8話:2つの花
夜明け前にルークはアレンヌ村を発った。一人であった。アルは怪我の具合を確かめるため、アレンヌで半日ほど休息することとなったのだ。
村にある共鳴りの器で魔導院には伝達済みであった。
昼過ぎ頃に魔導院に到着したルークは、顔なじみとなった事務方にアレンヌの件を伝え、院を辞した。此度は、ゾラとの面談は無かった。
ルークは同僚の顔が見えぬ事に僅かばかりの寂しさを感じたが、同時にどこか安堵をしていた。クフィヤトに関する隠匿が、影となってあった。
魔導院から宿舎へと向かう道中は通行人がちらほらと見えた。レンガ舗装の道では、パンを抱えた女、御者に伴われたロバが金物を摘んだ荷車を引き、露天商が西方の隣国から取り寄せたという小間物を片手に、通行人に声をかけている。
みな、顔に険がとれていた。戦時中は笑顔の者も、どこか後ろ暗いものを表情に貼り付けていた。戦が終わった事を皆が実感しつつあった。
道の光景に、ルークは我知らず表情を緩めていた。なぜここに寄り道をしようとかは、己でも定かでは無かった。クフィヤトに関する自責から逃れるためか。
ルークは僅かばかりの間、亡くなった戦友達を思った。天上の門で健やかに暮らす事を願い、踵を返した。
車輪の、レンガを転がる音が彼の背後で響き、同時に馬のいななきが聞こえた。何事かとルークが肩越しに顔を振り向くと、馬車が止まっていた。
馬車は貴族用の箱形馬車であった。扉が僅かに開いた。
「ルーク様――」
馬車の、わずかに開いた扉の向こうから。、どこか聞き覚えのある、ざらつきを伴う声が上がった。膨らみの無い、体に沿った白のスカートが見えた。
「やはり、ルーク様でしたか」
女は馬車のタラップを降り、告げた。
ルークはぬばたまの巻き毛を垂らした女の姿に、目を奪われた。
「エカテリニ様。何故こちらに」
ローシャの領主代理との会遇に動揺の声を上げたが、馬車から現れた、もう一つの姿に、ルークは鼓動が早まるのを感じた。
「先生、言ったでしょう? ルーク様だと」
イザベラであった。見まがうことの無い紅のドレスであった。
「何故……」
ルークはどの質問からすべきか、口ごもり、二人を交互に見ることしか出来ずにいた。
イザベラは頬を紅潮させ、満面の笑みを浮かべていた。
「思いもよりませんでしたわ、先生もルーク様とお知り合いだったなんて!」
「先ほど知ったときには私も声を上げてしまいましたの――ねえ?」
エカテリニとイザベラが笑いあう。ルークはもつれる舌を動かし、
「な、何故エカテリニ様と、イザベラ様が」
「ルーク様、この間言いましたでしょう、剣を習うと。剣の先生がエカテリニ様なんです」
「――ええ、恥ずかしながら、わたくしは王都でエスクリムと護身術向けの剣の扱いを教えておりまして」
エカテリニは言葉を切り、僅かに両眉を上げ、手の甲を口に当てた。
「し、しかし領主代理だと伺ったのですが」
「ああ――あれは魔物の報を聞き、マルクも怪我をしたので当面の間、実務を取り仕切ったまでのこと。元々はこちらで、マルクも大分回復いたしましたから、戻ってきたのですよ」
エカテリニは茶褐色の唇を、慎ましく曲げた。
ルークはローシャを出立する際の会話を思い出した。
――ええ……お近いですし、いつでもお越しになってください、ね?
「なるほど」
ルークは動揺の波を抑えて、頷いた。知り合いの女性二人に対する、いわれの無い罪悪感を感じながら。
イザベラが両手を打ち鳴らした。碧の瞳は見開かれ、頬は紅潮していた。
「そうですわ、ルーク様! よろしければ是非、あした私の――いえ先生のご指導を見てくださいな、先生は教え方がとてもうまくて感激いたしましたの」
「イザベラ様、ルーク様にも任がありますし、お疲れでしょう、ご無理を言うのは……」
エカテリニは口元を綻ばせていたが、下がり眉の間が僅かに寄っていた。
イザベラは僅かに口ごもり、目を見開き、
「そ、そうでしたね。でも、先生もまたルーク様と剣のお話をしたいと――」
交互にルークとエカテリニを見る。
彼女の姿に、ルークは自身の中に名付けえぬ圧が生まれるのを感じたが、それを押し殺した。彼は、ただ剣について考えた末、首肯した。
「明日ならば、問題ありません。是非に。私もエカテリニ様のご指導風景に興味がありますので」




