6話:覚醒
アルの背にもたれるようにして、ルークがベレネの城門までもどった際に感じたものは、恐怖でも衝撃でも無かった。クフィヤトの副作用からくる、虚脱であった。虚脱は使うごとに馴れ始めたものの、それでもなお彼に眠気を募らせた。
ルークは時おりかけられるアルの声に、意識を引き戻され、そのたびに彼女の腰に手を回した。馬から降りた彼女に従うままに、滞在施設に戻った。ルークは自身の寝床に自力で転がり込んだ。
アルは、ルークのみみもとに顔を寄せた。
「大丈夫か、ルーク。痛むところ……喉は大丈夫か?」
ルークは微笑みで返し、頷くだけで精一杯であった。
しかし、アルにはそれで十分であったようだった。薄い口の端を曲げ、ルークの顔にかかった髪を軽く分けてやった。
「よかった……」
ルークの額をわずかに撫で、アルの細い指はすぐに離れた。
部屋に響く足音と、声によるものだった。
「いかがでしたかっ」
ゾラが鋭い声を上げ、ルークの寝床に駆け寄っていた。アルは気遣わしげなゾラを見て、首を振った。
「――失敗だ」
眠りと覚醒の狭間でアルの声を聞き、それでもルークは歯がみをするほどの余力を持たなかった。半眼で静かに頷くなか、ゾラのため息が聞こえた。
すぐさま、ゾラが否定する声も。
「すみません、あなた達が努力されているのに」
「構わない、私たちでも倒せなかったのは、事実なんだ……それよりも、ルークが心配だ。ゾラ、診てやってくれないか。喉を」
「わかりました――アル、貴方も休んでください」
「いや、私にはまだやることがある」
目をつぶったルークには、アルの表情も、何も見えなかった。ただ、ゾラの疑問の声を無視して、歩み去る一つの足音が聞こえただけであった。
しばしの沈黙の後、衣擦れの音が聞こえた。耳元でゾラの声がした。
「ルーク、少しだけ確認させてください……口を開けられますか?」
ルークは彼女の言葉通り、重たい口をゆっくりと開けた。ゾラの冷たい指先が、彼の頬に触れる感触があった。
「喉は……少し腫れていますが、焼けただれているほどではありませんね」
ゾラの口調は柔らかかった。ついでルークは顔に彼女の指先の感覚を感じた。触れるか触れないかの繊細の指使いとともに、再びゾラの声がした。
「顔も……けがはなさそうですね。快復の薬が功をなしたようで……よかった」
ルークは己の目蓋が作り出した闇の中で、ただ一つ頷いた。
「ルーク……無理に反応しなくて大丈夫ですよ。今は休んでください」
最後にゾラの指が額を撫でた気がした。だが、それを確たるものと受け止める前に、ルークの意識は落ちていった。
ルークが目覚めた時、玻璃の窓から刺す日差しは未だ明るくあった。日差しの暖かさから昼頃と判別し、ルークは身を起こしかけた。だが、左の手に湿った感触を感じ、眉を上げて寝床の脇に首を向けた。
それは結果として彼の心拍を上げる事となった。椅子を据えて座っている者がいた。
ゾラであった。
ゾラはややうつむき、微動だにせずにいた。その両手はルークの左手を握っていた。
どう声をかけて良いのかわからず、ルークは緩慢に身を起こした。シーツの衣擦れと共に右手を使い、彼女の指を左手から剥がそうとした。
突如としてゾラが顔をもたげ、右手は石のごとく固まった。ルークの硬直にもかまわず、ゾラはルークの顔を見た、安堵の表情を浮かべた。
「起きたんですね」
ルークはすぐに答えず、ゾラの両手を見つめた。
「ああ、すみません……クフィヤトの、鍔の色が薄くなっていたので……。試しに、と」
ゾラが眉尻を下げ、両手を離した。視線の先は、寝床に立てかけた魔剣にあった。
鍔にある花の意匠は、色鮮やかなものとなっていた。紫の花だけがつややかに光り、黄の花は薄い色であった。
「断りを入れずすみません、ルーク」
「いやかまわない……ありがとう」
ルークは笑った。彼女の助力が嬉しかった。ルークは己が内に出でた感情に、僅かに驚きを覚えた。だが、それは存外に悪くないものであった。
ルークはゾラを見つめ、尋ねた。
「アルはどうした?」
「いえ、私もずっと手を握っていたので」
ゾラは言い、自身の行いにか、瞳を泳がせた。
「それは置いておきましょう――、アルはこちらには戻っていません、それ以上は」
ルークは扉へと目を向けた。気遣わしさがあった。彼女は先の戦いでは怪我は無いはずであったが、それ以上にまだ礼を言えていないしこりがあった。
ゾラが彼を内省から現実に引き戻した。
「ルーク、昼餉をなにか買ってきましょうか?」
「いや、大丈夫だ。自分で歩ける……とはいえ、魔物の事も気がかりだ。手早く食べられる店を知らないか?」
「それでしたら――」
ゾラが顎に手をやるのと、扉が開かれるのは同時であった。
強い力で開けられた扉は音を立て、部屋の向こうにいる者を顕わにした。アルだった。
無傷のアルにルークは息を漏らし、表情を緩めた。
「アル、ちょうど良かった。昼はもう済ませたか?」
ルークの問いにアルは答えることは無かった。無言で彼女は部屋に入り、ルークは戸惑いを覚えた。戸惑いは、アルの後に続いた女性達の姿によって驚愕へと変化した。
「イザベラ様、エカテリニ様――」
令嬢たちの顔はどこか暗いものがあった。眉を下げ、唇をかみしめていた。その頬は薄紅に染まっていた。化粧では無い。顔の内から出てくる血色に因るものであった。イザベラはスカートの前を軽く掴み、エカテリニは腕を組み、自身の上半身にある、たわわな豊桃を持ち上げていた。
令嬢達はルークに目線を合わせることは無く、ただ沈黙を貫いていた。
驚きからさめやらぬルークの傍で、ゾラが立ち上がった。アルを見つめた。もの問いたげな視線を彼女にむけた。
「アル――?」
「――来ていただく道中で、話したぞ」
アルの言葉はそれだけであった。しかしゾラとルークに意図を察せさせるのは十分であった。
ルークは己でも表せえぬ赤の怒りをもって寝床から立ち上がり、裸足のままアルへと歩み寄った。床を踏みならし、ルークはアルの眼前まで寄った。
「なぜだっ!」
アルの胸ぐらを掴んでいた。アルは彼の腕に揺さぶられるままであった。眉根を寄せ、目を細めたルークの視線から逃れるように、彼女は顔を背けていた。
「何故、言った!」
ルークはなおもアルを揺さぶったが、彼女は暫く答えなかった。
アルが口を開いたのは、ルークが揺さぶりを止め、肩を上下させるころであった。
「ルーク、気持ちはわかる……恥ずかしいというのも」
「私の問題などはいい! 彼女たちのお気持ちを考えなかったのかっ、それに政にも……」
ルークは我知らず、アルを掴む手に力を込めていた。締め上げんとする。その勢いを弱めたものがあった。
「ルーク様……」
イザベラだった。イザベラは赤のドレスより覗く手を、ルークの肘に置いていた。ルークが息を飲む中、乙女は彼の顔を凝っと見つめていた。
イザベラの瞳は揺れていた、潤んでいた。健康的な白の頬には更なる紅が宿り、乙女の若さが吐息となって漏れ出ていた。




