↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/44

7話:生娘の口づけ

「申し訳ありません。私があらかじめ伝えておくべきでしたのに」

「え、エカテリニ様。ちがいます――」

 ルークの胸に、レガンテでも感じた自責が降りた。自身の、拙速な行動のために、エカテリニに考えるいとまを与えなかったのだ。我知らずとして、眉が下がっていた。

 いえ私が、エカテリニは瞳を伏せかけたが、すぐにルークを見つめた。

「今はそのようなことを言っている場合ではありません、ね」

 女はルークを安心させるように、熟れた唇を無理矢理に曲げた。エカテリニの視線が、ルークの足下におよんだ。

「お怪我は無いようですが……」

 触手の締め付けによって、ルークの足甲はひしゃげていた。ルークはあらためて背筋が寒くなる思いを受けた。防護の魔術印を受けた鎧でなければ、足は砕けていたと推量するに十分であった。

 鎧を外そうとしたが、エカテリニがとどめた。

「お待ちくださいませ――まだ、粘液がついております」

 細剣をしまったエカテリニがひざまずいた。腰のポーチから手ぬぐいを取り出した。剣の手入れするための物であった。自身の革手袋に穴が開いていないことを確かめ、エカテリニはルークの足甲を拭い始める。

 ルークは自責を押し殺し、努めて感情を含めず、眼下のエカテリニに問うた。

「エカテリニ様、魔物についてお教えいただけませんか」

「魔物はここから真っ直ぐ、馬で四半刻にも満たない程度の場所におりますわ……」

「どのような形をしておられる?」

「そう、樹に似ておりますの。遠方より見えただけですが、太い幹をもっておりました。幹から、動く枝が生えている――そして、先ほどのように粘液に覆われておりました」

 ルークは自身に根付いた戦いの感覚に気づいた。これまでは人との戦いが身体に身につきすぎていた。人の枠組みであれば、戦いの手法に極端な違いは無い。しかし、変える必要があった。

 エカテリニは息を吸った。続けた言葉には、震えが混じっていた。

「弟は地から這い出たあれに襲われ――手で無理矢理はがそうとし、火傷を負ったのです」

 エカテリニがルークを見上げた。瞳に、うるみは無かった。ただルークを見据えた眼差しは真摯であった。

「どうか、お気をつけてくださいませ、ね」

 ルークは無言でうなずいていた。自責と魔物と人との隔たり、エカテリニの心の重責、すべてがルークに言葉を探す余裕を与えなかった。

 エカテリニが立ち上がった。眉をひそめるルークを見つめ、何かに気づいたように、口を小さく開けた。

「そうですわ――ルーク様、魔剣をほんの少しだけ、お貸しいただけないでしょうか」

 エカテリニの目に、迷いがあった。頬に赤らみが増していた。

 ルークは息を詰まらせ、クフィヤトの柄頭に手をかけた。頭の中には、イザベラの指先が思い浮かんでいた。

「魔剣……クフィヤトは切れ味が鋭いのですが」

「抜かなくて、結構ですの。鞘ごとで、すぐに終わりますので」

 言われたとおりに、ルークはクフィヤトを鞘ごとエカテリニに引き渡す。

 恭しく受け取ったエカテリニは、鞘と柄を握り、クフィヤトを自身の胸元に近づけた。

 茶褐色の唇が、クフィヤトの鍔、柄頭に触れる。厚く熟れた唇がクフィヤトの意匠にゆがみ、すぐに離れた。しかし一筋の唾液が別れを惜しむように一筋、女の唇とクフィヤトを結びつけた。それも、一瞬であった

 エカテリニは自分の唇を押さえた。秘め事を見せてしまったように。

「ローシャには――戦にいく者の武具に、生娘が口づけをいたしますの。戦勝を願って」

 エカテリニの頬は赤らんでいた。

「私のような行き遅れがこのようなことをするのは――おこがましいのですが。生娘であることには変わりありません、ので」

 エカテリニの言葉は言い訳がましいひびきであったが、ルークは微笑んでいた。戦、試合でも、願をかけるのは武芸者の常である。彼女の気遣いを深く感じた。

 ルークはクフィヤトを再び受け取り、自身でも驚くほどなめらかに、言葉を告げていた。

「ありがとうございます。エカテリニ様――しかし、ここからは危険のようです。お戻りをいただけますか?」

「ですが……いえ、そうですね。城の入り口で」

 エカテリニが僅かに言いよどんだ。目を伏せ、どこか悩ましげに首をふり、顔を地に向けた。

「森の入り口でお待ちしております」

 瞳はルークを見ていた。

 ルークはうなずいた。

「一刻経っても私が戻らない限り、城にお戻りください。そして供鳴りの器で、マルクブルク王都へ連絡を」

 それは任が失敗したことを意味していた。

 エカテリニは口を引き結び、改めてルークの顔を見た。頷き、馬に乗った。

 踵を返す馬と、彼女の背を見届けてから、ルークは馬にまたがった。

 不安が減っていたことに気づいたのは、馬を歩ませてしばらくのことであった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。