1話:魔剣の力
ヴァレンティン城を出立し、王都へ戻ったルークは、宮廷魔導院へと向かった。尖塔を幾つもたたえた、石造りの棟は、王城のすぐ傍にあった。門衛に放浪の鷹であることを示す、真紅の肩当てを示したルークは、使用人頭に付き添われた。
使用人頭の案内のもと、魔導院の翠の入口をくぐり、一階にある帳場へと案内された。ルークは帳場の卓にいる男の歩みをすすめた。男は事務方だが、魔道士であることを示す、琥珀の首飾りをかけていた。
ルークは虎の魔物を屠ったことを告げ、事務方は委細を書き留めると、ルークの鎧に目をやった、片眉を上げた。
「鎧の調整が必要ですね」
ルークは頷いた。魔物との一戦は、鎧に大きな傷を与えなかったが、へこみ、切り傷が出来ている。それに、と事務方は書面に目を落とし、引き出しを開けた。中から一枚の紙切れを取り出し、
「ゾラ魔道士がお呼びです、本日到着するはずなので、呼ぶようにと」
情報の速さにルークは怪訝を抱いたが、付け加えられた事務方の言葉に得心した。
「ヴァレンティン候より、共鳴りの器にてルーク様が到着することはこちらに伝わっておりますので……ああ、鎧はこちらで預かります」
共鳴りの器は、遠地との通信手段であった。片方が響けば、片割れの器が響く。音の長短で、符号を作り、短文を作るものだった。共鳴りの器は各地に配備されていた。
「ありがとう。よろしく頼む」
「多少の検めで済むと思いますので、ゾラ魔道士との話が終われば渡せるでしょう」
ルークは再度例を述べると、その場で鎧を外し、事務方の机においた。
ルークが向かった先は、宮廷魔道院の三階にあるゾラの研究室であった。石づくりの基礎に床板を張った廊下をわたり、ルークはゾラの名がついた突き出し看板の下で足を止めた。
ノックをすると、扉越しにゾラの掠れた声がした。
「失礼する。ゾラさ……ゾラ」
ルークは苦笑した。己から敬語はなしでいいといったことを思い出したためであった。
ゾラの研究室はさほど広くない部屋であった。扉の両側、壁には本棚が天井まではめ込まれ、無数の背表紙が顔をのぞかせている。中央には小卓、奥には紫檀の文机が置かれていた。文机の前に座ったゾラは、背中を見せていた。羽のペンが机の上を踊っている。
ルークの足音を訊いたゾラは羽根ペンの動きを止め、ルークへと振り返った。
「ルーク様……ルーク、おかえりなさい」
ませ、という最後の言葉を濁すように、ゾラは言った。口の端は失態を隠すような笑みが浮かんでいた。
同じ失態を犯した仲間に、ルークは思わず笑い、咳払いをした。
「失礼した、ゾラ」
「気にはいたしません――気にしていませんよ」
「馴れたらでいい」
承知しました、とゾラは笑うと、小卓の前の椅子を示した。木の簡素な丸椅子であった。
「魔物を無事屠ることが出来た、と伺っております」
自身も文机から立ち上がり、小卓に移る。椅子の座面は、ゾラの下半身の満月を支えるには不十分であった。余福に預かった椅子が悲鳴を上げ、せめてゾラの腰骨だけは支えんとする中、ルークも椅子に腰掛け、首肯した。
「クフィヤトについて何か、わかりましたか?」
期待を込め、ルークを見据えるゾラに、再度ルークは首を動かした。
「現在分かったことのうち、確実なことは一つ」
ルークは魔物との一戦を語った。ゾラは口元を手で隠し、眉を潜め、
「再生が止まり、花びらが……」
「何か知っているか」
「申し訳ありません……クフィヤトについては、過去の文献に紛れ、あまり有用なことは。ただ……三代目の団長について、記述された文章と同じ表現ですね」
ルークが目で促すと、ゾラは小さな咳払いを上げた。
「クフィヤトを振るった其の者の周囲に魔物の花が咲いた――。私は文学的な表現かと思ったのですが」
「やはりあれがクフィヤトの本来の力なのか」
「そうなると、幾つか考えを改めねばならなさそうですね」
ゾラは足を組み替え、上体をやや乗り出した。同じくルークも身を乗り出していた。
「他になにかお気づきの点はありませんか?」
ルークは視線を伏せた。我知らずゾラの黒のレースに覆われた胸元を見つめながら、鍔の変化について頭を働かせた。単なるルークの見間違いであれば、判断を鈍らせることになり得るやも知れなかった。ルークは『あれ』がなんであるのかを言葉にすることが出来ず、黒のレースの隙間からわずかに見える肌を暫く見つめ続けた。
やがてためいきをついたルークは首を振った。
「すまない……確実なことは、まだ」
「ルークが謝る必要はありません。しかし、今のままでは」
ルークは苦笑をした。
「ああ。闘ってみてよく分かった。だが、なんとかするしか無い」
ルークは戦場の記憶に思いを馳せた。物資が無くなることも、数十の敵に囲まれた中、突破したこともあった。あれらの時も、ルークにはなんとかするしかなかった。希望ではない。出来なければ、後悔の内に、死ぬだけであった。
応えずに歯噛みをするゾラに、ルークは付け加えた。
「それに、一度使ってみて、クフィヤトの扱いが分かった。うまくいけば、クフィヤトの力を使わずに勝つ方法を見つけられるやもしれない」
彼女を励ます意もあったが、半分は真剣に考えていた。魔剣の力が使えぬときにも、斬る。勝つ。戦いで万全を期せることは、これまで少なかった。
尚もゾラは唇を噛み締めていたが、
「そうですね、ルーク。クフィヤトの力の件は、まだ王には伏せておきましょう」
ルークは頷いた。隣国との戦が終わり、戦後負傷者への保障、貴族諸侯との折衝に力を割く時勢であった。軽々しい情報で、王の心を乱すことは避けるべきであると判断していた。
「ルーク、抱え込まないでくださいね」
ルークは無言で頷き、立ち上がった。彼の目は、ゾラの瞳を見ていなかった。
ゾラの胸朶は本日も均整が取れていた。




