3話:薔薇のつぼみ
「父から聞いておりましたが、派遣される放浪の鷹とはルーク様のことでしたのね」
ヴァレンティンの居城に向かう道すがら、馬に乗ったイザベラが言った。
並んで馬を歩ませていたルークは頷く。
「ええ。不甲斐のない様を見せてしまい、不安に思われるかも知れませんが」
言葉には、謙遜はなかった。
イザベラが笑う。
「そんなことなどありません。遠目から見えただけですが……魔物をあのように斬るなどさすが放浪の鷹。心強い限りですの」
「慰めの言葉ありがたく――それで、イザベラ様は何故このような場所に」
「来て下さる前より、魔物の報は農夫より聞いておりましたので……見回りを。警備の者が巡回をしてくれるとはいえ、私たちは、農夫たちの麦で生きていますでしょう?」
イザベラがルークを伺った。帽子のつばから覗く碧の瞳がきらめいていた。
無言でルークが頷くと、イザベラは微笑み、
「ですから――彼らが心安く生きることに心を砕きたいのです」
そう言ってから、イザベラははにかんだ。
「……というのは、少しよく言い過ぎましたかしら?」
己の言葉に羞恥を覚えたのか、その頬が薄桃に染まっていた。
ルークは否定も肯定もせず、ただ声を出さず笑んでみせた。
すでにヴァレンティンの居城は眼の前に来ていた。小高い丘にある灰の石造りの城は、慎ましやかなものだった。肥沃な土地とは言え、王都に近く、領地自体は狭いためだろう。二人の姿を認めた門番がおよそ一馬身の高さを持つ、大門を開けた。
馬を使用人に預けたルークは、イザベラの案内のもと、応接の間へと通された。城の外観は質実剛健な作りであったが、中は貴族の居城らしく漆喰とタペストリー、赤の絨毯で彩られていた。廊下の所々に、白磁の壺に切り花が活けられている。
ルークが通された応接の間は、貴族のそれにしては狭かった。しかし、漆喰の白でつややかに輝いていており、目の慰みに華美にすぎない程度の風景がかけられていた。魔石ランプが温かみある明かりをもたらす下、ニスを塗られた長いテーブルと椅子が役目を果たすときを待っていた。
「それでは私は一度――」
と言って、ルークを案内したイザベラは礼をし、応接の扉に手をかけた。
彼女が出ていき、数呼吸もしない内に、扉の軋む音が響く。
姿を表したのは初老の男だった。襟付きの白いシャツと、緩やかな黒いズボンを着こなし、襟ぐりの深い、濃紺の上着を着ていた。生地は高いものではない。しかし仕立てと手入れは行き届いていた。
イザベラの父、ユラウス・ヴァレンティンであった。
椅子にかけたユラウスは挨拶もそこそこに、
「ルーク殿、それではこれから如何様に? 当領に放浪の鷹を迎えるのは初めてゆえ、仔細が分からぬのだが……必要であれば衛兵などの手配もしよう」
ユラウスは表情に緊張といくばくかばかりの不安を携えていた。ルークはゆっくりと首を振った。
「いえ、喫緊であれば衛兵の手もお貸しいただきたいのですが……まずは私一人で」
何か問いたげな表情のユラウスに、ルークはゾラからの説明を思い出し、言った。
「これは放浪の鷹団の掟、そして王命もであります――みだりに死者を出さないという」
マルクブルク王国において、貴族と王の関係は、いわば忠誠という名の契約関係でもあった。貴族が所有する兵を使い、魔物による死者が出れば、王国に賠償と責任が出てしまう。あくまで貴族の所有する兵は人に向けた力であった。
そして、放浪の鷹は魔剣を用い、理外の化物を屠ることによってマルクブルクの威信を示す集団でもあった。
察したのか、ユラウスは椅子に身を預け息を吐いた。どこか安堵の表情があった。
「ありがたく……しかし、手を要する場合は助力は惜しまない」
ゾラの説明では、クフィヤトの力が分からぬゆえ、貴族からの助力を断らなくても良い、と言われていた。
しかしルークは掟と王の意思に沿うため、ただ頷いた。内心、自身の判断が間違っていないことを祈りながら。
ルークは真反対の思いを抱えながらも、しばし歓談と実務を行き交う会話を二人は繰り広げた。
話で分かったことは、確認できている魔物はあの虎形のもの一体。森から現れ、なぶるように農夫を追い立て、殴る。死者がでていないことは幸いであった。
ルークは顎に手をやり、卓の木目に目をやった。
「――森に、魔物の根城があるのですか」
「おそらく、だが森に入ることはあまりおすすめはしない」
「何故」
「深いのだ、森が。どこに隠れているかも、わからん」
ルークは頷いた。ならば、農園を地道に回るほうが、接敵できる。
応接間の扉が開く音と、ルークが計画を大まかに立てたのは、同時だった。
「お父様、お話はお済みでして?」
イザベラの声であった。現れた乙女の姿は先程の乗馬服ではなかった。肩を大きく出した、鮮烈な赤のドレスをイザベラは着ていた。三つ編みはほどかれ、波がかった金の髪が腰まで流れている。
「おお、イザベラ」
ユラウスが慈愛の響きを上げる中、静かに乙女は二人に近づいた。
イザベラの首には金鎖のカメオがかけられ、歩くたびに小さな音を立てた。
乙女は化粧をしていた。
やや上に上がった細い眉の下、瞼には青の化粧が施されていた。胡粉が混じっているのか、アイシャドウは魔石ランプの明かりできらめく。魔石ランプのオレンジの光は、肌も彩っていた。イザベラの肌と顔には白粉が塗られ、どこか妖しい、血色の良さを作り出していた。首筋が火照ったように桃がかっているのは、白粉の下から覗く日焼けのためであろうか。外で見たイザベラが野薔薇であるなら、今は庭園に植わった薔薇の蕾であった。
女は幾つもの顔を見せる。




