3話:妖しく明滅する紫の瞳
自室に戻ったルークは、クフィヤトを寝床に放った。王より賜った魔剣であったが、心を落ち着ける余裕はなかった。
ゾラの言葉を思い出す。少年。それはルークの想像を超えていた。
レガンテとローシャで、クフィヤトの力を発現させる――鍔に色をともす方法は感覚として理解していた。
おそらくクフィヤトは、女性の体液を必要とする。だがそれがわかったとしても、ルークにはゾラに言うことが出来なかった。体液、イザベラの血、エカテリニの唾液、それを求めろというのか。
ゾラに告げれば、喜んで出してくれるのかもしれない。他の者も。
しかし、それは人としてどうなのだ。
血液はもってのほかであった。魔を切るために、血を流す者がいる。では、唾液を貯めて持ち歩く?
ゾラに頼み、小瓶にすぼめた口から唾液を流し、尖らせた舌先から流れる粘りのあるそれを瓶で受け止める。
ルークは眉をひそめた。そして、己の血液が使えないことを恨めしく思った。
そしてゾラの少年という言葉。他の者の体液ならば何でもいいのか、とも考えたが、それならば、もっと早くにクフィヤトの力が判明してもおかしくはない。
ルークは疑問と倫理に乱れる心を抑え、クフィヤトを改めて見つめた。ルークは魔剣に向けて言った。
「なにが、正しいことを行え、だ――」
声は苦々しさを伴っていた。そして、力を使うことを考慮から外した。己の剣技を高める。クフィヤトの花を必要しない段階までに。
そう考えるしかない。どちらにせよ、クフィヤトの力について考えを進める暇はなかった。
二日後、魔剣使いと会う。
***
二日後、ルークはアレンヌ村付近まで馬を進めた。馬に揺れるルークの体は、心と同様であった。疑問と倫理の乱れは消えず、時おり馬が身震いするかのように、ルークの表層に現れた。
マルクブルク王都を出立するまでの間は、乱れをかき消すつもりで、ただ剣の構えに研鑽した。一日半の研鑽でも、乱れは消えなかった。
ルークは新たな構えを思い出し、胸中の乱れを追い出すつもりで首を振った。遠くにはアレンヌ村がすでに見えていた。あと四半刻もすれば村にたどり着くだろう、とルークは目算した。
山脈の麓にあるアレンヌ村は、鉄と石の村だった。山に囲まれるようにして存在する、小さい村であった。山の中腹あたりでは暗い穴蔵が幾つも空いている。穴より石をうがつ音が絶え間なく響いていた。スレートと呼ばれる石と、鉄の採掘場である。村の奥まった山に近い場所では、黒い煙が一筋、蒼天に向けて伸びていた。鍛冶を行っている証しであった。
鍛冶は剣を作る事を主な仕事にしていない。生活の要になる槌や釜、鍋などを中心に鍛造していた。
ルークのもくろみ通り、アレンヌには昼前に到着した。ルークが村長の屋敷まで馬を進めると、屋敷の前に馬が一頭結わえられていた。
屋敷の前では馬だけでなく、男もいた。馬に飼い葉をやっている男に、ルークは声をかけると、男は村長の息子であった。彼に案内され、ルークは客間に通された。客間は装飾のほとんど無い、素地作りの板の間であった。同じく素地がむき出しの長椅子と低い卓が置かれており、ルークと同じ鎧を纏った放浪の鷹が座っていた。
背を向けていた騎士はルークが開けた扉の音に、ゆっくりと立ち上がり、ルークへと向き直った。
「ルーク・フォン・ブレイシュニヒトだな。ゾラ宮廷魔道士から聞いている」
振り向いた男の背は、ルークよりも高くあった。白金の前髪は眉のあたりで切り揃えられ、後ろは膨らみを持たすように刈りそろえられている。顔は整っていた。細い眉は柳の様に孤を描き、閉じかけたような目蓋の下から紫の瞳が覗いている。細面の、中性的な顔立ちだった。
高めの声ながらも砂の響きを持つ声で、ぶっきらぼうにアラインは告げた。
「私の名は、アライン・ドゥ・エールリッヒ。アラインでも、アルでも良い」
「承知した――では、アルと呼ばせてもらう。私のことはルークと。今回はよろしく頼む。」
なぜかルークは安堵を感じ、手を差し伸べた。だがアルは暫く手を見つめ、顔をそらしただけであった。
ルークは空を切る右手を見つめ、アルへと視線を動かした。
アルの横顔には嫌悪も、怒もない。ただアルは腕を組み、ルークから顔を反らせたままであった。
客間の静寂を破ったのは、村長の声であった。初老の、白鬚を蓄えた男だった。
「ああ、放浪の鷹どの。よう来てくれました。けが人の手配で、バタバタしてもうて。お待たせして申し訳なかんべ」
アルは村長に首を振ると、名を告げてから座った。
「構わない。魔物の事について、聞かせてはくれないか」
ルークの時と同じく、やはりぶっきらぼうにアルは尋ねる。隣に座るこの中性的な顔立ちの男を見つめながら、ルークは怪訝な思いにとらわれていた。
タヴェルネでゾラから聞いたときには、この男は面倒見の良い人物と言うことであった。だが、第一印象が異なる。ルークは村長とアルの話を聞きながら、この仲間をどう取り扱って良いのか迷った。
「――では、これより征伐に入る」
惑ううちに、アルは村長よりひとしきりの話を聞き、頷いた。あまりに速い同僚の決断に、ルークはアルを見つめたまま、僅かに目を見開いた。
アルは横目でルークを見る。紫の瞳はどこか冷たい物を感じさせた。
「何か、おかしいか」
これまでと同様、同じくぶっきらぼうな言い方であった。魔石ランプを節約した村長の客間において、アルの瞳は冷たくもどこか妖しく明滅していた。男にしては長い白金のまつ毛を通した瞳は、レースに包まれた禁忌のアメジストであった。
ルークは顔をしかめ、僅かに首を振りかけた。アルへの返答になりかねないと気づき、ルークは咳払いをした。
「いや――ああ、そうだな。問題が無い。村の者の不安を取り除くのは、早いほうが良いだろう」
「では行こう」
アルは立ち上がると、ルークを見下ろした。
「だが――その前に村長、裏庭があるだろう。借りても良いか?」
「へえ? まんず問題ねえけど」村長は声を上ずらせながら頷く。
アルはルークを見下ろしたまま、頷いた。
「ありがたい。ルーク、来い」
長身の同僚の影に隠れたルークは、紫の眼を受け止め、ぎこちなく頷いた。
一抹の影を胸に抱えながら、すでに客間を出て行くアルの背を追いかけた。




