10話:破られる約束
滞在施設に戻ったルークは、再びゾラの部屋で椅子に腰掛けた。
「それで、ルーク……何がわかったのですか?」
ゾラの問いに、ルークは自信の苦々しげな顔つきを抑えることが出来なかった。
しかし、ゾラに昨日告白したときほど、言葉は喉につかえることは無かった。
「おそらくクフィヤトは――」
ゾラが身を乗り出した。
「クフィヤトは、私が女性と……」
ルークは言葉を一度切った。視線を惑わせる彼の様に、ゾラが何事か口にしようとしたが、ルークは身振りで止めた。息を吸い、吐く勢いのままルークは語った。
「すまない、ゾラ。気を遣わせてしまって……クフィヤトの力が継続する時間は、私が女性と接する時間に基づいているらしい」
ルークは自身の顔に熱が点るのを感じた。
それはゾラも同じであった。
息を飲み、ゾラは口に手を当てていた。青白い頬に赤みが増している。ゾラは唇を舐め、咳払いをし、ルークを見た。
「それは――つまり、接するというのは……その、こうやって会話をしているということでしょうか?」
「いや、言葉の通りだ――」
ルークはかぶりを振り、記憶をはせた。アルとは身体的な接触はほぼ無かった。抱え上げ、握手をしたまでであった。対してゾラとは馬に二人で乗り、ルークの手を握り、彼の言葉を長時間待ってくれていた。
湿りを伴う彼女の手を思い出し、ルークは告げた。
「服越しでも構わないはずだが、私が女性とふれあっていることでクフィヤトの力は伸びる」
「まあ……」
ゾラが声を上げた。ルークの目の前で彼女がこのような声を上げるのは、初めてであった。
声にルークは鼓動が波打つ感覚を得た。
「おそらく――先に体液が付く必要は無いのだとは思うが……」
鼓動の早鐘を聞きながらルークは告げ、クフィヤトをさやごと取り、ゾラの前に掲げた。
見てくれ、とルークは告げかけ、さやを持つ手を止めた。
「――? ルーク、どういたしましたか」
ルークの視線は魔剣の鍔に注がれていた。
ルークは鍔に掘られた花の意匠をゾラに見せる。
「……色が消えている?」
ゾラの言葉にルークは頷いた。
「もう一つわかったことがあったな……、クフィヤトの発現時間には限りがある」
ため息と共に吐き出したルークの言葉に、ゾラは同じくため息で返した。
「これは……その、体液をつけるところから始めないといけないのでしょうか……?」
「わ、わからん――」
ルークは首を振ったが、その後にゾラの目を見ることが出来なかった。
卓の木目を見つめたルークの耳に、ゾラの声が響く。
「で、では実験を……」
ゾラの声は掠れ、ささやきに近いものであった。ルークは恐る恐る卓から目を離した。
ゾラは目を閉じ、口を開けていた。厚い唇があき、口内が見えていた。つややかな白い奥歯まで見えるほどに開かれた口からは、唾液で濡れた舌が震え、伸されていた。頬は恥じらいに染まっていた。それは別の何かをこいねがう姿勢にも見える。
ルークは見てはいけないものを見た感覚にとらわれ、目をそらし、口早に言った。
「待ってくれ、ゾラ。クフィヤトに体液をつける前に――その、私との接触を試してみないか」
「え、ああ。そ、そうですね」
ゾラは薄目を開け眉を上げたが、舌を慌てて引っ込めると頷いた。
ルークは口元を手で押さえ、言い訳のように聞こえないか不安を覚えながら告げる。
「鍔の色が接触だけで変わるのであれば、体液をつける必要は無い……それに、ゾラ。エカテリニのことを考えると、普通に……口づけ程度で良いはずだ」
ゾラが息を呑んだ。頬に浮かぶ恥じらいの紅はさらに赤みを増し、耳まで広がった。
「そう、そうですね――っ。では手、手を拝借しても良いですかルーク」
先ほどのルークと同じく、ゾラも早口で告げた。何かを打ち消すような調子で彼女は伝え、ルークへと手を伸した。
ルークは掴まれた手にわずかに身震いをしたが、抵抗すること無く、もう片方の手でクフィヤトを掲げた。ゾラにも鍔の部分が見えるよう、卓の上に置く。
二人の視線は鍔に注がれた。
ゾラの手とルークの手の間に熱と汗が生まれる。ゾラの指の腹はなめらかであった。汗と熱で一体となる。ルークは手の甲になめらかさが移る感覚を覚えた。
だが、クフィヤトの鍔に変化はもたらされない。
「――だめか」
ルークがつぶやく。わずかに落胆の色を伴った声に、ゾラは淡々と告げた。平静を装った声であった。
「では――」
ゾラは舌を出そうとし、慌てて口の中に収めると、卓上のクフィヤトに向けて、身をかがめた。ゾラの横髪が引力に任せ垂れた。右手でかきあげ、幅の狭い、厚い唇をすぼめる。
卓に粘質の、口づけの音が響いた。
ゾラが頭を上げた。
おずおずとルークは鍔をのぞき込み、やはり、と頷いた。クフィヤトの、鍔の意匠は色づいていた。
ゾラがハンカチで口を拭きながら、眉をひそめる。
「色が薄いですね……?」
「確かに」
「つまり……一度、た、体液を与えるとそれまでの接触は無かったことになるのでしょうか」
ルークはゾラの独り言に、低いうなり声を上げた。
ゾラが努めて明るい表情を見せる。
「これでクフィヤトの力の出所がわかりましたから、今後の魔物」
「そうなんだが……わかった分、厄介なこともわかった」
「――というと」
首をわずかにかしげるゾラに、ルークは、なるべく言葉を荒げずに、淡々と伝えた。
「ゾラ、君と触れてから一日あまりで鍔の色は消えてしまった。つまり、王都で君に……その、クフィヤトに……してもらっても、他の任地へ向かう間に力が発現しなくなってしまう」
ゾラの眉が下がっていく。彼女の、クフィヤトへ向ける視線はどこか忌々しげなものへと徐々に変わっていった。
「前途多難、ですね」
「すまない、協力してくれたのに」
「いえ、いえ! この程度……お安い、ご用……です」
ゾラの言葉は次第に小さくなっていった。
ルークは彼女に慰めの言葉を掛けるべきか、励ましの言葉を掛けるべきか、口を開き迷った。
しかし、ルークはどちらの言葉も掛けることは出来ず、代わりにゾラが口を開いた。
「今のところは――その、クフィヤトの事は二人だけの秘密にしましょう」
「王にも、だな……」
「え、ええ。心苦しいですが……マルクブルグの沽券にも関わりますので」
ゾラの言い方は迂遠であったが、ルークは意図を察し頷いた。
女の体液を必要とする剣で国を守る。いくらクフィヤトがこれまでの魔剣と一線を画するとはいえ、漏れ伝えられれば皆眉をひそめるであろう。理と知の王であれば、受け入れるやもしれぬ。しかし、周囲の宮廷貴族がどう思うか、民衆がどう思うか。
控えめに扉をたたく音がした。音を合図に、ゾラが窓の外を見た。
「ああ、もうこんな時間でしたか」
正午を過ぎた陽光にゾラが目を細める中、ルークは立ち上がった。
「ゾラにも仕事があるのに、すまない……」
「そういうときは、ありがとうでいいですよ、ルーク」
ゾラは肩越しにルークを見、微笑んだ。
「私の用事も今日で終わりますし……明日、王都に一緒に帰りましょう」
ああ、とルークは頷いた。ルークは次の言葉が口から流れ出ていた。
「ありがとう、ゾラ」
しかし、二人の約束は翌日破られた。
共鳴りの器の響きであった。




