5話:やだ、はしたない……
イザベラの金の髪は、後ろに流れていた。そのため、喉と、首があらわとなっている。初めて見たときのように、イザベラの首筋は紅を帯びていた。産毛は見えない。着替えの際に、剃ったのであろうか。水を弾く若きその肌に泡を塗り、首筋から背中まで、いやドレスから見える部分をカミソリでゆっくりと撫で、泡を刃で舐め取っていく。それだからこそ、今のように喉、鎖骨、肩までもが美しく保たれていくのか。そして鎖骨の周り、デコルテ。肩を出したドレスは、乙女の鎖骨も、デコルテも北半球もあらわにしていた。
ルークはイザベラから目を離さなかった。喉が動くたびに鎖骨、その周りのデコルテがうねった。白粉の胡扮が魔石ランプの明かりに瞬きをした。鎖骨の下、ドレスから覗く悩ましき渓谷の上で、首にかけられた金鎖が音を立てた。
「ルーク様は、男に生まれたことが嬉しいですか?」
イザベラは言葉を続けると、唇を噛んだ。隣の乙女に対して、ルークは満身の力を込めて、首を傾げてみせた。
「私には、なんとも……ただ、逆に私が女に生まれれば、化粧の喜びやドレスで着飾る喜びは知ることが出来たでしょう」
イザベラが息を呑み、再び喉が上下に動いた。ルークは目をつむり、息を吸う。正体の点かぬ罪悪感を心の剣で刺殺しながら続けた。
「それに、剣は女性でも扱えぬものではありません……ごく少数ですが、私の部下にもいました」
闇の中、ルークは頭の芯に痺れを感じながら、そう言い終えた。そして、再びまぶたを持ち上げた。
イザベラはいつの間にか顔をルークに向けていた。口の端が僅かに持ち上がっている。頬を上気させて、イザベラは言った。
「女性でも……」
「はい……試合は難しいかも知れませんが」
「習っても構いませんのね?」
「少し、奇異に見られるかも知れません。ですが……何があるか分からぬ世なら、手ほどきを受けても構わないかと」
ルークが告げた言葉は踏み込んだものだった。貴族の令嬢に向けて言うには、個人的な助言であった。デコルテと、太ももより伝わる体温が彼を狂わせていた。
イザベラは息を大きく吸い、そして再びルークを見つめ直した。
「私の考えが、狭かったのかもしれませんね」
声には、明るさが戻っていた。
「ルーク様。申し訳ありません。しんみりとさせてしまい」
「いえ、誰かのためになるのであれば私は……それで充分です」
ルークは曖昧に言葉を漏らした。
イザベラが口を小さく開け、手を打ち鳴らした。椅子から少し飛び上がった彼女の、布越しの腿が擦れ、ルークの脚に刺激をもたらした。
「ああ、そう。こんな話をしたかったのではありませんわ。そう、ルーク様に頼みがありまして」
「頼み」頼みとは、なんだ。いや頼みはそのままの意味だ。ルークは平衡を失いつつある脳の傾きを、なんとか保とうとしていた。
「ええ、剣に興味がありますから……ルーク様の物を見せていただきたいのです」
物を、見せる。物を見せつける。モノ。
「魔剣……クフィヤトのことですね」
ようやっとルークはそう言うと、もはや何も考えること無く立ち上がった。長椅子のそばのクフィヤトに手をかけた。僅かばかりの理性を働かせ、己の外套も手に取る。
「お気をつけて」
ルークは言いながらも、理性はクフィヤトの切れ味について向くことはなかった。せめてもの抵抗に、ルークは卓を挟んでイザベラの真向かいに膝をついた。卓を傷つけぬようにルークはマントをしき、その上にクフィヤトを静かに乗せた。鞘をゆっくりと抜く。あらわになる幅広の逞しき刀身に、イザベラの瞳が吸い込まれた。
「まあ……なんて、立派な」
立派。何が立派なのだ。ルークの頭の中で可憐なる薔薇の乙女の言葉が木霊した。決まっている。クフィヤトの、幅広き刀身のことだ。
イザベラはクフィヤトの刃に目を奪われていた。幾つもの渦のような刃紋は魔石ランプの暖色に照らされ、妖しの光を作り出していた。
「なんて美しいの……鍔も華やかですのね」
よく見ようと、イザベラが前かがみとなった。赤のドレスに包まれた北半球が波をうち、悩ましき渓谷、その谷底がルークの目に映った。金の鎖が揺れ、カメオの彫刻が此方を向く。左右に揺れるカメオの向こうで谷底が嗤っていた。
薔薇の蕾は開花しかけていた。
そのため、ルークの反応は遅れた。
「……いけないっ!」
ルークは気づいた。とっさに手を伸ばし、彼女の手首を掴んだ。だがすでにイザベラは魅入られたように、その白魚の指先でクフィヤトの刃に触れていた。
イザベラが声を上げた。クフィヤトの刃の口づけは、イザベラの指先に微かな切り傷を作り上げていた。
人差し指の先からは血の玉が浮かび上がっていた。刃に強くは触れなかったのか、血は流れることはない。
「イザベラ様っ……申し訳ありません!」
ルークは立ち上がった。頭からは先程の茫洋はすべて抜け、ただ彼女を傷つけた後悔で満ちていた。手近の布をルークは取ろうとしたが、
「だ、大丈夫ですわ。ほんの少し斬れただけ」
イザベラは、自身の血のついた指を咥えた。眉を寄せて顔をひきつらせるルークに、彼女は安心させるように微笑んだ。
「この程度の傷でしたら……見回りの間にも出来ますし、お気になさらないでルーク様」
暫くして、イザベラは唇から指を離した。指と唇を結ぶ糸が一瞬出来上がったが、それはすぐに切れた。
「ほら、見てくださいませ、血は、もう止まっていますから」
指先をイザベラはルークへ突き出す。乙女の指先に残る傷は薄いものであった。血は止まり、一見傷口は無いように見えた。
「あまりに鋭くて傷がくっついてしまったのかも」
笑うイザベラの人差し指は、血の代わりに唾液に彩られていた。密を纏った白魚はてらてらと光り、ぬめり、わずかに揺れ、明かりのもとで白の軌跡を残した。
指はルークを禁忌の門へと誘う。
「よかった……」
誘いを振り切り、ルークはほほ笑みを浮かべた。だがイザベラは我と彼の状況に気づいたように、手を引っ込めた。
「やだ……はしたない」
彼女は音を立てて長椅子より立ち上がった。頬は、紅に染まっていた。乙女は唾液に濡れる指を、もう片方の手で隠すように胸の前で組み、ルークに背を向けた。
「ルーク様、魔剣を見せていただき、あ、ありがとうございました」
彼女は口早に告げ、ルークの顔を見ることはなく客間をでていった。彼女の細かく揺れる金の髪が扉の向こうに消えていく。そのさまをみてルークは項垂れ、クフィヤトを見つめた。
「なんということを」
こぼしたルークの言葉には、自責がこもっていた。
城に到着してから四半刻も経たぬうちの出来事であった。




