7話:生娘の口づけ
「申し訳ありません。私があらかじめ伝えておくべきでしたのに」
「え、エカテリニ様。ちがいます――」
ルークの胸に、レガンテでも感じた自責が降りた。自身の、拙速な行動のために、エカテリニに考えるいとまを与えなかったのだ。我知らずとして、眉が下がっていた。
いえ私が、エカテリニは瞳を伏せかけたが、すぐにルークを見つめた。
「今はそのようなことを言っている場合ではありません、ね」
女はルークを安心させるように、熟れた唇を無理矢理に曲げた。エカテリニの視線が、ルークの足下におよんだ。
「お怪我は無いようですが……」
触手の締め付けによって、ルークの足甲はひしゃげていた。ルークはあらためて背筋が寒くなる思いを受けた。防護の魔術印を受けた鎧でなければ、足は砕けていたと推量するに十分であった。
鎧を外そうとしたが、エカテリニがとどめた。
「お待ちくださいませ――まだ、粘液がついております」
細剣をしまったエカテリニがひざまずいた。腰のポーチから手ぬぐいを取り出した。剣の手入れするための物であった。自身の革手袋に穴が開いていないことを確かめ、エカテリニはルークの足甲を拭い始める。
ルークは自責を押し殺し、努めて感情を含めず、眼下のエカテリニに問うた。
「エカテリニ様、魔物についてお教えいただけませんか」
「魔物はここから真っ直ぐ、馬で四半刻にも満たない程度の場所におりますわ……」
「どのような形をしておられる?」
「そう、樹に似ておりますの。遠方より見えただけですが、太い幹をもっておりました。幹から、動く枝が生えている――そして、先ほどのように粘液に覆われておりました」
ルークは自身に根付いた戦いの感覚に気づいた。これまでは人との戦いが身体に身につきすぎていた。人の枠組みであれば、戦いの手法に極端な違いは無い。しかし、変える必要があった。
エカテリニは息を吸った。続けた言葉には、震えが混じっていた。
「弟は地から這い出たあれに襲われ――手で無理矢理はがそうとし、火傷を負ったのです」
エカテリニがルークを見上げた。瞳に、うるみは無かった。ただルークを見据えた眼差しは真摯であった。
「どうか、お気をつけてくださいませ、ね」
ルークは無言でうなずいていた。自責と魔物と人との隔たり、エカテリニの心の重責、すべてがルークに言葉を探す余裕を与えなかった。
エカテリニが立ち上がった。眉をひそめるルークを見つめ、何かに気づいたように、口を小さく開けた。
「そうですわ――ルーク様、魔剣をほんの少しだけ、お貸しいただけないでしょうか」
エカテリニの目に、迷いがあった。頬に赤らみが増していた。
ルークは息を詰まらせ、クフィヤトの柄頭に手をかけた。頭の中には、イザベラの指先が思い浮かんでいた。
「魔剣……クフィヤトは切れ味が鋭いのですが」
「抜かなくて、結構ですの。鞘ごとで、すぐに終わりますので」
言われたとおりに、ルークはクフィヤトを鞘ごとエカテリニに引き渡す。
恭しく受け取ったエカテリニは、鞘と柄を握り、クフィヤトを自身の胸元に近づけた。
茶褐色の唇が、クフィヤトの鍔、柄頭に触れる。厚く熟れた唇がクフィヤトの意匠にゆがみ、すぐに離れた。しかし一筋の唾液が別れを惜しむように一筋、女の唇とクフィヤトを結びつけた。それも、一瞬であった
エカテリニは自分の唇を押さえた。秘め事を見せてしまったように。
「ローシャには――戦にいく者の武具に、生娘が口づけをいたしますの。戦勝を願って」
エカテリニの頬は赤らんでいた。
「私のような行き遅れがこのようなことをするのは――おこがましいのですが。生娘であることには変わりありません、ので」
エカテリニの言葉は言い訳がましいひびきであったが、ルークは微笑んでいた。戦、試合でも、願をかけるのは武芸者の常である。彼女の気遣いを深く感じた。
ルークはクフィヤトを再び受け取り、自身でも驚くほどなめらかに、言葉を告げていた。
「ありがとうございます。エカテリニ様――しかし、ここからは危険のようです。お戻りをいただけますか?」
「ですが……いえ、そうですね。城の入り口で」
エカテリニが僅かに言いよどんだ。目を伏せ、どこか悩ましげに首をふり、顔を地に向けた。
「森の入り口でお待ちしております」
瞳はルークを見ていた。
ルークはうなずいた。
「一刻経っても私が戻らない限り、城にお戻りください。そして供鳴りの器で、マルクブルク王都へ連絡を」
それは任が失敗したことを意味していた。
エカテリニは口を引き結び、改めてルークの顔を見た。頷き、馬に乗った。
踵を返す馬と、彼女の背を見届けてから、ルークは馬にまたがった。
不安が減っていたことに気づいたのは、馬を歩ませてしばらくのことであった。




