6話:椅子の悲鳴は悦楽を伴っていた
ルークは口ごもった。
「クフィヤトを使うには鍔に色が付いている必要がある。だが」
言葉を絞り出そうとする。理性と僅かな矜持が思考と言葉を遮り、それは拳の震えとして現れた。
ルークは自身の手を見つめ、震えを抑えようとした。焦りとそれを遠くから自嘲している己を感じ、なおも掌に力を込めようとしたとき、視界に白の影が入り込んだ。
ゾラの手であった。
ゾラはルークの震える両拳に、青白く、細い両手の平を重ねた。
「ルーク」
ルークは顔を上げた。ゾラの眉は下がり、切れ長の瞳が潤んでいた。唇は震えている。
「ゆっくりでいいんです。待ちますから」
ゾラの指先はわずかに湿っていた。手の甲に彼女の湿りと柔らかさを感じた。わずかに冷えた指先は、ルークの握りしめた拳の熱を冷ました。
僅かな間があった。
「クフィヤトの――」
ようやっとルークは口を開くことが出来た。彼女の指先からはすでに冷えを感じなかった。ルークの熱と彼女の熱が一つとなっていた。彼女の指を見つめ、ルークは、
「クフィヤトの力は、じょ、女性の体液だ」
ようやっとそれだけを口にしうつむく。恥辱があった。秘匿していたという自責があった。口にした後には僅かな解放と恐れがあった。
ゾラの返答は、無言であった。
だが、彼女は手を、ルークの拳から外すことは無かった。彼の手を強く握っていた。
「た、体液――」
「ああ」
そう……、とゾラがつぶやいた。危惧を抱きながら、ルークは彼女の顔を見た。
ゾラは青白い頬に紅を浮かべていた。片手は顎にあり、何事かを思案する仕草をみせていた。
しかしそこに嫌悪の表情は無かった。彼女が静かに言った言葉は、ルークに驚きをもたらした。
「――ありがとう、ルーク」
「何故、君が感謝するんだ」
言葉を深く咀嚼する前に、ルークは告げていた。ゾラは、わずかに唇を曲げていた。
「貴方が言い出せなかった気持ちは……よくわかります。言ってくれたことがうれしいんです」
一つ一つ区切るようにしゃべる彼女の言葉に、ルークは息を吐いていた。自身が浅く呼吸をしていたことに気づき、その後で拳の震えが止まっている事に、改めて気づいた。
ゾラの手は離れない。
「つらかったんですね」
淡々とした言葉であった。しかし、その言葉が決壊となった。ルークは顔を伏せた。己が目と鼻に熱きものを感じ、それでも手で拭うことは出来なかった。彼女の手は離れがたかった。
嗚咽がやむ頃、ゾラが手を離した。ルークは目尻に浮かぶ水滴を拭った。
「すまない――みっともないところをみせてしまった」
「みっともなくなんか無いですよ。ずっと抱えてたんですから……その、体液のことを」
ゾラはなおも青白い肌に紅を浮かべ、腕を組んだ。均整のとれた美しき釣り鐘が腕に持ち上げられ、二の腕に挟み込まれる。彼女のシャツは、第一ボタンが開けられており、あの黒子と鎖骨がかいまみえ、デコルテに僅かな渓谷のきざはしがのぞき始めていた。きざはしはみるものに何かを埋めたいような誘いを伴っており、妖しく微笑んでいた。
ゾラは右の指先を自身の唇に当てながら、眉をひそめた。
「しかし、体液ですか――血の事でしょうか」
淡々とした物言いに、ルークは舌をもつれさせながら、
「い、いや血もある。最初はレガンテで――」
これまでのクフィヤトの発現を思い返し、彼女に伝えた。ゾラはルークの言葉を聞く売りに、眉をひそめた。
「つまり、クフィヤト自身に血、唾液等が付けば鍔に色がともる、と。アルの場合はよくわかりませんが、おそらく鼻血でしょうか―」
「多分そうだ。あのとき私はアルが鼻血を拭った手を握った」
ルークは平静に答えることが出来た。ゾラが足を組み替え得心したように頷くのを見届け、さらに続ける。
「それらを通して、これまで女性の体液にしか〝これ〟は反応すると思ったのだが……一つわからないことがある」
ルークはクフィヤトを忌々しげに見つめていた。王より賜れた魔剣を。
ゾラは足を再度組み替え、頷いた。ゾラの下半身に宿る双臀と太ももは、座ることによりズボンにぴったりと張り付き、布越しに下半身の動きを克明にみせた。ゾラの重みに、備え付けの椅子が軽く悲鳴を上げた。椅子の悲鳴は悦楽を伴ってはいたが、それでもな質実剛健な椅子の広き座面は、ゾラの満月と見まごう双つの臀部を支え、ニスが塗られ、ぬらぬらと光る逞しき脚部はわずかに動くだけであった。
ゾラが口を開いた。
「わからないこと……三代目放浪の鷹が連れていたという、従者のことですね」
「ああ。従者は男で間違いないのだな」
「ええ。ですが、私はわかりましたよ」
ルークは身を乗り出した。ゾラは苦笑交じりで告げた。
「すみません。私も言葉が足りておらず……三代目のことを告げられていない事がありました」
「何か知っているのか?」
「ええ。貴方がアレンヌに行っている際に見つけたのですが――三代目は女性でした」
ルークはオウム返しに、女性、と口にしてしまっていた。同時に全てがつながる感覚を得、椅子に深く腰掛けていた。
「クフィヤトは女性の体液に反応するわけでは無い――」
こぼした言葉をゾラが拾う。
「ええ。所有者とは異性の体液がクフィヤトについた時に、鍔に色がともる」
ゾラはそこで、表情を曇らせた。




