↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
4/5

第4話 その恋文、誰に出すつもり?

 あの夜から、達吉の様子が変わった。


 恋文は相変わらず毎晩書く。でも、書いている途中でときどき手を止めて、じっと私を見るのだ。


 筆を。穂先から軸の尻まで、なめるように。


 ……なに?こわいんだけど。


 私も意地になって、書き換えを続けた。「好き」は「嫌い」に。「会いたい」は「眠たい」に。


 達吉は、もう書き直さなかった。


 書き換えられた紙を一枚ずつ乾かして、懐の紙の束に重ねていく。


 宝物みたいに。


 ……ほんとに、なんなの。


 *


 秋の、虫の声がうるさい夜だった。


 達吉は恋文を書かず、文机に私を置いたまま、行灯の明かりをぼんやり見ていた。


 そして、ぽつりと言った。


「この世界に、メロンソーダはないんだ」


 ……。


 ……え。


 今、なんて?


「炭酸もない。ファミレスもない。ドリンクバーも」


 達吉は、私を見ていた。まっすぐに。


「だから、あれを書いたのは、俺じゃない」


 心臓が飛び出るかと思った。心臓、ないけど。


「聞こえてるかどうか、わからない。ただの筆かもしれない。俺の頭がおかしくなっただけかもしれない」


 達吉は、口の端を少しゆがめた。


「でも、話す。……話させてくれ」


 *


 達吉には、前世の記憶があった。


 遠山達規。会社員。二十九歳で死んだ。


「病気が見つかったんだ。あの年の冬。もう、どうにもならないやつだった」


 虫の声が、少しだけ遠くなった気がした。


「残り半年って言われた。……楓に、言えなかった」


 楓。


 九十九年ぶりに、人の口から自分の名前を聞いた。


「言ったら、楓は絶対そばにいる。仕事も休んで、毎日病院に来て、俺が弱っていくのを全部見る。……それが、嫌だった。楓のこれからに、俺の死に顔を残したくなかった」


 だから、別れた。理由を言わずに。


「本当のことを言おうとすると、『そばにいてくれ』って言いそうだった。だから、ごめんしか言えなかった」


 そして、二か月後に死んだ。


「格好つけたつもりだった。……ただの身勝手だ」


 達吉は、行灯の火を見つめたまま続けた。


「気づいたら、この世界にいた。記憶つきで。一度目の人生は、楓を探して終わった。町から町へ、それらしい人の噂を聞いては会いに行って。……見つからなかった」


 そりゃそうだ。私は筆だったんだから。


「二度目の人生で、探すのはやめた。かわりに、書くことにした。届かない手紙を」


 宛名のない恋文。


 出されない恋文。


 文箱にしまわれる、何百通もの。


「宛名は、書けなかった。楓の名前を書いたら、もう二度と会えないって認めるみたいで」


 *


 全部。


 全部、私宛てだったの?


 ちょっと待って。ちょっと待って、整理させて。


 雨の日に髪がまとまらないって怒ってたのは、私。


 笑った顔を思い出すと一日がんばれる、の笑った顔も、私。


 で、私はそれを。


「怖いです」にして。


「眠たい」にして。


「犬切な人」にして。


 ……。


 私、自分宛てのラブレターに、「犬切」って書かせてた?


 穴があったら入りたい。筆立てでもいい。


 でも、恥ずかしさのすぐ後ろから、別のものがせり上がってきた。


 病気。余命半年。二か月後。


 私が泣いて、怒って、既読にならないトーク画面を何度も開いていたとき。私が「ブロックか」って毒づいていたとき、あいつは、もう――。


 ……なにそれ。


 なにそれ、なにそれ、なにそれ。


 ずるい。そんなの、ずるい。


 事情はわかったよ。


 でも、勝手に決めたよね?


 私がそばにいたいかどうか、私に聞かなかったよね?


「楓のこれからに残したくない」って、それ決めるの、私じゃないの?


 四年付き合って、最後の最後に、いちばん大事なことを一人で決めて、一人で死んだ。しかも「ごめん」二回で。


 許せるか、そんなの。


 許せないのに。腹が立つのに。


 どうして、穂先が震えてるんだろう。


 *


 達吉は、新しい紙を広げた。


 墨をすって、私を浸す。いつもより、ずっと丁寧に。


「楓」


 名前を呼ばれて、毛先がびくっとした。


「もし、そこにいるのが楓なら。……この字を書くのを、手伝ってくれ」


 達吉が、紙の左上に穂先を下ろす。宛名を書く場所だった。


「何も起きなかったら。そうしたら、もう二度と聞かない」


 一画目。木へんの、横線。


 すうっと、穂先が紙を走る。


 私は、何もしなくていい。


 ただ黙って、こいつの手が動くとおりに墨を流せばいい。それだけで「楓」は誰の助けもなく書き上がって、こいつは、この筆には誰もいなかったと思う。


 知らんぷりしてやればいい。それが、いちばんの仕返しだ。


 あんたが私にしたのと同じ。何も言わずに、終わらせてやればいい。


 二画目。三画目。四画目。木へんが書き上がる。


 右側に移る。楓は十三画。長い字だ。迷う時間なら、いくらでもある。


 五画目。


 ……このまま黙っていたら、こいつはもう二度と聞かない。


 六画目。


 それで、いいの?


 七画目。


 また、何も言わずに終わるの?


 八画目。


 今度は、私のほうから?


 九画目。十画目。


 達吉の手が、震えている。私の軸も、震えている。どっちの震えなのか、もうわからない。


 十一画目。十二画目。


 最後の一画。「風」の中の、小さな点。


 そこで、達吉の手が止まりかけた。迷うみたいに、穂先がふっと紙から浮く。


 ――私は、その勢いを、ほんの少しだけ借りた。


 穂先を、紙へ戻す。


 ちょん。


 源太の「犬」と同じ技。百年かけて、イタズラにしか使ってこなかった技。


「楓」


 紙の左上に、一文字。


 九十九年ぶりに見る、私の名前だった。


 達吉は、浮きかけた自分の手を見つめたまま、しばらく何も言わなかった。


 それから、顔をくしゃくしゃにして笑った。困った顔じゃない。前世で何度も見た、私の好きだった笑い方で。


「……やっと、宛名が書けた」


 ぽた、と紙に何かが落ちた。墨じゃなかった。


 ……泣くな、ばか。


 にじむでしょ、私の名前が。


 でも、言っとくけど。


 許したわけじゃ、ないからね。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。