3話:熟れた声とぬばたまの巻き毛
翌日ルークは馬に乗り、クラモンド領ローシャにたどり着いた。マルクブルク王都より南、馬で六刻程度走らせた場所にあるローシャは水源地帯であった。
その途上にはヤーラヌの村もあった。
夕暮れのローシャは緩い丘の連なりでできていた。高みには穂の麦が青々と長い葉を伸ばしていた。畑は一続きの緑ではない。細長い耕地が、いくつもの畝として、丘を彩っていた。
丘の裾からは水が湧いていた。手のひらほどの流れは幾つかの流れと合わさり、幅のある小川へと変じていた。川のそばには水車小屋がある。日が落ちる中でも勤勉に水車は回転していた。
水の多い土地ならではの亜麻畑のそばを通りすぎ、ルークは馬を止めた。クラモンド城が眼前にあった。レガンテと異なる。城というよりも屋敷であった。太い四つの円塔を持つ城は、赤の焼き締めレンガで覆われていた。城の入り口周りには、庭園がある。庭は青の芝で覆われて、所々に早咲きの百合が紡錘のつぼみをつけていた。
「放浪の鷹、ルーク様ですね」
馬の蹄の音が聞こえたのか、扉の開く音と同時に、女の声がした。百合の芳香がする中、女はルークの前にゆったりと歩んだ。ぬばたまの巻き毛を体の前に、臍まで垂らした女だった。女は後ろに従っていた下男に指図をし、ルークの馬の手綱を下男が受け取る。
「どうぞ、よくお越しくださいました」
馬上のルークに女が手を差し伸べた。女はあたりに漂う百合の芳香にふさわしからぬ、妖しさを伴った女だった。袖のない、胸元が大きく開いた白のドレスを身にまとっている。膨らみのない、体に沿ったスカートも白であった。裾には碧の刺繍紋章が縫われている。
「クラモンド侯爵代理、エカテリニ・クラモンドです」
三十頃の女であった。陶器のような白の顔に切れ長の、下がり気味の目でルークを見つめていた。
目元には紫の化粧が施されていた。
髪と同じぬばたまの瞳を見つめてルークは首を振った。
「お手を汚すわけには参りません」
鐙を踏みしめ、飛び降りたルークに、エカテリニは声を出さず、口を曲げた。
「お優しいのですね」
エカテリニの声はざらつきを持っていた。不安ではない。熟れた声だった。
「当主……私の弟は今床より起き上がれない身でして。女の私ではもてなしに不備もあるでしょうが、お許しください」
粘りのある声とともに、エカテリニはきびすを返した。出てきたときと同じように。
「夕餉の支度を整えておりますので、どうぞこちらに」
続いた女の言葉に、ルークは眉をひそめた。
「お申し出ありがたいのですが、魔物については」
「ああ――多少遅くなっても問題はありません。夕餉の中でおいおいと、お話しいたしましょう、ねえ?」
肩越しに振り返ったエカテリニの、つやのある茶褐色の唇は孤を描いていた。
「それにルーク様、私も伺いたいことがありますので」
エカテリニはそれきり、城の中へと身をくぐらせた。何かに絡め取られるような心持ちを抱えながら、ルークは女の背を跡を追った。
ルークは客室に荷と鎧を置いた。その四半刻後、使用人に案内され、控えの間に通された。クフィヤトは携えなかった。歓待に武器を携えることは、礼を失する。
シャツとズボンの姿のルークは白磁の皿に盛られた品々に目を見張った。
長い、卓の上に並ぶ料理は贅を尽くしたものであった。ソースをかけた子牛の炙り肉、説いた卵とスープを混ぜ合わせ、蒸したフランなど、目につく品だけでも、王都の料理と遜色のないできであった。
「いつもはこのような贅はいたしませんが――どうぞ、ご賞味くださいませ」
立ち尽くすルークに、エカテリニは椅子に座ったまま、椅子を示した。
「素晴らしい、ですね」
「ありがとうございます――私が作りましたので口に合うか」
エカテリニは笑った。エカテリニの笑みには、余裕があった。
ルークは任への焦りを感じながらも、もてなしをむげに断ることはできず、椅子にかけ、
「このような料理、ほとんど食べたことがないので不調法があればお許しください」
気後れとともにフォークを手に取り、料理を口に運んだ。
ひとえに言って、料理は絶品であった。子牛の塊肉は中に血を蓄え、玉葱のソースをとから、精力と柔らかな歯触りを与えた。フランは獣骨の出汁と脂を含み、卵が野生を隠していた。
目を見張り、無言でフォークを進めるルークを、エカテリニは愉しげに見つめ、グラスの赤葡萄酒を口にした。
一通りの食事に手をつけたところで、意を決した。ルークは口を開き、女のグラスを傾ける女を見つめた。
「エカテリニ様、魔物のことについて、伺っても?」
率直に言わねばならない気がしていた。エカテリニは即答をしなかった。
「食は、多少満たされたでしょうか?」
「ええ、十分です。ですが、それ以上に魔物がいつ出てくるかについてお教えいただけないでしょうか」ルークは早口で告げた。
「そのことでしたら。魔物の姿はすでに捉えております」
ルークはナイフを置いた。目だけでエカテリニに問う。
「我が領地で出た魔物は、東の森の中心で動きませんの」
不調法と知りながらも、ルークは卓に肘をついた。不可解であった。
エカテリニの声が沈む。
「ただ動かないだけで、差し障りはありますわ。土地に根を生やし――麦に紛れてその根の先を地に出す。触れた者はやけどのような痛みとともに、血を吸われますの」
突如としてルークの頭に、ローシャの景色が思い浮かんだ。道の途中で見た景色にかけていたものがあった。
人。働く農夫の姿。
エカテリニが記憶を補強した。
「ご覧になったでしょう。ルーク様も。日も長くなった今、本来は領民は雑草取りにいそしみますが、今はなんとか押しとどめております。家から出ぬように、と」
ルークはうなずきで得心を示した。
「すでに魔物の居所もわかっている――ということですね」
「ええ、見つけたのはマルク……いえ領主です。が、先走った私の弟は魔物に斬りかかって、返り討ちに」
何がおかしいのかエカテリニは笑った。落ち着きのある茶に塗られた唇は葡萄酒のためか、料理のためかてらてらと光り、別の生き物のように震えていた。
眉をひそめるルークにエカテリニは白に塗られた爪を己が唇につけ、笑いを止めると、
「失礼いたしましたわ――、弟の動きは若さ故の過ち、よい教訓になるでしょう」
「――それよりも、マルク様は、ご無事なのでしょうか」
「ええ。もちろん。後から参りました私どもが、早くに助けましたので」
エカテリニが指先で、柔らかな両頬にかかる、黒の巻き毛を払った。
それでもなお足りぬのか、自身の両胸にかかる髪を両手でかきあげ、
「ただ十日ほどは安静にしているように、と」
後ろに流したとき、時間の足取りは遅くなった。
女が髪を手で持ち、肘を上げた。
脇。脂ののった、緩やかな稜線を持つ二の腕という緞帳から、なめらかな両脇が覗く。




