4話:熟した唇は禁断の果実
王が言った。
「宮廷魔法使いのゾラだ……ゾラ、本日の剣術大会優勝者に背を向けるな」
「――失礼いたしました、空間転移魔術は、未だ位置がハッキリしないものでして」
ヒールの音ともに、二つの膨らみ、女、いやゾラがルークの視界から消えた。
ゾラはルークの隣で片膝をついていた。
「ゾラ・ナレルゲールと申します、ルーク・フォン・ブレイシュニヒト様。此のような形での挨拶、失礼いたします」
顔だけを向けたゾラをルークは見た。卵型の顔と、形よく伸びた鼻筋に片眼鏡をかけた女だった。鋭い顎と、切れ長の瞼から覗く碧の瞳が鋭利な印象を与え、青白い肌がそれをより強めた。
しかし、唇。
すべてが細く鋭利な印象を与える中、幅の狭い唇だけが、厚い。艶のある、濃紅を塗ったその唇は、ルークに熟した桜桃を思い出させた。
禁断の果実。
人を破滅へと導く実の、マルクブルク寓話が頭を染めようとする中、ルークは無言のままにゾラに頭を下げた。
王が口を開いた。
「ではゾラ、頼むぞ」
は、とかすれた声をゾラが上げた。腰に下げた革の小物入れに手をかけた。かと思うと、その手に、一振りの剣が握られていた。小物入れより出てくる大きさの剣ではなかった。
魔法に依るものだった。
刃渡りはおよそ大人の半分ほど、紅の鞘に包まれ、鍔には蔦と四季の花が象られた意匠が施されている。
女が告げる剣の名は、淡々としたものだった。
「――クフィヤト。これが二一本目の魔剣です」
ルークは片手で軽々と持つゾラに違和感を覚えた。
「どうぞ、お試しにお持ちください、ルーク様」
しかし、彼女から恭しく差し出されたクフィヤトを掴み、合点を得た。
クフィヤトは、軽かった。
騎士団で使われる剣の、半分程度の重さしか無い。幅の広い長剣であるにも関わらず。眉を上げるルークに、王はおもちゃを見せつけるような面持ちで微笑んだ。
「重さだけではないぞ」
その意を察したルークは、ゾラにも目で合図をし、それからクフィヤトを鞘から抜いた。
両刃の剣であった。大樹のように真っ直ぐに伸びた剣の先端は、緩やかな弧を描いていた。通常の長剣とは異なる。斬首剣に司法剣の型を模していた。幾つもの渦のような波紋を持ち、陽光を浴びた紋は、虹の色を所々に作り出していた。
両際に刃をたたえた、幅広の刀身には銘が彫られている。
――正しいことを行え。私を振るうものに、罪はない。
真紅の字だった。
あたりの空気が歪み、熱を持った。そう感じるほどの格が、クフィヤトにはあった。
吸い込まれるようにルークが紋を見つめるそばで、ゾラの声が口を開いた。
「少し、お待ちくださいませ。ルーク様……刃を立てて剣を横に」
言われるままに、ルークがクフィヤトを構えると、ゾラは一枚の羊皮紙を刃の上に置いた。
置いただけであるのに、紙は、二つに分かれて床に落ちていた。
目を見開き、凝っと羊皮紙を見つめるルークに、王が笑った。
「手入れをしておらぬのに、此の切れ味だ……だが」
眉をひそめた王の言葉を、ゾラが引き取った。
「ええ……しかし、この魔剣の力はわかりません」
「この切れ味が魔剣の力ではないのですか?」
ルークは二人に顔を向けた。
「ルーク様、魔剣は魔術の才のないものでも魔術と同じ……いえそれ以上の力を発するものです。例えば風の刃を起こす、火を生み出す、夜を作るものなど……斯様な切れ味を持つ魔剣は見たことがありませんが、それでも切れ味以上の力を持っているはずなのです」
ゾラの言葉に、ルークはさらなる畏怖を魔剣と、そして魔物どもに覚えた。
そのような力を持ってしなければ屠ることが出来ない怪物たち。
彼の馳せた思いを、現在に持ってきたのは、王の声だった。
「そう。この剣の本性は明らかとなっておらん。だからこそ、このクフィヤトをそなたに預けたいのだ」
慌てて目を向けた王の眼差しは、強い光を持っていた。
「東方騎士団で誰よりも武功を上げ、この国において卓越した剣技を持つそなたに」
剣を鞘に納めたルークは、真っ向からその視線を受け止め、そのときには頷いていた。
「御意のままに」
王からの期待と誉れある放浪の鷹への入団。畏怖と不安よりも高揚が先立っていた。
「そなたほどの剣技なら、クフィヤトの力が分からずとも生き残れるだろうが……苦労をかけるな」
王が苦みのある笑みを浮かべた。
次話:9/26 20:10更新予定。




