↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
3/5

第3話 元カレの恋文をぶち壊せ

 その夜、私は一睡もできなかった。筆は寝る必要ないけど。


 文机の上で、私はぐるぐる考えた。


 落ち着け、早見楓。相手は元カレだ。四年付き合って、「ごめん」二回で私を捨てた男だ。


 でも、今は関係ない。今の私は筆で、あいつは紙問屋の若旦那。前世は前世。


 一年。一年おとなしくしていれば、私は人の姿に戻れる。手があって、足があって、お風呂に入れる。墨じゃないお風呂に。


 大人になれ、私。


 *


 次の夜も、達吉は恋文を書いた。


 その次の夜も。その次の次の夜も。


 毎晩、毎晩、上等な紙に、長い長い恋文を。


「あなたの笑った顔を思い出すと、一日がんばれます」


「あなたに伝えたいことが、まだたくさんあります」


「会いたい」


 ……は?


 はああ?


 ちょっと待って。私には「ごめん」二回だったよね?ひらがなにして、たったの六文字。


 なのに、新しい女には毎晩これ?原稿用紙で何枚分?語彙力、ちゃんと持ってるじゃん。拾ってきたんじゃん。私以外のために。


 ぷちん。


 ―― 一年?


 知るか。


 達吉が、新しい行に筆を下ろす。


「あなたの笑顔が好きです」


「好」の字に入ったところで、私は穂先に力を込めた。


 達吉の手の運びに乗って、線をずらす。曲げる。次の画へ移ろうとする勢いを、ちょっとずつ借りる。


「あなたの笑顔が怖いです」


 よし。


 達吉の手が、止まった。じっと、紙を見ている。


 さあ怒れ。驚け。気味悪がって、私を捨ててもいいよ。


 その瞬間、視界が真っ白になった。


「早見さん」


 窓口だった。神様が、湯呑みを持ったまま座っていた。


「不合格です」


 ぽん。判子。


「早っ!!」


「審査期間に入って十二日目でございます。歴代最速です」


「ちょ、待って、今のは事情が――」


「事情は皆さまおありです。次の方」


 後ろで、茶碗がぺこりとお辞儀をした。


 真っ白。


 ……文机の上に、戻っていた。


 しばらく、私は呆然とした。


 人間の手。足。墨じゃないお風呂。


 さようなら。


 まあ、いっか。……いや、お風呂は惜しい。かなり惜しい。


 でも、どうせ落ちたなら。 とことん、やってやる。


 達吉は、まだ紙を見つめていた。それから、何も言わずにその紙を脇へよけた。


 新しい紙を広げる。墨をつけ直す。書き直す。


「あなたの笑顔が好きです」


 ……怒らないんだ。


 ふーん。じゃあ、根比べね。


 *


 そこから先は、ちょっとした戦争だった。


「好き」と書けば、「嫌い」にする。


「会いたい」と書けば、「眠たい」にする。


「月がきれいでした」と書けば、「月が太いでした」にする。日本語として壊れてるけど、気にしない。


「愛」の字は、かすれさせる。墨の出をちょっと絞るだけで、見るからに頼りない「愛」のできあがり。書き直されたら、またかすれさせる。地味だけど、効く。


 極めつけは、これだ。


「あなたは、私の大切な人です」


「大」の一画目。横線の右端で、穂先が浮いた瞬間。


 ちょん。


「あなたは、私の犬切な人です」


 源太で鍛えた、百年ものの技である。腕は落ちていない。


 達吉は、そのたびに手を止めた。


 紙をじっと見る。そして新しい紙を出して、書き直す。


 一回も怒らない。舌打ちもしない。私を投げ捨てもしない。


 ……なんなの、この人。


 前世の達規も、そうだった。私が怒っても言い返さない。黙って、困った顔で笑う。それがまた、腹が立つのだ。


 困ったのは、番頭さんだった。


「若旦那。近ごろ上等の紙の減りが、尋常じゃございません」


「すまない。売上から引いておいてくれ」


「若旦那のお小遣いから引きます」


 番頭さん、強い。


 ちなみに、帳簿には一切手を出していない。遠州屋が潰れたら、私の住む文机もなくなる。復讐にも分別は大事だ。


 *


 ある日気づいた。書き直された恋文は、文箱にしまわれる。書き損じも、なぜか捨てずに一緒にしまわれる。


 そして、ひと月たっても、ふた月たっても、一通も出されない。


 宛名もない。「あなた」とあるだけで、名前がどこにも書いていない。


 ……え、出さないの?毎晩あんなに書いて?


 身分違いの相手?まさかの人妻?それとも、遠くにいる人?


 どれにしても、出せない恋文を毎晩書いて、しまいこんで、自分だけ満足している。


 なにそれ。


 言いたいことがあるなら、ちゃんと本人に言いなさいよ。「ごめん」以外で。


 ……前世から、何も変わってないじゃん。


 腹が立つ。だから、私は今夜も書き換える。


 *


 ある、暑い夏の夜だった。


 達吉は汗をぬぐいながら、いつものように書いていた。


「今日はとても暑くて、冷たいお茶が飲みたくなりました」


 冷たい、飲み物。


 その瞬間、頭の奥で、からん、と氷の音がした。


 駅前のファミレス。ドリンクバー。グラスの中で泡を立てていた、緑色の。


「ごめん。別れよう」


 ――気がついたら、線を曲げていた。いつもの嫌がらせじゃない。勝手に、反射で。


「今日はとても暑くて、めろんそうだが飲みたくなりました」


 ……あ。


 やば。


 この世界に、メロンソーダ、ない。


 なんで今、こんなものが出てきたんだろう。


 いや、いい。意味不明な言葉に化けたなら、それはそれで立派な嫌がらせだ。


 達吉の手が、止まった。


 いつもより、ずっと長く。


 筆を持つ指先が、かすかに震えていた。軸を通して、その震えが私に伝わってくる。


 さすがに気味が悪くなった?ついに怒る?


 達吉は、怒らなかった。


 その紙を、そっと持ち上げた。墨が乾くのを待って、丁寧に、丁寧に折りたたんだ。


 そして文箱ではなく、自分の懐にしまった。


 ……え、そっち?


 その夜、達吉はもう一通、書いた。


 いつもより、ゆっくり。一文字ずつ、何かを確かめるみたいに。


 まるで、私が書き換えるのを待っているみたいに。


 ……なにそれ。挑戦状?


 上等じゃない。


 受けて立つわよ、元カレ。


 私の復讐は、まだ始まったばかりなんだから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。