最初の国
ヴィクターが周辺国との経済協議を拡大すると決めてから、数週間が過ぎた。政府では、隣国との既存の協定を一つずつ見直していた。関税、道路、港、電力、通信、人の往来。今までは、それぞれ別の問題として扱われていたものだった。
「全部、つながっているな」
ヴィクターが資料を見ながら言う。
「はい。ですが、一度に全部を変えるのは難しいです」
若い参謀が答える。
「分かっている。だから、最初の一つを決める」
会議室の地図には、隣国が表示されていた。
「まずは、ここだ」
盟友が地図を見る。
「隣国との経済圏?」
「ああ」
「本当にできると思うか?」
「分からない」
ヴィクターは正直に答えた。
「でも、一国だけでやるよりは可能性がある」
翌日、ヴィクターは隣国の代表へ連絡を入れた。
「経済協議を、もう一段階進めたい」
相手から返事が届く。
「具体的には?」
「貿易だけじゃない。道路、港、電力、通信、それから人の往来だ」
しばらく返事は来なかった。やがて、一つの返事が届いた。
「一度、直接話しましょう」
ヴィクターは頷いた。
「分かった」
数日後、両国の代表が再び同じテーブルについた。以前の会談とは、少し空気が違っていた。国交を正常化したばかりの頃は、互いに警戒していた。今は、すでに商売が始まっている。商品を運ぶ車が国境を越え、企業同士の連絡も増えていた。小さいながらも、関係は動き始めていた。
「今回、提案したいことがあります」
ヴィクターが言う。
隣国の代表が資料を見る。
「共同経済圏です」
相手が顔を上げた。
「経済圏?」
「ああ。まだ国交を戻して、それほど時間が経っていません。だから、最初から大きな組織を作るつもりはありません」
ヴィクターは資料を指す。
「まずは関税を下げる。道路と港を共同で整備する。電力を融通できる仕組みを作る。通信網をつなぐ。企業が互いの国で事業をしやすくする」
相手は黙って資料を読んでいた。
「人の往来は?」
「そこも変えたい」
ヴィクターが答える。
「働く人が、国境を越えて仕事を探せるようにする。学生も行き来できるようにする。企業も、必要な人材を隣国から雇えるようにする」
隣国の代表が、資料から顔を上げた。
「かなり大きな話ですね」
「そうです。でも、一つずつならできる」
「全部を一度にやる必要はありません」
相手は、しばらく考えた。
「我々の企業が、不利益を受ける可能性もあります」
「あります」
ヴィクターは否定しなかった。
「関税を下げれば、競争は激しくなる。人が自由に動けば、国内から人が出ていくこともある。逆に、外国の企業や人間が入ってくることもあります」
「そのリスクを承知で?」
「ああ」
ヴィクターは答えた。
「閉じたままでは、もっと大きな問題が残る。市場が小さい。人が少ない。資金も足りない。一国だけで全部を作ろうとすれば、時間がかかりすぎる」
ヴィクターは地図を見る。
「だから、隣国と一緒に大きくする」
会議室が静かになる。
やがて、隣国の代表が言った。
「まずは、関税と人の往来について検討しましょう」
「それでいい」
ヴィクターは頷いた。
「次に道路と港。その次にエネルギーと通信。そして、企業の活動を簡単にする」
「分かりました」
その日の協議は、そこで終わった。大きな条約は結ばれていない。新しい組織もできていない。
だが、両国は初めて、国境の向こうを自分たちの市場として考え始めていた。
数か月後、最初の変化が現れた。関税が引き下げられ、国境での手続きも簡略化された。両国の企業が、以前より簡単に商品を運べるようになった。
そして、人の往来も少しずつ変わった。
仕事を求めて隣国へ向かう人。学校へ通う学生。商談のために国境を越える企業関係者。国境を越える人間が、少しずつ増えていった。
ヴィクターは国境の道路を見ていた。以前は軍用車両が並んでいた場所だった。今は、商用トラックが列を作っている。
「……変わったな」
盟友が隣に立つ。
「ああ」
「数年前なら、ここで商売するなんて考えもしなかった」
ヴィクターは走っていくトラックを見る。
「戦争を止めるだけじゃ足りなかったんだ」
「今度は、戦争が起きにくい関係を作る」
その言葉に、盟友が頷いた。
その夜、ヴィクターは再び世界地図を広げた。隣国との間に、小さな線が引かれている。
まだ二国だけ。
それでも、以前とは違う。
商品が動く。人が動く。企業が動く。資金が動く。
国境を越えて、互いの生活がつながり始めている。
「次は……」
ヴィクターは、隣にある別の国を見る。
今度は、そこにも話を持っていく。
一つの国だけでは、小さい。二つでも、まだ足りない。
だが。
三つ。四つ。五つとつながれば、この地域そのものが一つの大きな市場になる。
ヴィクターは地図を見ながら静かに言った。
「強い国を作るんじゃない」
「強い地域を作る」
それは、まだ構想にすぎなかった。
だが、その構想を実現するための最初の国が、この日、決まった。




