2話:甘い乙女の味
三日後ルークは、灰の丸い石畳を歩いていた。大通りの両脇には、漆喰塗りの商店が寄り添い、赤いうろこ屋根を一様にかぶっていた。
マルクブルク王都の南東区域にある、商業地区であった。宮廷魔導院でゾラとの会話ののちも、ルークは遊んでいた訳ではなかった。独自に調べを行っていた。率先するべきことは、他の放浪の鷹に所属する、団員の魔剣を見るべきことであった。
彼らの魔剣とクフィヤトでは何が異なるのか。
それを観察することが糸口になると考えていた。ゾラを経由し、魔剣を見せてもらう約束は取り付けたが、団員は各地の討伐にせわしない。自身の任も含めれば、団員にすぐに会うことには長い時間を要する可能性が高かった。
それ以外の時間にルークにできることは、クフィヤトへの理解だけだった。切れ味と、異様なまでの軽さへの理解、それより導き出せる、構えを突き詰めることに専心した。未だ構えへの解答は途上であった。
しかし、本日の用は異なっていた。ルークが商業区の大通りを歩み、向かった先は市場であった。市場には屋根付きの台が並び、マルクブルク各地より訪れた商人、農夫たちが木箱に満載にした穀物、野菜を販売していた。野菜だけではない。肉、バター、チーズ、はては衣料や革製品も販売される、大市場であった。
ルークは右手にある、果実商が売りつける桜桃の香りを通り過ぎながら、目当ての店へと歩を進めた。商品ごとに区画がある。肉屋は肉の区画、野菜は野菜の区画と言ったように。
ルークの目当ての店は、パンの区画にあった。
王都の民がパン市場と称する区画の中ほどに、その店はあった。
店主は客がよこした布の袋に、大型の田舎パンを入れ、代金を受け取っているところであった。
「繁盛しているようだな、ヤーラヌ」
ルークは客が去るのを待ってから、声をかけた。ルークの顔をみとめた、眼帯をつけた店主は満面の笑みを浮かべた。
「ルーク! 来てくれたのか」
店主であるヤーラヌが突き出した手を握り、ルークは力強く上下に振る。ヤーラヌは、戦友であった。
「繁盛しているか?」
「まあまあというところだな……ルーク、おまえの顔を見るのは一月ぶりか」
たった一月程度なれど、ルークはすでに中年の盛りを過ぎたヤーラヌの顔に、懐かしさを覚えた。東方騎士団十一軍の戦友は、隣国との和平条約が結ばれてすぐに、生家のパン屋へと戻った男だった。マルクブルク王都よりほど近い場所にある生家で焼き上げたパンは、本日のように大市場で販売している。
腰に手を当てたヤーラヌは、笑みを浮かべながらも目を伏せ、木箱に残るパンを見つめた。
「食えるだけの金がもらえるだけありがたいというものさ。中にゃあ……な」
戦友の言葉に、ルークはうなずいた。戦では足を失ったものもいる。利き手を失いながらも、代筆でなんとか食うものもいた。ルークのように、五体を失わずにいるものも多かったが、それを自身の才能と、ルークは断じたくはなかった。
悪いな、と何かに謝ったヤーラヌは顔を上げ、ルークに再び笑った。苦みは、笑みにはなかった。
「で、どうしたんだ。今……おまえは放浪の鷹なんだろう?」
「パンを買いに来ただけだ。友のパンを」
どこか開放的な心持ちを抱えながら、ルークは肩をすくめた。男の戦友と語るうちに、ドロドロとした何かがほどけていくような心境を感じた。
「ありがたいね、お前嫁はいないだろう? じゃあ、田舎パンよりは、一人で食い切れるものの方がいいな。好きなのを選んでくれ」
そこまで言ったヤーラヌが眉をひそめた。男の様に、ルークは我知らず声を潜めていた。
「どうした?」
「いや、せっかく来てくれたからな、うちのパンの味を味わってほしかったんだが、今日焼いた分はレガンテの小麦なんだ」
レガンテ、という言葉にルークは思わぬ衝撃を受けた。赤のドレスと灰の居城が記憶をかすめる。そして、陽光にきらめく、日焼けした肌の産毛。
産毛をよそに、ヤーラヌは顎に手を当てた。
「レガンテのが悪いって訳じゃねえんだがな、いつもはローシャの小麦を使っているからよ。歯触りが少し違う」
職人気質を見せるヤーラヌの言に、ルークは微笑んだ。
「さすがパン屋だな」
「元東方騎士団十一軍前衛隊だがな……ルーク、これはどうだ」
ヤーラヌが木箱の内の一角を指し示した。棒を二つに折り曲げたような形のパンであった。
「中にクルミやら木の実のペーストが入っている。食いやすいだろう」
「いいな」
「マイチバイって名前でな、うちの地方のパンなんだよ。しゃれた名前だろ」
名を聞いたルークは我知らず、身をこわばらせていた。
マイチバイ、乙女、未婚の女の足。なるほど乙女の足のようにすらりと細く伸び、弧を描いている。卵黄が塗られ、焼き上げられた表面は乙女のようにつややかさを保ち、草原を素足で笑いながら走る、日に焼けた農家の乙女の足を思い起こさせた。皮の表面には所々に、爆ぜができており、それが草むらを駆け巡る乙女の染み、傷跡を想起させそれは生々しさをパンに与えていた。そして中には甘い木の実。我知らず男という虫を誘う甘い、乙女の味。
パンからルークが顔を離したのは、ヤーラヌの声だった。
「マイチバイ、一つでいいか?」
「いや、せっかく来たのだ。二つ……三つくれ」
「放浪の鷹は剛毅だね。まけてやるよ」
「同じでいいさ。まけない分、嫁に食わせてやってくれ」
「――いつもながら、お前は硬いな」
ヤーラヌは差し出された硬貨を受け取り、喉の奥をならして笑った。
「今度はローシャの小麦でできたマイチバイを比べてくれよ」
手渡された三つのマイチバイを抱えながら、ルークはふと聞いてみた。
「ローシャの小麦が売り切れていたのか?」
「いやそれが理由がわからねえんだ。急に卸し商からよ、手に入らなくなっちまって。いつ手に入るかもわからねえ」
首の後ろをかくヤーラヌが告げる言葉に、ルークは眉をひそめた。
ローシャで何かあったのか。考えを深めるルークの腰元で震えるものがあった。
放浪の鷹が常に腰につける、供鳴りの石であった。
供鳴りの器と違い、石はただ震えるだけであったが、これが震える意味は一つだった。
魔物の報、そして勅令が発せられたこと。
ルークはヤーラヌに手短に別れを告げると、宿舎へと足を急がせた。




