8話:斬撃、斬撃。花、花、花。
木々の枝から垣間見える日は高くなり始めていた。霧はすでに晴れていた。しかし森は暗い。木々の間を僅かに漏れる陽光の明かりだけが強くなる。
進むにつれて、ルークは馬の怯えを察した。首に手をやり、なんとかなだめ、歩ませ、そしてルークは前方に〝それ〟の姿を認めた。
馬を止める。
魔物であった。
エカテリニの言うとおり、樹に似ていた。大人の倍ほどもある幹を携えた魔物は、二馬身の高さを持っていた。魔物は動かない。いや、動かないのは幹だけであった。僅かにその幹から生えた、枝のような触手は、痙攣するかのように時折はねている。触手は計八本あった。
ルークは馬から下りた。息を吸い、クフィヤトに手をかけ歩む。歩みの中で抜いた。構えた。構えの中で鍔が目に入る。
鍔は、色を変えていた。
ルークは驚愕を携えるも、無理にそれを押し殺した。注意をしている間は、すでに無い。それでも動揺を隠しきれぬまま、前方を見据えた。先ほどと同じ構えを保ち、ルークは近づいた、にじった。
魔物より一馬身。
魔物の幹が震えた。
はじめは地より現れた。
ルークの前方にある地面が盛り上がった。槍のように鞭毛を抱えた触手が飛び出す、向かってくる。ルークの腕が動いた。真っ向から来る触手に対し、半身を入れ替え、上下に断つ。切れ飛ぶ触手の先端を、返す刀で下から上に切り上げた。
視界の端にうつる魔物の傷口を見た。僅かな期待があった。薔薇の花を幻視した。
それは期待でしかなかった。
ルークに落胆する暇は与えられない。第一の触手は皮切りであった。地より幾つもの触手が這い出る。クフィヤトが舞った。白刃は三日月の軌跡をルークと触手の間に作り、すべてを切り落とした。粘液が魔剣に絡みつく。しかし、振るうと同時に粘液は落ちる。
それは、ルークの反射とクフィヤトの軽さがもたらした結果であった。
計八本の、地より飛び出した触手はすべて切り落とされ、魔物の幹が震えた。触手が地に潜る。息を止めたように、地には穴だけが残る。
ルークは己が研鑽に確かな手応えを感じた。
だが、歯がみをしていた。薔薇が出ないことではない。今の構えでは敵の攻撃を落とすことはできる。だが、相手がちかよらない場合、切り込むには不向きであった。
こちらから切り込む必要がある。しかし、半身を前に出した構えは、走り寄るには不向きであった。
クフィヤトを見た。僅かに、すがる思いがあった。だが、刃紋は答えを返さない。
刻まれた銘を見た。
『正しいことを行え。私を振るうものに罪はない』
目が吸い込まれるようであった。僅かの間であった。胸の内で反復していた。
『正しいことを行え。私を振るうものに罪はない』
クフィヤトの変化は、僅かの間の内に行われた。
銘が光を持った。
真紅。レガンテと同じように。
ルークは目を見開いた。しかし耳朶を打つ風切り音が、考えを中断させた。幹より生えた、枝のごとき触手がルークの顔面を狙っていた。
槍のごとく首に巻き付かんとするそれに、反射で腕が動いていた。
半身の捌きと同時に、袈裟切りの孤が、枝触手を切り払う。
そして、それは。
それはクフィヤトの、本来の力を魔物に見せつけた。
白の花弁が舞う。薔薇よりも強い蜜と花の香りが、森の息に混ざった。
百合。
枝触手の傷口から、百合の花弁がこぼれ落ちていた。
「何故、今――」
ルークは疑問を携えたまま、背に衝撃を受けた。肺の息が押し出される。倒れる。たたらを踏んだ。踏み出した右足を軸に、振り返りざまにクフィヤトを振るう。下から上。手応えは、ない。
衝撃の正体は、地より這い出た触手であった。
ルークが斬った断面は盛り上がり、再び鞭毛を形成しようとしている。
歯がみ。ルークは戦況が窮することを知った。レガンテのように早く無くとも、この魔物もいずれ再生をする。
触手が地より這い出た。枝触手が横薙ぎに飛ぶ。
幾つもの魔物の猛攻に、ルークはがむしゃら動く。
すべてを体をひねり、足を捌き、クフィヤトを振るい、斬る、斬る、斬る。
斬撃が当たり、クフィヤトの白刃が魔物の肌に入り込むたび、触手の傷より百合が生まれる。
斬撃、斬撃。
花、花、花。
白の花弁は吹雪のごとく周囲を舞った。粘液が散り、一滴がルークの頬に付いた。熱い。
それでもなお、ルークは魔物の幹に近づくことはできない。近づき、振るううちに、触手の餌食となることを予感した。
息が上がり鎧の内に熱がこもる中、ルークの頭は、万華鏡のようにきらめいた。
――探せ。隙を。無ければ、作れ。無理だ。だが、だが。
――だが、無理か?
本当に?
思考の万華鏡が頭に火花を生み出した。
エスクリム。抱擁。試合。そして、突き。
クフィヤトを見る。斬首剣を模した切っ先は、突きには向かぬはずであった。
だが。
だが、と考えたときには、ルークは行為をしていた。
幾つもの触手の襲来に垣間見えた、一瞬の隙。そこをついた。地を蹴った。
幹に踏み込んだ。右半身を出したルークは、クフィヤトの柄から、左手を離した。
突き。幹に向かい。
孤を描く通常の斬首剣であれば、突きを放ったとて、潜り込むことは無い。
だがクフィヤトの切れ味は、突きを可能にした。
地と水平に放たれた、楕円の切っ先が魔物の幹に染みこむ。するすると抵抗なく、魔剣が沈む。魔物の幹が震えた。触手が、ルークを振り払わんとした。しかし、幹に近すぎる騎士へと、触手が伸びるには、猶予があった。ルークがこれからとる行動に対して。
ルークは再び両手でクフィヤトをつかんだ。抜かない。地を踏みしめた。突き刺したまま、横に薙いだ。中心から幹の外側にかけて。
魔剣の形が生み出す欺瞞は、取り払われた。
ルークの動きは深い傷を魔物に残した。傷口から、一斉に百合の花片が生まれた。
触手の動きが止まった。
ルークは構え直した。再び腰だめに突く。斬った。
それが決着であった。
魔物がひときわ大きく震え、もだえた。粘液をあたりに散らし、十字の傷口から百合の香りと花を一斉に吹き上げた。傷口より順に、魔物が百合の花へと変わる。
それでもなお、ルークは飛び退ながら、構えを解かず、ねめつけた。
やがて魔物が白の花びらの塊に変わるころ、ルークはクフィヤトを地に向けて振った。
地に粘液が張り付く音を聞きながら、ルークは鍔の文様を見る。先ほど色づいていた、花の意匠は薄れていた。
だが今回もやはり深く考える間はない。虚脱と、眠気が体を襲った。ふらつく体で、なんとかクフィヤトを収めた。二度目の虚脱に身体が慣れたのか、今度は馬の元へたどりつくことができた。またがっていた。森を出る。その一心で鐙を踏みしめた。




