
ですが――」
紙を示す。
「18歳未満は保護者の許諾が必要」
沈黙。
怜は固まった。
「……いないんですけど」
正直に言った。
テレサは頷いた。
「分かっています」
優しい声。
だが。
逃げ道はない。
「だから」
彼女は続けた。
「保証人が必要になります」
一拍。
「あなたの行動に対して、
法的責任を負う大人が」
怜はドナルを見る。
ドナルは天井を見る。
視線が合わない。
「逃げないでください」
「責任が重い」
即答だった。
テレサはさらに説明する。
「保証人がいれば――」
指で机を軽く叩く。
「正式に依頼を受けられます」
「報酬も?」
「はい」
一拍。
「紙幣で」
怜の目が少し光った。
「……いくらくらいですか?」
テレサは微笑んだ。
「内容によりますが」
さらりと言う。
「一般任務で――
50ルーンから200ルーン」
沈黙。
怜はドナルを見る。
真剣な顔。
「やります」
早かった。
ドナルはため息をついた。
「だから問題はそこじゃない」
「保証人ですよね」
「そうだ」
その時。
テレサが書類をめくりながら言った。
「ちなみに」
顔を上げる。
「現時点で最も有力な候補は――」
一拍。
「あなたです」
ドナルは動かなかった。
完全に止まった。
石像。
いや。
岩。
数秒後。
彼は言った。
「……却下だ」
即答。
怜が叫ぶ。
「なんで!?」
ドナルは真顔だった。
「責任が重い」
二回目だった。
テレサは少しだけ笑った。
「まだ決定ではありません。
上の判断を仰ぎます」
その言葉で。
事態は一旦保留になった。
建物を出る。
外の空気。
自由。
解放感。
だが。
問題は何一つ解決していない。
怜は空を見上げた。
「あと一年か……」
小さく呟く。
17歳。
未成年。
だが。
戦場には立っている。
ドナルが横で言った。
「一年で終わる話じゃない」
怜は顔を向ける。
「え?」
彼は静かに言った。
「責任は年齢じゃなく――覚悟で決まる」
怜は何も言わなかった。
ただ。
拳を握った。
今度は。
離さなかった。




