5話:想定外
青闇が西に広がり、払暁がまみえる間際、ルークはアルとともにベレネの城門を出た。
街道筋を通り、小高い丘に駆けた二人は、魔物の姿を観た。
胎児の魔物は依然、移動する気配はなく、時おり紫の煙を吐くだけであった。
アルが目で合図を擦るのに合わせ、ルークは腰の巾着より布覆いを取り出した。快復の薬を沁ませた布で、口と鼻を覆う。しとどに濡れたそれはルークの顔に張り付き、不快をよび起こした。
「――行くぞ」
アルの声に、ルークは馬を走らせた。背後に蹄の音を聞きながら、魔物へと走る、走る。
魔物から十馬身の距離で、ルークは馬を止めた。またがったまま鞘を手に取り、馬上でクフィヤトを抜いた。馬の肌に魔剣の刃が少しでも触れぬように。
魔物は移動する気配を見せず、脚をただその場で蠢かせているだけであった。
ルークは肩越しにアルを見た。アルは馬から降り、すでにロデムを構えている。
放浪の鷹の女剣士が頷いた。魔剣を振るう。氷の杭が生み出された。魔物に向かい飛ぶ。
空気を切り裂く氷杭が、次々と魔物の甲殻に当たり続ける。魔物の体が揺らめく。茸状の複眼がアルへと向けた。
甲殻の破砕音響く中、ルークは馬の腹を蹴った。走り出す。疾駆する馬上で、ルークは両ももに力を込め、馬から振り落とされんとした。
魔剣を両手で握る、地と平行に。心に刻む、魔剣の銘を。
『正しいことを行え、私を振るうものに罪はない』
銘が紅く光る。赤の流星を伴い、馬が走る。
全速力で走る馬は、魔物の傍を駆け抜けた、甲殻の脚に触れあわんばかりに。
そしてクフィヤトは、脚の群に刃を突き立てた。馬の勢いが乗せられた魔剣は、するすると脚、脚、脚を切り落とし、切断面より花、花、花。
菖蒲と菜花が舞う。散る。
大人の胴ほどある、魔物の脚たちが寸断され、地に転がった。脚を失った魔物はバランスを崩しかけるが、無数にも見える脚が、平衡を保たせていた。
――まだだ。
魔物から馬が離れていく中、ルークは片手を魔剣より外し、手綱を握りしめた。
馬首を転換させる。再び魔物に突っ込む。
クフィヤトの横薙ぎが、脚を切る。花、菜花、菖蒲。
黄と紫の花弁が虚空を彩る、そのなかで魔物の体が膨らんだ。胎児の口に当たる部分が開く、ルークは察した。来る。紫の霧。
それは、アルも同じであった。ロデムを振るう姿がルークの視界のはじに映った。
ロデムの軌跡と共に、握りこぶし程度の氷塊が無数に生まれる。大きさは不揃いであった。氷塊が一斉に魔物に向かい、飛ぶ。
しかし標的は、脚では無かった。
霧であった。無数の氷塊は、形なき霧に幾度となく飛来した。氷塊の風速が霧を千々とかき消す。
ルークは僅かに残る紫の煙りに、わずかにむせた。しかし歯を食いしばり、咳とともに笑いをかみ殺した。昨日アルとまじわした、作戦通りであった。
疾駆する馬上から、肩越しに魔物の様を見る。無数に思えた魔物の脚は、すでに半量までに減っている。
これならいける。脚に支えられた、胎児の部分に剣を突き立てるためには高さがありすぎた。脚を落とし、平衡を崩すことができれば、ロデムの氷杭とともに斬撃を浴びせることができる。
ルークは確信し、それが期待でしか無いことに気づかされた。
魔物の体が震えた。粘着質の音が上空より響いた。同時に影ができ、三馬身ほどの高さより飛来するものがあった。
脚であった。
魔物は自身の脚を自切していた。ルークに切り落とされ、花片をしたたらせていた、役に立たぬ脚を。
「なっ――」
ルークが声を上げるのと、地響きが起きるのは同時であった。魔物の、自切した箇所から花片が舞うことは無い。ただ傷口が静かに閉じる様に、ルークは舌打ちをせざるを得なかった。
――だが、脚は減っている。
アルも同じ思いであったのか、ロデムより氷杭が脚に突き立っていく。
しかし、その希望も無為であった。再び粘着質の音が立つ。蛇が穴蔵から出るように、音を立て、魔物の、胎児の部分より姿を現したものがあった。
脚。
新たな甲殻の脚が生え、地に降り立つ。
ルークはうめいた。クフィヤトを構え、馬を走らせようとした。再び脚を切り落とさんとする。
「待てっ、ルーク……!」
背後よりアルの声が聞こえた。声は魔物が脚を動かしたのと同時であった。
甲殻の脚が、ルークと馬に向かう。
真正面より繰り出された、魔物の蹴りは馬とルークを吹き飛ばした。衝撃がルークの手から魔剣を取り除こうとする。握りしめた。背中から地にたたきつけられ肺腑より息が吐き出される。
程近くでは同じく地にたたきつけられた馬が微動だにしていない。それが見えたのも僅かのまであった。魔物の脚が、馬を串刺しにする。脚の先端は甲殻類のごとく鋭く、
脚は、血しぶきと肉片が飛び散り、遅れて臓腑の匂いがルークの鼻を突き刺した。
かすむ意識の中、体に命令する。転がる。うつ伏せ、脚をつき立ち上がった。視界の端で魔物が馬より足を抜くのが見えた。
早く立て。
自身の体を叱咤する。魔物の脚が、次にこちらを狙ってくることは明白であった。
背後より、己の名を呼ぶ声が聞こえた。
ルークは振り向かずとも誰かわかった。蹄の音。揺れる意識の中で、振り向き、彼女を見た。
アルだった。腕をルークへと差しのばしていた。
「ルーク、つかまれっ」
揺れる意識の中でも、切れすぎる魔剣を裸のまま持つことへの忌避は働いた。アルが近づくまでに、クフィヤトを何とか鞘に収める。手を伸ばした。
アルはルークの二の腕を掴んだ。馬の勢いを殺さず、ルークを引きずる格好となる。しかし、魔物からの距離は開いた。
十分に魔物から離れたところでアルはようやっと馬の手綱を引いた。ルークの足を見る。
「すまない……ルーク。脚は大丈夫か?」
「あ、ああ。助かった。足も……宮廷魔道院の足甲のおかげだ」
ルークは頷き、魔物に視線をやった。闇の胎児は動く気配を見せなかった。
ただ体中に生えた茸状の複眼が、ルーク達の方へと向いている。
「一度、退こう! あれは想定外だ……乗れるか?」
アルの声にルークは頷いた。だが、歯ぎしりを抑えることは出来ない。それでもなお、彼女が再度差し出した腕をつかみ、鐙に足を乗せた。
「しっかり捕まっていろよ……」
ルークはアルの指図通り、彼女の腰に強く腕を回した。
それが合図だった。馬が疾駆し、風切り音がルークの耳朶に響く中、
「疲れていたら、私の肩に頭を乗せてくれ、気にするな」
風に混ざり、彼女の心配の声が響いた。




