1章:デコルテは薄桃の色味
「イザベラ様――?」
馬を止めたルークは、レガンテのイザベラの名を呼んだ。
うつむいたイザベラが顔をルークへ向け、表情を緩めた。服は城内で見た赤のドレスであった。夕陽に照らされた彼女の顔を見つめ、ルークは鐙をがちゃつかせながら馬から下り、 早口に言った。
「なぜここにおられるのです」
イザベラは満面に笑顔を浮かべた。大輪の薔薇の笑みだった。
「ルーク様、お戻りになったのですね! 王都に来たのでご挨拶とお礼を、と思いましたの!」
イザベラは両手に吊り下げていた籠をルークに見せる。被さっていた布からは、瓶詰めの赤い果実の砂糖漬けと硬く焼き締めたクッキーが見えた。
「あ、有り難く……しかし私は任を行っただけ」
ルークは言葉を濁らせながら、差し出された籠を僅かな戸惑いとともに受け取った。
「いえ、ルーク様の助言のおかげなのです。ですので受け取ってくださいませ」
ルークは眉間を僅かに寄せ、イザベラの目を見つめた。イザベラは騎士の視線に僅かに瞳を揺らし、何事かに気づいたように口に手を当て、
「あ――申し訳ありません。実はお父様に勇気を出して言ってみたのです」
「何をでしょうか」
「剣、のことです」
イザベラは顔をうつむかせ、口をつぐんだ。僅かの間だった。上目遣いにルークを見つめると、
「お父様に剣のことを伝えたら、色よい返事をいただき――剣の先生を紹介いただけたのです! それも、女性の方を! ルーク様があのとき、手ほどきを受けても構わないと仰ってくれたから」
「お、おめでとうございます」
夕陽の中、イザベラは瞳をきらめかせて語る中、ルークは胸の内にある疑念をとうとう吐露した。
「それでは、わざわざお礼の為に私の住処まで?」
イザベラは首をかしげたが、やにわに首を振ると、
「いえ、いえ。もちろんルーク様にお礼もしたかったのですが、本日より王都に住むことになりまして、剣の先生が王都に住んでいるのです」
ルークは驚きの念を禁じ得なかった。動揺は視線を下げた。
「それは――早いお手配ですね」
何とかそれだけをルークは言った。視線は、イザベラの首に向いていた。
「そうなのです、父も魔物を見たせいでしょうか? いそぎ用意をしてくださったのです!」
イザベラの喜色漂う言葉がルークの耳朶を打つ。健康的な針を持つ喉は悩ましげに動いていた。興奮のためか、イザベラは浅い息をあげていた。呼吸をするたびに喉の下にある鎖骨が上下に動く。白粉を塗ったデコルテも。夕陽に染まるデコルテは薄桃の色味を帯び、悩ましげに揺れていた。赤のドレスから覗く僅かな渓谷は慎ましさと満開間際の薔薇を予期させる。
「ルーク様とはご近所になりますね? 王都の中、というくくりですけれど」
イザベラの小さな笑いにルークは顔を上げた。言い知れぬ罪悪感を感じつつ、ルークは曖昧に笑んだ。
「そう、そうですね」
「――これからもよろしくお願いいたしますね、ルーク様。もし私に手伝えることがありましたら仰ってくださいませ、何でもお手伝いいたしますから」
乙女は上気した頬を携え、胸に手を当てた。
ルークは悩ましき渓谷が手で隠れる様を見ながら、令嬢の安受けあいに苦笑を浮かべかけた。しかし表情を改め、彼女の思いを崩さぬよう、静かに頷いて見せた。
イザベラと別れたのち、ルークはいそぎ宮廷魔道院へと足を向けた。夜の帳がすぐそばまで訪れていた。宮廷魔道院は陽を背に、黒に染まっていた。
ルークは早足で帳場まで向かった。帰り支度を整えていた事務方に報告を行い、鎧を受け渡す。事務方の魔道士はいやな顔を一つ見せず受け取ると、鎧の損傷を確かめて、明日の夕まではかかると告げた。軟らかな口調であったが、それがルークに申し訳なさを与えた。
「そういえば、またゾラ魔道士がお呼びですが」
事務方の魔道士は眉をひそめて言った。男はルークを気遣わしげな表情で見つめ、
「もしお疲れのようでしたら、私から明日とでも伝えても良いのですが」
「いや、問題ない――ありがとう」
ルークは男の心遣いに笑顔で答え、ゾラの研究室に向かう階段を急ぎ駆け上がった。
研究室の扉を、ノックも僅かに扉の向こうから声がかかると、ルークは開けた。
「遅かったですね、ルーク」
ゾラの第一声は、淡々としたものであった。
ルークは息を飲み、文机の前の椅子に座り、こちらを見つめるゾラに謝罪を口にした。
だがゾラは首をかしげ、己が失態に気づいたように口元を押さえた。
「ああ、すみません。そういうつもりではないのです。何か道中であったのか、と」
取り繕うようにゾラは微笑むと、慌てたように椅子から立ち上がった。
「申し訳ありません。お前の声は怒ったように聞こえる、と母から口酸っぱく言われておりましたのに」
ルークは肩の力を抜き、ゾラに笑みを浮かべた。
「いや、遅くなったことは確かだ。すまない」
「気にはしないでください。ローシャを起ってそのまま王都まで戻ってきたのでしょう」
「まだ余裕はある。問題は無い」
ルークはかぶりを振ったが、体は正直であった。
それはルークの腹の音として現れた。
ルークは自身の腹が起こす失態に、眉をしかめた。叱りつけるように己が腹を押さえる。
「今のは気にはしないでくれ、ゾラ」
「それでもやはりお疲れでは――」
ゾラは目を彷徨わせていたが、やがて何かに気づいたように小さく声を上げると、
「もう夕餉の時間ですし、よろしければルーク、付き合っていただけませんか?」
突き合いという言葉にルークは一瞬身を震わせたが、ゾラは何事もないように続けた。
「私も経過を知りたいのもありますし。近くにあるタヴェルヌで食事をとりながらでも聞かせてください……奢りますよ?」
タヴェルヌ、飲食店のことであった。だがルークは戸惑い、自身の粗野な服装を見た。
「いや私も俸給をもらう身ゆえ、おごりは――それより私の格好では、問題があるのでは」
「――ああ、気にしないでください。そこまで気取った店ではないので」
ゾラが笑う。笑顔に目尻に皺が寄る。表情は、どこか悪戯猫のような色を伴っていた。
「剣に強い放浪の鷹でも、そのようなことを気にするのですね」
「剣に強いだけの男だから気にするさ」
ルークはことさらに唇をとがらせてみせた。僅かな沈黙の後、どちらともなく吹き出すとゾラは先にルークに降りるよう告げた。
「着替えてから参ります、少々腹の虫を押さえていてくださいね」




