7話:明日、もう一度向かう。
「し、しかしこれはまだ仮説。――その。一度実際にクフィヤトが仮説に従うのかどうかを確かめねば」
表情を曇らせたのは、ゾラだけでは無かった。ルークは眉をひそめ、顔に熱が点るのを感じながらも、重く口を開いた。
「そう、だな――」
「私の血ならいくらでも」
「だめだっ」
ルークは声を上げ、ゾラが肩をふるわせるのを見、首を振った。
「す、すまないゾラ。驚かせるつもりは無かったんだ。ただ誰かが傷つくところを見るのはやはり辛い――」
「そ、そうですよね」
「それに毎回、君に血を求めるのは、君自身にも痛みを伴う」
「あ、ありがとうルーク……傷をつけず、すぐに出せる体液、となると」
ゾラはそれ以上言葉を告げなかった。ただ、常は青白い卵型の顔は紅く燃え、目は潤んでいた。
彼女の喉が動き、音を立てた。
ルークは顔を覆い隠す。自身で言うことははばかられた。しかし、彼女に言わせることは彼の倫理と矜持が許さなかった。葛藤の末、ルークは、
「――ああ、ゾラ。それしかない」
曖昧に言葉を濁し、クフィヤトを手に取った。
「わかりました――鍔で、いいですか?」
無言で頷き、ルークはゾラに鍔を見せた。
ゾラはおずおずと口を開け、熟した桜桃にもにた唇が歪む。白い小粒の歯が覗き、その合間から、濡れた舌先が出てくる。ゾラの唇と同様、紅い舌であった。魔石ランプの明かりに照らされた舌はわずかに震えていた。尖った、細身の舌が伸ばされる。
ルークは顔を背けた。彼女に対する礼儀からであった。
ゾラは上体を乗り出した。頬は恥じらいの紅に染まっていた。丸く開けた口からは、吐息が漏れる。吐息は断続的に、彼女の口から漏れていた。時折ルークの手の甲が吐息に撫でられる。
男の体毛は女の吐息になぶられていた。
ゾラはさらに上体を伸ばした。震える舌が何かを探るように少し動いた。
「あッ……」
ゾラが声を上げた。
「る、ルーク……どれくらいつければ、良いのですか……?」
「ほんの少しで……先っぽだけで」
目を閉じたルークには、ゾラがどのようにクフィヤトを舐めているのか、判ずることが出来なかった。舌を這わせ、慰撫するように舐めあげて、唾液の跡を残しているのか。それとも初めての経験ゆえに舌先で、ちろちろと鍔を舐め上げているのか。頭の中でかぶりを振る。ゾラがそのようなことをするはずが無い。
ゾラが息をはいた。
「お、終わりました……」
ルークはゆっくりと目を開け、おそるおそる彼女へ顔を向けた。ルークが目を閉じる前後で、ゾラの姿勢には変りは無い。膝に手を置き背を伸していた。ただ、顔はより一層紅く染まり、瞳は潤んでいた。濃い紅の唇は、唾液でつややかに、艶めかしく濡れていた。蜜でしとどに濡れた花を思い浮かばせる唇であった。
ルークは再び彼女から目をそらした。視線の先はクフィヤトの鍔にあった。
鍔には四季の花を模した意匠がある。花の一部が紫の色に彩られていた。
「――変わっているな」
「やはり、仮説は当たっていましたね」
ゾラが安堵の息をこぼす中、ルークは無言で頷いた。安堵と悔やみが入り交じった複雑な思いを抱え、彼は鍔を見つめるうちに声を上げた。
「色がはっきりしている、気がする」
「どういう事でしょう?」
「わからない……ただ、アルのときよりは濃い色が付いていた……色も違う。あの時は、うっすらとした黄色だ」
ゾラは口元に手を持って行き、目を卓へとむけた。
「つまり、女性によって色が違う――色で傷から出る花も違う」
「そうだろうが……花の種類が違うことが、何の意味をなしているのかはわからないな」
「それでも、大きく前進しましたよ。クフィヤトの力の源がわかったのですから」
ゾラは早口に言った。興奮を抑えきれないように、目を見開き、ルークとクフィヤトを見つめていた。
「やっとルークの役に立てましたね……」
ゾラは胸に手を当てた。微笑む彼女にルークは首を振った。
「違うさ、ゾラ。君はずっと役に立ってくれていた。今日、魔物から助けてくれただろう」
「――そういえば、そうでしたね」
ゾラが吹き出した。ルークも、笑い声を上げていた。
笑いが止んだのは、窓の外から響く咆哮であった。
かすかに聞こえる魔物の咆哮にルークは口を引き結んだ。
「明日、もう一度向かう」
ゾラが唇を噛んだ。
「私も手伝えれば良いのですが……高純度の魔石はあれ一個だけしか持ってこなかったのです」
「ゾラ、君は自分の仕事をしてくれ。私は、放浪の鷹として、任を果たす」
ゾラは微笑むルークを見つめた。
ゾラの切れ長の瞳に、ルークは笑みを止める。頷いた。
「――大丈夫だ。危なくなったら、撤退する」
昼間の言葉とは異なった響きであった。
ゾラは今度こそ微笑み、頷いた。




