3話:エ……ロ……
「ゾラ、ルーク。ここにいたのか」
かけられた中性的な声にルークは更なる居心地の悪さが高まるのを感じ、目を向ける事を恐れた。しかし、ゾラの言葉に、向かざるを得なかった。
「ああ、アル――来てくれたのですね」
ルークは馬上のアルを見た。放浪の鷹の女団員は白金の髪を揺らし、馬から降りると、ぶっきらぼうながら、
「もちろんだ。放浪の鷹として……ルークもいるからな、急ぎ馬を走らせてきた」
ルークを見る目は柔らかく、口元は綻んでいた。ルークが曖昧にアルへと微笑みをむける中、驚声を上げる声があった、イザベラであった。
イザベラは口を押さえ、
「放浪の鷹……それも女性の方がっ?」
アルは始めて貴族の女性達に気づいたように、たたずまいを正した。
「これは……失礼いたしました、放浪の鷹、アライン・ドゥ・エールリッヒと申します」
アルの声はとつとつとした、ぶっきらぼうなものであった。
イザベラは彼女の口調に戸惑いを覚えることは無く、瞳を瞬かせた。
「女性の放浪の鷹もおられるのですねっ、アル様」
「え、ええ……。私は、その……剣を評価されて……」
イザベラがアルに一歩近寄ったが、アルは上体を反らせた。
「そこまで上り詰めるのには、やはり相当な鍛錬をされてきたのですかっ」
「わ、わかりません。そ、それに、私はロデムに選ばれたこともあり……」
説明する言葉は次第に小さくなっていた。なおもイザベラは言葉を続けようとしたが、それはエカテリニに遮られた。
「イザベラ様、アル様が困ってらっしゃいますし……アル様も先ほどの魔物の件で来たのでしょう?」
僅かなたしなめに、イザベラの顔が紅潮した。息を呑み、アルを見つめる瞳は揺れていた。
「も、もうしわけございません。討伐の任でこちらに来たというのに」
「お、お気遣い無く。い、イザベラ様……」
顔を紅潮させているのはアルも同様であった。アルは咳払いをすると、二人の令嬢に頭を下げ、
「申し訳ありませんが、ルークとゾラを……」
耳朶を赤に染めながらそういうのであった。
アルとゾラとともにルークは滞在施設にもどった。アルが荷を置き、ルークとともにゾラの居室へと集まったのは四半刻後のことだった。
ゾラの居室にある卓を囲み、三人は顔をつきあわせた。
ゾラとルークが魔物の概要と斥候の結果をかたる間、アルは沈黙していた。彼女は腕を組み、椅子の背もたれに身を預けると、
「今回、放浪の鷹で近隣にいたのは私だけだから、ルークと私とで何とかする必要がある……だが、紫の煙が厄介だな」
アルは天井をにらみつけた。ルークは頷きながらも、ため息をつかざるを得なかった。
「すまない、クフィヤトでは面倒をかけてしまう……」
卓の上に置いた手を握りしめてしまう。任を果たせぬかもしれない不安があった。霧が喉を灼けただらせるのであれば、近づいて切る事しかできぬクフィヤトでは、それすら出来ない。
アルが急ぎ顔をルークに戻し、握りしめられた彼の手を掴んだ。
「違う、違う。ルーク。お前を責めているわけでは無いんだ」
ゾラとは違う、やや骨張った、かさついた彼女の指は力強くルークの手に食い込んだ。
「ルークにはルークの役目がある……それに、お前がいてくれないと――違う、いてくれた方が心強いんだ」
最後の言葉とともに、アルの指はより深くルークの手を掴んだ。アルは白金の睫毛をしばたかせると、ゾラを見た。
「ゾラ、何か良い方法はないかっ?」
「そうですね――でも、その前にルークの手を……」
ゾラは淡々とした調子で言い、掴むアルの手に指を沿わせた。ゾラの言葉の調子は、平生と変りがないはずであったが、ルークはどこか、不穏なものを感じた。
アルは初めて気づいたように、ルークの手を解放し、短く謝罪を告げ、改めてゾラをみた。
「それで良い方法は……?」
「難しいですが……快復の薬を布に染みこませれば、ある程度は防げるかもしれません」
アルが手を離すのを認めたゾラの言葉はどこか柔らかいものが漂っていた。だが続く言葉は冷静であった。
「ただ、それでも布の隙間を抜けて霧は喉を灼きますから、対症療法としてしか働かないかと」
「それではルークは傷つきながら戦う……ああ、いやまて。その前にルークはクフィヤトの力を使えないじゃないか」
アルが額に手をやり、首を振った。ルークは彼女にクフィヤトの真相を告げていないことに気づき、卓の木目に目をやった。再び罪悪感が芽生え始める中、アルの声が響く。
「喉を灼きながら、何度も何度も斬るなど……」
アルの声には、震えと苦みがあった。ルークは卓の下に手を隠し、握りしめた。我知らず。
「アル、聞いてください」
ゾラの声が響いた。続く言葉に、ルークは卓から目線を外さざるを得なかった。
「アル……実はクフィヤトの力の発現についてはわかりました」
「本当か!?」
明るい顔を見せるアルに対して、ルークは驚愕と迷いに襲われた。
「ぞ、ゾラっ?」
放浪の鷹たちの視線が注がれる中、ゾラは続けた。
「ルーク、知らせずに戦うことはアルにも危険が及びます……」
「それは、そうだが――いや、だが。しかし」
眉をひそめるルークに、アルは眉をひそめ、ゾラとルークを見回した。
「なんだ、なにが問題なんだ。クフィヤトの力がわかったんだろう……?」
「アル。落ち着いて聞いてください」
ゾラは目の前の女騎士を見据え、息を吸った。
「――た、体液です」
「たいえき……?」
「クフィヤトが力を使うためには……その、異性の体液が剣に付く必要があります」
しばらくの間、アルは沈黙した。わずかに口が動いたが、声が漏れることは無かった。しかし、その口の動きは、たいえき、を繰り返していた。その目はいつしか卓の木目を見つめ、耳に赤みが増していた。
やがてアルが卓から目を離し、ゾラとルークを見つめた。
「体液、というと血のことか……?」
ルークはアルの視線をまともに見ることが出来なかった。言葉を振り絞ろうとし、しかし、声にならない。
アルの問いに答えたのはゾラだった。
「血以外にも……その、唾液、涙、汗……おそらくそれ以外もクフィヤトの発現にはつかえます」
アルの息を吸う音が、ルークの耳に明瞭に届いた。ルークの視界の端に映る、アルの白き肌には、薄桃の紅潮が見えた。
「そ、それは――エ……ロ……いや」
「もう一つあります」
ゾラの言葉には震えがあった。ルークは制止の言葉を出しかけたが、間に合うことは無かった。
「クフィヤトを使うには……使用者が異性と接触する必要があります。長い時間触れることで魔剣の力は伸びます」
「待て、待ってくれ。ゾラ」
アルがゾラの前に手を突き出し、遮った。首を振った。彼女の唇は引き結ばれ、震えていた。
アルの浅い呼吸が響く中、沈黙が生まれた。
「何故、どうしてそんな結論に」
かすれ声をアルが出す。問いは問いでは無かった。つぶやきであった。
だが、それを疑問とゾラは捉えたか、青白い肌に紅をさし、ルークの旅を語った。旅の内容を聞くうちに、アルは顔を伏せ、うつむき、両手を顔に当てた。
「つまり、私があのとき、だ、抱っ……いや、いい。あのときの鼻血、が」
アルの手の平の隙間よりつぶやきが漏れ続けていた。ルークは痛ましげに彼女を見ることしか出来ず、ゾラも同様であった。
沈痛な面持ちでゾラが見つめる中、アルが立ち上がった。




