4話:翌日の夜明け、討伐に入る。
ルークは椅子を蹴倒すように立ち上がる彼女に、叫びを上げていた。思考によるものでは無かった。
「待ってくれ、アル。ふざけているわけでは――」
ルークの取り繕いに、アルは何も答えずただ、ルークの背後に回った。
ルークが始めに感じたのは、吐息であった。右の耳元を吐息が撫でる。薄荷の香りがした。次いで、僅かな熱を頬に感じた。
「これで、いいのか?」
アルの声が、傍で聞こえた。アルはルークに頬をよせ、腕を彼の首に回していた。咄嗟にルークは背後のアルへむけようとし、しかしふれあわんばかりの彼女の頬が傍にあることを思い、目だけを動かさざるを得なかった。
アルの浅い呼吸が耳元で聞こえた。ルークの背後に回された彼女の両腕は、ルークの胸元にしなだれていた。
自身の肩を通して、アルの胸から脇までの体温と、柔らかさが伝わってくる。ゾラがアルの名を呼ぶ声が聞こえた気がしたが、ルークにはそれどころでは無かった。心臓の動きが早まり、体内の熱が高まる。鼓動の拍子は、アルの浅い呼吸と重なっていた。
アルの吐息が漏れた。声も。
「これで……いいのか?」
ルークは、万力の力を込め、顎を上下に動かした。首肯は、彼女の頬と自身の頬がこすれ合わないよう、ひどく緩慢な動きとなった。
ルークは次の言葉を出そうとした。何故か逡巡が生まれ、言葉を出すことを喉が拒んだ。それ故に彼が必死で絞り出した言葉は、蚊ほどの音色であった。
「も、もう……良いはずだ」
アルの腕が、頬が名残惜しげにルークから離れていく。
ルークは安堵の吐息をついたが、それは次の関門に対する一時の休息に過ぎなかった。
「クフィヤトを……」
アルの声にルークは振り向いた。彼女の顔を改めて見ることが出来た。
彼女の頬は上気していた。薄桃よりも濃く、紅となっていた。白金の髪と睫毛は紅を強調させていた。
おそるおそるルークは腰のベルトに手をかけた。ベルトの金具をかちゃつかせた。
クフィヤトをさやごと外し、渡す。魔剣を受け取ったアルは唇を噛んだ、一度。
「体液だったな――場所は、どこだ」
「つ、鍔でいい」
ルークの言葉に頷き、アルが口をすぼませた。舌を突き出し、しかしその舌を鍔に向かうことは無く、そのまま停止した。
薄桃の花びらを思わせる彼女の舌は、床に向いていた。舌は唾液で彩られ、唾が引力に従い、舌の先に集まった。
ゾラの鋭い声が飛んだ。アルの思惑を察した声であった。
「アル!!!!!」
平生では聞かぬ、ゾラの沈黙を切り裂く声は、アルを振り向かせるのに十分であった。
「ぞ、ぞら?」
「失礼しました。アル……落ち着いてください。軽く、口づけを擦るだけでいいのです……先っぽだけ」
咳払いをしたゾラの声は、淡々としたものだった。しかし、ゾラの青白い頬にも、紅が宿り、目をそらした。
アルは肩を落とし、軽く息を吐いた。
「そ、そうか」
己の薄い唇を舐め、改めてアルは魔剣にかるく口づけをした。顔を上げたアルが出した声は僅かな喜びが入り交じった、驚愕だった。
「これは……ルーク、ゾラ! 見てくれっ別の色がともったぞっ」
アルがクフィヤトを掲げた。花の意匠には、紫の彩色と共に黄が寄り添っていた。
ゾラとルークは立ち上がり、鍔へと顔を寄せる中、アルの鼻息は荒かった。
「やったな、ルークっ。私もお前の役に立つことが出来た」
アルはルークの肩をたたき、喜色を浮かべる。ゾラは口もとを綻ばせながらもなお、眉根を寄せていた。
「アル、協力ありがとうございます……しかしこれでまた一つわかりましたね」
「なにか問題でもあるのか?」
「いえルーク、違います。二つの花の色がついた、ということが重要なのです」
ルークはその意を悟り、ゾラと同じく眉をひそめた。
「つまり、複数の……力を蓄えることができる?」
「確かにそうも見えますが、力の差異がわからない以上、なんとも言えません。力の作用が強くなるのか、それとも菖蒲、菜花によって作用が異なるのか……実際に戦ってみないことには」
ゾラの声に、アルは喜色を収め、顎に手をやり、鍔を見つめていた。
アルの無言の間は長くは続かなかった。
「実際に試してみるしか無いか……」
アルの言葉にルークは頷いた。
「ああ。やってみるしか無い。それに、もう一つ思いついたことがある。アルの協力が無ければ出来ないが……」
ルークの語尾に、アルが苦笑を浮かべた。
「一緒に戦う仲間だ。協力は当然だろうが」
ルークは眉尻を下げた微笑みで返し、魔物についての計画を伝えた。
翌日の夜明けに、討伐に入る。




