2話:騎士はティーカップに写る双丘を前に微笑む
ルークは客間にて一人通された。客間の漆喰壁にはレンガ造りの暖炉が饐えられている。暖炉の上には幾つかの肖像画が掛けられていた。エカテリニのみよりも、父母、弟のマルクととも描かれている絵が多い。天井には灯の入っていない魔石ランプが数個つられていた。柵木は初夏に近づきつつある陽光に反射していた。
綿の詰まった、背もたれ付きの椅子にルークは深く腰掛け、わずかに開けられた窓から入る風にカーテンが揺られるのを見つめていた。ルークはどこか肩のこわばりがとれていくのを感じた。このときばかりはクフィヤトについて忘れていた。
両開きの客間扉の向こうから、エカテリニの声が響いた。
「お待たせいたしました」
扉が開く音ともに、イザベラとエカテリニが連れだってルークの元に歩む。見慣れた白のドレス、紅のドレスを来た二人がしずしずと歩むさまに、ルークは慌てて立ち上がった。
エカテリニは音を立てて立ち上がる男に、笑いかけた。
「ごゆっくりなされてくださいな」
彼女はイザベラにも座るよう身振りで促すと、引力に負けるほどの双丘が、僅かに震えた。
「今、お茶をお持ちいたしますので。南方から取り寄せた青の茶ですの」
イザベラは使用人を呼び、程なくして玻璃のティーカップに入った紫の茶と、焼き菓子がルーク達の前に並び、それぞれが青の茶を口元に運んだ。
茶の品評もそこそこに、ふとイザベラが口を開く。
「先ほど初めてと云いましたが、お二人とも初めての時はいかがだったのでしょう?」
ルークは玻璃のティーカップを置く際に音を立ててしまった。初めての時。違う。剣を初めたての頃のことだろうが。ルークは叱咤した。己を。
全ては二人の花から漂う白粉と香りのせいだった。先ほどの剣の指南で火照るものを抱えているのか、汗の香りを気にしたのか、女達は香水を僅かに強く効かせていた。汗と混ざり合う、二種の香りがルークの鼻腔でせめぎ合っていた。それはルークの内心でも理性と何かをせめぎ合わせる結果となっていた。
エカテリニが目線を上に向けた。彼女は茶褐色の唇を一度噛んでから、口を開いた。
「私は七つの頃より剣を始めましたが――恥ずかしい限りの乱暴者で」
「せっ先生がですか?」
「ええ。剣を習っていたのですが、あの頃の私は多少あった才に自惚れていました。才を操る器こそ大事ですのに、同い年の子をたたきのめすことに喜びを感じていたような」
「今のエカテリニ様からは考えられませんね」ルークは僅かながら身を乗り出していた。
エカテリニは僅かに目を伏せ、頬に紅が咲いた。
「成長するにつれて、その――年齢や体力にも違いが出てきますわ。私より遅れて才が伸びた者も多々ありました。伸び悩んで、自分の愚かさに気づきましたの」
「で、でもそのおかげで先生は今のようにお強くなられたのですよね?」
「そうですが、恥ずかしい――」
イザベラの取りなしにエカテリニは頷いたが、その顔は両手のひらで隠されていた。胴に寄った二の腕はエカテリニの二つの鞠を挟み渓谷を深めていた。
渓谷は二の腕の動きとともに僅かに形を変え、エカテリニの呼吸が鞠の変化を不規則なものとしていた。彼女の豊かな二つの丘の変化する様は、ティーカップの水面にも映り込んでいた。
ルークは彼女のティーカップを見つめ、僅かに微笑んで告げた。
「意外な一面ですね」
やにわにエカテリニは手を顔から離すと、ルークを見つめ、
「ルーク様のお話もお聞かせいただかなければ――ねえ、イザベラ様」
紅潮した顔にエカテリニはどこか愉しむような微笑みを浮かべた。イザベラも同様の笑みであった。
「そうですね、せっかくなのでお聞かせください」
「私の話など――つまらない物ですよ」
ルークは話した。
「父に剣を教わり、私自身も剣にのめり込んだけのことです。できの悪い息子でしたから、父にはよく叱られましたが」
父の厳しい叱責を思い出し、ルークは笑って続けた。
「――それから村を出て、一人の師にであい、やはりそこでも叱られ通しでしたね」
「ルーク様でも怒られていたのですか?」
「ええ。師にはお前は読みやすすぎると良くはたかれました。かんしゃく持ちでしたからね、私の先生は」
ルークはそこまで語り、茶に口をつけた。
「最後の言葉は内密にしていてください。師の癇癪が爆発してしまう」
イザベラのクスクスとした笑いにルークは微笑み返し、背もたれに身を預けた。
語らないこともあった。
村はもう無い。ルークが九つの頃、流行病が村に蔓延した。ルークだけが生き延びた。父の旧友にあたる師の許へ転がり込んだ。全てを忘れる為に、剣に打ち込んだ。剣では救えぬ物を抱えて。
あの当時の後ろ暗さを忘れる為、ルークはエカテリニに聞いた。
「そういえば、イザベラ様に教えていたのはエスクリムではないのですね」
「イザベラ様は自身と領民を護るための剣を習いたいと仰っていましたから――屋内競技のエスクリムよりも、細身の剣の扱いが良いかと思いましたの」
エカテリニは応えると、イザベラを見つめた。
「イザベラ様は覚えが早いので、ついつい私も教えすぎてしまいますわ」
「そ、そんなことは。先生に教えていただいたことの半分も出来ておりませんし」
頬に紅が差すのは、イザベラの番であった。
「いえ、それを理解していることこそが大事なのですよ――大抵の方は、出来ることに気づくので精一杯ですから」
「確かにそうですね。『できたと思うな』と師に私はよく怒られていました」
エカテリニの微笑みとルークの同調に、イザベラは両手で頬を押さえた。
「せ、先生、ルーク様。そのようなことを申されても、私どう応えて良いのか――」
イザベラが身を揺すり、それでも口の端を緩ませる様に、男女は笑い合った。
半分刻ほどの歓談を終えた頃、平穏を破ったのは、共鳴りの器であった。
客間に響く共鳴りの器の音はルークを現実に引き戻した。顔を引き締めざるを得なかった。
「イザベラ様、エカテリニ様、申し訳ありませんが――」
ルークの断りに二人の女は僅かに名残惜しげな表情を見せたが、すぐに頷いた。
お気をつけて、と重なるエカテリニとイザベラの言葉と共にルークは立ち上がり、邸の玄関へと脚を進めていった。




