7話:正しいことを行い、斬れ。
正しいことを行い、斬れ。
胸に刻むのと、魔物が飛びかかったのは同時だった。
代わり映えのしない左、先に風がくる。ルークは剣を真横にした。身をさばいた。昼間のように。クフィヤトの刃が触れる寸前、受け流しの形。魔物の腕が竹のように、縦に切り裂かれる。
同時にルークは飛び退った。二撃目に備え、刀を構え、そこで気づいた。
魔物が驚愕と苦悶の叫びを上げ、ルークに切りつけられた傷口を見ていたのだ。
「なんだ――?」
魔物の驚きの正体をルークは悟った。
花びら。
赤の。
「……なんだと?」
魔物の腕、先程ルークが切りつけた箇所からは、花びらがこぼれ落ちていた。
血の代わりに。
はらはらと紅の花弁が魔物の傷口よりこぼれ落ち、土の上に落ちて行く。
「何が起こったっ?」
ルークの問いに答えるものはいない。クフィヤトに、視線を落とす。
銘が、赤に輝いていた。
その意味を判ずるよりも先、魔物が飛びかかってくる。だが、遅い。右に出来た傷をかばうような動き。
魔物の腕が、右斜めから襲いかかる。やはり遅い。捌いていた。足を。
天に向けてクフィヤトを持ち上げた。魔物の手首のうちを刃が捉えた。ルークは両椀に力を込めた。
斬る。
魔物の手首と腕が寸断され、肉があらわとなる。そして、ルークは薔薇の芳香を嗅いだ。次いで、血の代わりに薔薇の花弁の群れがルークの体に降り注ぐ。
切り落とした魔物の腕、その断面からは薔薇の花弁が溢れ出ていた。
昼と夜のあわい、ルークが赤の花びらを全身に受ける中、魔物の絶叫だけが、空気を切り裂いていた。
魔物が飛び退る。二本の前腕からは、はらはらと花びらが落ち続けていた。
ルークは初めて、ここで確信した。
――元に、戻らない。
これまで僅かなときの内に肉が盛り上がっていたはずの、魔物腕が、再生していない。代わりに花びらを流し続ける。
魔物がにじった。僅かな怯えの気配を伴っていた。
魔物は明らかに、緩慢な動きを見せていた。先ほどとは異なる。自身でも気づかぬ内に、ルークは走っていた、地を蹴った。
右を通り過ぎざまに、ルークは手首を返した。魔物の胴をクフィヤトが舐める。刃先は薄く、魔物の体に埋もれ、弧を描いただけだった。しかし、切創から花びらが生まれる。
やはり。ルークは足を止めず、魔物の傍を通り過ぎ、更にクフィヤトを握りしめた。
魔物が頭をルークに向けようとする。しかしルークの斬撃は再び走っていた。魔物の後ろ足、右へと。
クフィヤトの丸い切っ先が弧を描く。魔物の足を切り落とす。足の二つを無くした魔物がたまらず横っ腹を血に叩きつける中、ルークは地を蹴っていた。頭上にもちあげられたクフィヤトが振り下ろされる。
狙いは、魔物の首。斬首剣を模した魔剣が、吸い込まれるようにその首筋に口づけをした。幾つもの紋を持つ白刃は、獣毛の茂みをかき分け、皮を断ち、肉へと埋もれていく。
クフィヤトは、脊椎の骨と骨の間をくぐり抜けた。
そして、魔物の首を切断した。
魔物の首から花びらが溢れ出した。いっせいに薔薇の花弁が空にほとばしる。
下から上に巻き上がる花弁が、血に塗れたルークの頬を、首を、耳元を撫で空に巻き上がる。
薔薇の噴水のなか、紫の帷落ちる空の下、ルークはクフィヤトを持ち上げた。すでに魔物は動かない。魔物の骸は、傷口から徐々に、赤の花弁へと変化していた。
鞘に魔剣を収めた。
ルークは、初めて肩を落とした。足音がした。
「ルーク様……」
ルークが声の方に目を向けると、イザベラの赤のドレスが見えた。
彼女のドレスは土と泥で汚れていた。顔も。イザベラは土がついたままの肩を上下させ、
「ルーク様、ご無事で……」
表情は緩んでいた。
応えるルークの声は鋭かった。
「何故来たっ」
ルークは、イザベラの両肩を掴んでいた。
「何故逃げなかったっ」
それは、叱責ではなかった。ルーク自身の怯えを吐き出していた。
イザベラの体が一度跳ねる感触が、ルークの手に伝わった。
イザベラの顔には怯えが走っている。
「ごめんなさい……魔物の報を聞いて、後から兵も来るはずでしたが――マーナ――領民が襲われるのを見て」
言い直したイザベラの言葉には、幼子の響きがあった。
いても立ってもいられなくなったということなのか。ルークの手の力が緩まる。目はしかし、鋭いまま、ルークは彼女を見つめていた。
イザベラが目をそらした。
「それで、落ちた時に足をくじいて……」
言葉に、ルークは我に返った。彼女の足元を見る。スカートの裾は破れ、右の膝がのぞいていた。泥にまみれた膝は擦りむけ、踵はかばうように浮いていた。
ルークは唇を噛んだ。
「――申し訳ありません」
そのようなことにも気づかなかった自身を叱責した。彼女の肩を掴んでいたことに気づき、手を離す。
自省がルークの胸に降りた。
次のイザベラの言葉が彼の自戒を深くした。
「違うのです。私の浅はかな考えで……」
イザベラは瞳をうるませていた。年上の男に怒鳴りつけられたことへの、恐縮があった。
ルークは無理やりに唇を曲げた。笑む以外になにができようか。
「イザベラ様、申し訳ありません。一介の騎士が無礼な口を」
「いいえ。私が浅はかだったことは本当。むしろ、そ、叱っていただいて――嬉しいのです」
イザベラが頭を振った。ルークを見つめたときには、瞳は潤んではいたが、目は弧を描いていた。
彼女の怯えが和らいだことに、ルークは息をついた。同時に、虚脱を覚える。
抜けそうになる膝の感覚に捕らわれながら、ルークは太ももに力を入れ、佇まいを戻した。
「ルーク様、どこかお加減でも」
くじいた足をかばいながらイザベラがルークに近づいた。ルークの胸元の両手を添わせ、支えんとする。イザベラに向けてルークは頭を振った。
「いえ、戦いで気が抜けたせいでしょう」
そう答えながらも、戦で感じたような虚脱と異なる、眠気をともなう身の感覚に戸惑いを覚えた。
戸惑いは、蹄と、二人を呼ぶ声にかき消された。
横手からユラウスと衛兵たちが馬に乗り駆けてきたのだ。




