6話:振るう、斬撃、廻る薙ぐ。
逡巡の時は一呼吸も無かった。アルは頷いた。
「わかった。すまないルーク。お互いがすべきことをすべきだったな」
アルが右手を差し出した。
ルークは彼の手を握り返しながら、頷いた。視界の端ではすでに、魔物が近づいてきている。
二人の手が名残惜しげに分かれる。ルークは踵を返した。クフィヤトは抜かなかった。魔物へ向けて走る。ただ走る。
魔物の背にある眼が瞬きをした。ルークの頭上から音がした。岩であった。放物線を描く岩を避ける。再び岩、岩。一つは転がり、ルークの傍におちた。もう一方が頭上から飛来する。足に力を込め、走ろうとした。
だがそれよりも早く、ルークの頭上で弾ける音がした。アルだ。氷塊が、岩を弾き飛ばしたのだ。
ルークは口を開く代わりに、胸の内で背後のアルに謝意を告げた。再び立ち、走り、魔物の足下にたどり着き、ルークはクフィヤトを、抜いた。
ルークの構えは、これまでの構えより、より一層変化をしていた。右手だけで握り、体から離すように構える。切っ先を突きつけず、正面の魔物にクフィヤトの銘を見せびらかすように持つ。斬首剣のような、大ぶりの剣には似合わぬ構えだった。クフィヤトの軽さだからこそ出来る構えであった。
ルークは前に出した左足を起点とした。腕を動かす。右足を出す。袈裟切りに、眼前にある魔物の足に切り込む。
いつもと違わずするするとクフィヤトは魔物の丸太のように太い脚に、刃をうずめていった。しかし、魔物の巨躯を支える脚は太く、骨も太い。骨にクフィヤトが食い込みかける。
まずい。
右手を引いた。釘を抜くように、クフィヤトを魔物の脚から引き抜いた。骨に噛んでしまえば、抜くことに時間を要するはずであった。
魔物の脚から血が噴き出すのは、クフィヤトを引き抜くのと同時であった。
花は咲かない。
歯がみをしたルークは、クフィヤトに僅かな期待をしていた事に気づいた。それは次の斬撃で過去のものとなった。
クフィヤトを引き抜く勢いを殺さず、腕を回す。斬る。左に袈裟懸け、浅い。血。ルークの鎧に魔物の血しぶきが張り付いた。汚れを防ぐ魔術印が血を流す中、魔物の脚が震えた。
傷ついた脚を持ち上げていた。跳んだ。踏み潰さんとする魔物の足裏から飛び退いた。
たたらを踏むように、魔物が地を踏んだ。地響きがルークの足裏に伝わる。頭上で音がした。視界の端に氷塊が跳ぶのが見えた。氷塊が魔物の背に当たる。
アルの援護に魔物の体が揺らいだ。ルークは好機と捉えた。駆けた。別の脚に近づきクフィヤトを構えかけ、目を見開いた。
クフィヤトの鍔、花の意匠が再び彩られていた。
「――お前は」
いつ魔剣が彩られたのか、考える暇は残されていない。ルークは構え、胸の内でつぶやいた、苦々しく。
――正しいことを行え。私を振るうものに罪はない。
振るう。
斬撃。
そして、花。
菜花が、魔物の脚に咲いた。
ルークはクフィヤトに関する、二つ目の確信を得た。それは閃きだった。これまでの魔物との戦いを通じた、勘であった。
クフィヤトは、銘を心に刻まなければ、力は発しない。
ルークは確信の余韻に浸らず、クフィヤトを振るった。
それは舞いにも似た動きだった。左足を軸に、回転するかのようにクフィヤトで横に薙ぐ。斬る。菜花の密やかな花弁が、魔物の脚に生まれる。再生しないことがわかった以上、大きく深手を負わせる必要は無い。魔物の脚をころす。
廻る。斬る。次の脚に向かう。斬る。廻る。それはつむじ風の動きだった。ルークは魔物の六本ある脚全てを刻み、刻み、斬った。その間にも、頭上からアルが撃ち出す氷塊が飛来し、魔物の背に当たり、硬質の皮膚を吹き飛ばした。
周囲に氷の破片と黄の花弁が入り交じる。
その中心に、ルークという独楽はいた。
「――ルーク!」
アルの叫びが聞こえた。廻りながら、ルークは流れる視界の中で、糜爛した魔物の背を見つけた。独楽の動きを止めず。ルークは今初めてクフィヤトに左手を添えた。逆手に握る。
大上段に構えた。魔物の血管が浮く、皮膚の見えぬそこに魔剣を突き立てた。
雄叫びを上げた。弧を描くクフィヤトの切っ先が、糜爛の皮膚に深く沈む。そのまま、切り下ろした。
深い刺突と斬撃が、糜爛の皮膚に大きな傷口を開けた。傷口がルークの目に映ったのは、僅かの間であった。一斉に血が傷口からあふれ、噴水となった。
――花に、変わらない?
ルークは鮮やかな血の噴水を避け、鍔を見た。色が失われている。考えを押し殺し、踵を返した。アルの名を呼ぶ。
すでにアルは構えていた。脚の痛みか、その顔はゆがんでいたが、なお彼は突きをくりだした。
ロデムの切っ先が、虚空を突く。太く逞しい、光る氷の杭が産れる。一直線に、ルークがつけた、魔物の傷跡に向けて放たれた。
轟音が響く。
大人の腕ほどもある氷の杭が、魔物に突き立ち、なお魔物が叫ぶことは無かった。ただ大きく痙攣をし、力なくその場に伏せた。
魔物の脚は六本とも、僅かに動いていたが、それは数呼吸の間だけであった。
魔物が変わる。
花に、変わる。
野趣のあふれる、菜花の花弁に。
ルークは構えを解き、肩の力を抜いた。アルへと頷いてみせる。
「――やったか」
アルがロデムを収め、ルークへと歩もうとした。
「無理をするな、アル」
ルークは虚脱を感じながら、アルに肩を貸した。アルは薄い唇を曲げた。
「すさまじいな――お前は」
ルークとアルの、お互いの顔は、頬が触れあわんばかりの距離であった。きめの細かい透明なアルの肌から、香りが立つ。同じ男とは思えぬほどの、どこか甘くかぐわしい香り、汗の匂いを感じながら、ルークは微笑み返した。そして首を振った。
「違う。アルの力があってこそだ。私は助けただけにすぎない」
「謙遜しないでくれ。先輩面をした私が恥ずかしくなる――」
アルは口を引き締めていた。軽く伏せた目の上では、眉間が寄せられていた。
ルークは己が首に回された、アルの腕、寄り添った彼の体が華奢であることに気づいた。驚きを感じながらもルークは言葉には出さなかった。虚脱と達成感の中、努めて明るい笑みを浮かべ、
「では二人の力ということにしよう」
アルを支えて歩き始めた。三回目の虚脱は、眠気こそあるものの、耐えられぬほどではなかった。どこか感覚と意識が遠くに置き去りにされた思いを伴い、ルークは歩く。
「――惚れたよ」
傍らで、アルの声が聞こえた気がしたが、ルークは慎重に歩みを進めることに注力し、答えることは出来なかった。




