4話:絡み合い、ついばみ、なめあげていく
エカテリニは脇にすらおしろいを塗っているのか、顔と、覗く肌に境目はなかった。両脇に走った、二つの皺は襞を作り、汗なのか、白粉なのか、つやと光を伴っていた。
「危険な魔物であることには変わりありませんわ――ですので」
そして髪が背に下ろされ、胸があらわになる。胸の大きく開いた、白のドレスでは支えきれぬほどの、あふれんばかりの、二つの鞠が引力に負けていた。そしてルークも負けた。
「ルーク様――私と一戦を」
ルークはその意味を介さず、頷こうとした。一戦。一戦とは何だ。鞠の引力を引き剥がし、エカテリニを見つめかけ、そしてルークは。
ルークはとっさに、右手を腰にやった。クフィヤトを探す。客室だ。思うよりも先に、左手でフォークをつかんでいた。逆手。
言い知れぬ凶気、剣気を感じていた。背すじに泡だちと武者震いが走っていた。
ルークにとっさの防御をとらせた、目の前に座る元凶は、微笑んだ。
「さすがは放浪の鷹ですわね。弟は一つも感じ取ることができませんのに」
エカテリニは悠々と笑い、葡萄酒を手に取っていた。
すでに、女からは剣気は消えている、いや、身のうちに収めたのだ。
エカテリニは葡萄酒で赤に塗れる唇で微笑んだ。半眼の瞳は酒による陶酔なのか。
「ルーク様、大広間へ。是非一戦を」
言葉とともに舌が、上唇をなめた。
エカテリニの動く両臀に導かれ、大広間に向かったルークは、使用人に剣を渡された。貴族が競技に使う細剣であった。長いバネのような剣は振るうたびに蒲の穂のように揺れた。先端には、安全のためタンポがつけられている。
ルークには慣れぬ武器であった。
「エスクリム、ですね」
ルークは競技の名を口にした。
「私の流儀に合わせることになってしまい、申し訳ありません」
そう言いながらもエカテリニは笑っていた。笑いは、策にはめるものではなかった。剣への執着とうずきへの笑いだった。
「構いません。お手合わせいたします」
執着とうずきはルークも同様であった。女だからと侮っていたわけではない。知らぬ土俵に立つことには、危険を感じていた。だが、それ以上に先ほどの剣気を見せた、エカテリニの実力を知りたかった。武人としての興味であった。
エカテリニは一度席を外し、戻ってきた時には、着替えを済ませていた。ドレスと同じく白であった。しかしそれは革でできた武具であった。体を締め付ける競技用の武具を身にまとったエカテリニは、ルークに近づき、金網のマスクを渡した。
「ルーク様はエスクリムは行ったことはございますか?」
「数度ほど」こもるマスクの中で、ルークは短く告げた。
「それでは……細かい流儀は無しに、サーブル、斬る、突く。すべて有りにいたしましょうか。そちらの方が、ルーク様もやりやすいでしょう」
エカテリニの言葉には、申し訳のない響きがあった。それはおそらくは、自身の土俵に上げたことへの譲歩でもあった。
ルークは静かにうなずいた。右手で細剣を握り、右足を出す。エスクリムの構えであった。
かけ声はなかった。気づいたときには両者は構え、ことは進んでいた。
はじめは切っ先同士の軽い口合わせであった。ついばむように、剣先が数度触れては離れる。
ルークが踏み込み剣が薙げば、すでにエカテリニは退き剣を弾いて、それは一呼吸もないうちに反撃へとかわり、踏み込み、ルークの胸板を突こうとする。
それは、剣による会話であり、音楽であった。
幾重もの突きと斬撃と回避と防衛が絡み合い、鉄の撃つ音が重なり合い旋律となる。
戦慄と興奮の中、ルークは驚愕を禁じ得なかった。
膂力はルークの方が明らかに上であった。しかし、エカテリニの反応、先を制する力は、ルークの予測を軽々と超えていた。
ルークが互角に見えるほど、闘えていたのは戦場の勘と試合での経験によるものであった。
剣が絡み合い、お互いをついばみ、なめあげていく。蛇の交合にもにた動きは、高ぶりを増していく。
しかし、高ぶりと勝敗という名の絶頂はすぐそばまで訪れていた。
幾度めか突きをエカテリニが受け流した。わずかにその肩が上がた。胴に隙ができる。隙間。切っ先が潜り込むだけの。
それがフェイントであることは、ルークにもわかっていた。無理に踏み込めば突かれる。だからこそ、そこに勝機はあった。
右足でより踏み込む。剣で突く前に右肘で、エカテリニの剣を外側にはたき落とす。開いた胸に、突きを繰り出す。
――そこまで考えたときに、動かしかけた手を即座にとどめた。たたらを踏んだ。
あからさまに規則違反の剣技であった。しかし、すでに足は踏み込んでいる。
結果としてフェイントに、ルークはむざむざと嵌まった。タンポをつけたエカテリニの剣がルークの喉元を軽く突く。
決着であった。
ルークは肩を激しく上下に動かし、両手を挙げた。剣を取り落とし、マスクを外した。
「数手でわかりましたが、やはりお強いですね、エカテリニ様」
ルークは汗みどろとなった顔面を袖で拭い、笑った。負けた悔しさよりもすがすがしさと喜びがあった。剣術試合には現れぬ場所に、己よりも強いものがいることへの喜びだった。
同じくマスクを取ったエカテリニの顔はあせにまみれていた。ぬばたまの巻き毛が顔に張り付くのもかまわず、エカテリニも微笑んでいた。
彼女はマスクを床に置き、ちかよると、
「ルーク様ありがとうございました」
ルークを抱きしめた。戦いをたたえる抱擁であった。それがわかっていた故にルークもエカテリニの背に手を回した。
汗にまみれるルークの耳に、エカテリニはささやいた。
「放浪の鷹を試すようなまねをしてしまいました。申し訳ありません」
「試すなど――私よりも強い者に出会えたことで」
「いいえ。今回私が勝ったのは、エスクリムで経験が多かったから、そうでしょう?」
エカテリニがルークの耳元で笑い声を上げた。これまでの粘る笑い方ではない、少女のような小さな笑い声を上げ、続けた。
「ルーク様、何度か足や腕で剣を蹴り上げようとしていらっしゃいました」
「――お見通しでしたか」ルークは恥じらいの笑みを浮かべていた。鎧を着ることを前提とした己の武芸戦法であった。それを我知らず使うほど、エカテリニは優れていた。
「あれが戦の剣術ですのね。そのようなエスクリムなど、こちらこそ恥ずかしい」
別の意味の恥じらいにルークは笑った。次第に高まる衝動に、ルークは大笑をあげていた。対象に、エカテリニの笑い声も交わる。二つの笑いが大広間で共鳴する中、どちらともなく二人は抱擁をほどいた。
ルークはあることに気づき、ばつの悪い思いを抱えた。
「エカテリニ様……何故、このような試合を」
本来ならば、魔物の討伐を終えてからでも、試合はできるはずであった。それを急ぐほどの拙速さをエカテリニの剣筋から感じ得なかった。
エカテリニが目を伏せた。
「申し訳ありません……弟が傷つき、領民も傷ついた今……」
女の顔には恥じらいが浮かんでいた。唇をかみ、声が震えていた。
「私程度を倒せぬような方に任せてもいいのか、と」
「――私は、倒されてしまいましたが」
皮肉のつもりではなかったが、ルークは告げてから己が失態に気づき、眉をひそめた。
エカテリニが小さく息を吐いた。
「ルーク様は意地悪ですね」
押し殺した領主代理の笑いに、ルークも笑みを浮かべていた。




