8話:花、菖蒲。
翌日の明け方、ルークは寝床から起き上がった。体は驚くほど軽くあった。疲れだけではない、秘密を抱える重さがわずかに軽くなっていた。鎧を着、クフィヤトを手に取る。鍔の意匠に色付いている事を確かめ、滞在施設を出た。馬を借り、ベレネの城壁へ向かう。
今回の魔物は、主要街道から離れた森を徘徊しているという報告であった。森は主要街道から離れているとは言え、時おり魔物が平野に現れるとも報告があった。
損害をおそれる商人達は大きく迂回路を取らざるを得ない。
街道をルークは進む。昨日、魔物と遭遇した辺りまで馬を進めた頃、咆哮が響いた。
咆哮は二十馬身程度離れた地にある、森の方角より聞こえた。朝焼けを切り裂く咆哮が鳴り止む頃、魔物は姿を現した。
払暁を浴び黄金に光る魔物はルークに気づいたのか、こちらへとまっすぐ向かってくる。
近づいてくる。金色の影を前にルークは馬を下りた。馬の腹をたたき、離れさせる。
体と同じく、呼吸は驚くほどに平常であった。クフィヤトを抜く。
体には炎があった。
昨日の燃えさかる火とは異なる、静かな蝋燭の火であった。
構えた、すでに魔物は五馬身の距離にある。黒き腕を持つ蛇が咆哮を上げる、蛇が首を伸した。大口を開けていた。開けた大口が、ルークを飲み込まんと伸びる。
一直線に迫る蛇の臼歯を前に、ルークは脚を捌いた。半回転。ルークの左手、紙一枚の間隙を残し、蛇の口が通り過ぎる。右手が動いた。クフィヤトが動いた。
――正しいことを行え。私を振るうものに罪はない。
銘を心に刻むのは同時であった。蛇の口の端に、クフィヤトの刃紋がかかる。刃はするすると蛇の口の端、首にかけてを斬り、するすると沈む刃からは生み出されるものがあった。
花。
菖蒲。
紫の花弁が、切り裂いた蛇の首から乱舞する。ルークは廻る。クフィヤトを両手で握った。魔剣を蛇の首に向け、突き刺した。伸びきった首に、『鋭くない』切っ先が埋まる。根元近くまで、クフィヤトが沈む。
蛇の首は太い。大人二人が抱え上げられるほどの太さであった。クフィヤトでは首を寸断することは出来ぬ。
咄嗟にルークはクフィヤトを跳ね上げた。切っ先が蛇の首から、流星のごとく飛び出す。魔物の首に、垂直に描かれた傷口から、花。そばで風圧。右。ルークは視界の隅に魔物の腕が持ち上がるのをみとめ、首から飛び退いた。拳が鼻先を掠め、業風がルークの頭を揺らした。意識が飛びかけるもわずか、天に向け持ち上げたままの魔剣を振り下ろした。
寸断。魔物の手首から先が落ちる。菖蒲が舞う。蛇の断面から飛び舞う紫の花弁に、ルークはゾラの存在を感じた。緩みかける唇を噛み、走り出す。片腕をなくした蛇は平衡を崩し、己が体を支えるのに、時を要した。その隙を狙う。蛇の胴にたどり着く、魔剣を振るう。斬る、斬る斬る、斬る。
菖蒲の紫が黄金の鱗に咲く。止まらない、踊るようにルークは浅く斬りつけていく。切りつけながら、思考の片隅でルークは気づいた。やはり、違う。クフィヤトの力が途切れない。アルの時とは違う。
体中から菖蒲を生やした魔物がうねる。尻尾が跳ねた。ルークの頭上で尾の先端が踊った。
羽虫を潰すように、振り下ろされる尾をすんでのところで飛び避けた。飛び避けると同時に魔剣を振るった。
尾を切り落とす。
咲く、咲く。菖蒲の紫。
魔物が咆哮を上げた。切羽詰まった音に聞こえた。悪あがきのように、もたげた首を振るう。口に並んだ臼歯を見せつけ、大口が上からルークを飲み込まんとする。
降りかかる大口に、ルークに恐れは無かった。ただ冷たく次の動きをとっていた。地を蹴り、五歩下がる。つま先のすぐそばに蛇の頭が埋まる。クフィヤトを逆手に握った。魔物の額に向けて、
「――」
突き刺した。クフィヤトの刃は、魔物の頭蓋に僅かな抵抗をみせた。ルークは全体重を乗せ、蛇の頭に魔剣を埋め込む。
そして、切り上げた。
魔物の頭に、縦の深き切創が咲き、菖蒲の花弁が吹き上げた。花弁はルークを一時、抱きすぐ離れ、夜明けの朝日を浴び、平地に落ちる。
脳を割られた魔物が、一度身を震わせ、頭をもたげようとした。
ルークは構え、呼吸を整える。しかし、地に埋まった蛇の頭はそのまま、力なくうなだれ、菖蒲の花びらを生むだけであった。
ルークは肩を落とし、クフィヤトを収めた。鍔の色を見る。意匠は薄くなりながらも、紫に彩られていた。
その事実は魔剣についての確信を、ルークに一つもたらした。しかし、ルークは眉をしかめた。




