力
国へ戻ってから。ヴィクターは、以前よりも多くの報告書を見るようになった。経済、エネルギー、食料、道路、港、通信、教育、医療、人材、外交。大統領になってから、国のことを知れば知るほど、自分たちの国がまだ小さいことを思い知らされた。
「この工場の誘致は?」
ヴィクターが聞く。
「見送られました」
「理由は?」
「市場が小さいこと。それと、物流費です」
「道路を整備すれば?」
「できます」
「電力は?」
「増やす必要があります」
「資金は?」
担当者が黙った。
「……国だけでは難しいです」
ヴィクターは、資料を閉じた。
別の日。
「海外から技術者を呼べないか?」
「可能です。ただ、隣国の方が給与条件がいい」
「国内で育てるのは?」
「時間がかかります」
また別の日。
「新しい発電施設を作る」
「資金は?」
「海外から借りる」
「金利が高くなります」
「なぜ?」
「国の信用力が、まだ十分ではありません」
何をやろうとしても、どこかで止まる。
ヴィクターは、そのたびに自分の国の小ささを感じた。
戦場にいた頃は、目の前の問題なら自分で動いて解決できた。道路が壊れれば仲間と直した。食料が足りなければ探した。住民が困っていれば話を聞いた。
だが、大統領になった今は、それだけでは足りない。一つの工場を呼ぶにも電力が必要になる。電力を増やすには設備が必要になる。設備を作るには資金が必要になる。資金を集めるには経済を大きくしなければならない。経済を大きくするには企業が必要になる。企業を呼ぶには市場が必要になる。
そして。
市場を大きくするには、自分たちの国だけでは小さすぎる。
「……全部つながってる」
ヴィクターが呟いた。
盟友が隣を見る。
「何が?」
「国の弱さだ」
ヴィクターは、机の上に並んだ資料を見る。
「経済が小さい。だから企業が来ない。企業が少ないから仕事も少ない。仕事が少ないから人が出ていく。人が減れば市場も小さくなる」
若い参謀が、黙って聞いている。
「一つずつ直しても、また別のところで止まる」
それが、悔しかった。
自分は大統領になった。国民から選ばれた。決める権限もある。
それでも。
国そのものが持っていないものは、大統領一人では作れない。
その夜。
ヴィクターは、大統領府の窓から街を見ていた。
復興した建物。明かりのついた店。道路を走る車。学校から帰る子供たち。
ここまで国を作ってきた。
それでも。
まだ足りない。
「もっと大きくしないと」
ヴィクターは呟いた。
何を。
最初は分からなかった。
国土を広げることではない。人口を増やすだけでもない。
ヴィクターは、世界地図を広げた。
自分たちの国。隣国。その周りの国々。
どの国にも、それぞれ弱点がある。資源が少ない国。食料が足りない国。工業が弱い国。港を持たない国。人口が少ない国。
だが。
逆に、それぞれが持っているものも違う。
「……一つになれば」
ヴィクターは、地図を見つめる。
資源を持つ国から資源を買う。食料を作る国から食料を買う。工業の強い国が製品を作る。港のある国から世界へ運ぶ。
そして、それぞれの国が互いの市場になる。
「一国では小さい」
「でも、何か国もつながれば」
ヴィクターは、そこで言葉を止めた。
「大きな市場になる」
若い参謀が顔を上げる。
「経済圏ですか?」
「ああ」
ヴィクターは頷いた。
「国境を越えて、企業が自由に商売できるようにする。関税を下げる。道路や港をつなぐ。電力や通信もつなぐ。資金も動きやすくする」
そして、もう一つ。
「人もだ」
「人?」
「働きたい人が、隣の国で働ける。学びたい人が、隣の国で学べる。企業も国境を越えて人を雇える。家族も簡単に行き来できる」
ヴィクターは、地図を見る。
「人が動けば、仕事も増える。企業が増えれば、仕事も増える。仕事が増えれば、人も集まる。人が集まれば、市場も大きくなる」
小さな国が、一つずつ成長する。
そして。
それぞれの国が、互いの成長を支える。
「でも」
盟友が言った。
「それだけで、本当に国を守れるのか?」
ヴィクターは、すぐには答えなかった。
そして、地図の上にいくつもの国を囲むように指を動かした。
「国を守るのは、一つの国だけじゃなくてもいい」
「隣国が困れば助ける。自分たちが困れば助けてもらう」
「経済だけじゃない。情報も共有する。危機が起きた時には、政府同士がすぐに連絡できるようにする」
盟友が頷く。
「それなら、少なくとも一国だけで抱え込まなくていい」
「ああ」
ヴィクターは、静かに答えた。
「強い国を一つ作るんじゃない」
「強い地域を作る」
その言葉が、部屋に残った。
ヴィクター自身、そこまで大きなことを考えたのは初めてだった。
大統領になった時。国を守りたいと思った。
だが、今は違う。
一国だけでは、できることに限界がある。
だから、国と国をつなぐ。人と人をつなぐ。企業と企業をつなぐ。
そうすれば、今まで一国ではできなかったことも、できるようになるかもしれない。
翌朝。
ヴィクターは、最初の指示を出した。
「隣国との経済協議を拡大する」
「貿易だけではない。関税、道路、港、エネルギー、通信、人の往来。全部について話し合う」
参謀が頷く。
「どこまで自由化しますか?」
「最初から全部ではない」
ヴィクターは答えた。
「できるところから、一つずつだ」
「そして、将来的には」
ヴィクターは、世界地図を見る。
「この地域の人間が、国境を意識せずに行き来できるようにしたい」
さらに。
「商品も。企業も。資金も。自由に動けるようにする」
そして、最後に。
「その関係を守れる仕組みも作る」
それが、将来的な安全保障協力につながる構想だった。
まだ、名称すらない。条約もない。参加国も、隣国だけだった。
それでも。
ヴィクターの頭の中では、少しずつ形になり始めていた。
大きな経済圏。人の自由な往来。共通するインフラ。情報の共有。そして、互いを守る関係。
「……これなら」
ヴィクターは、小さく呟いた。
「一人では守れないものも、守れるかもしれない」
大統領になって、初めて感じた無力感。
それは、ヴィクターを立ち止まらせなかった。
逆に。
次に何を作るべきなのかを考えさせた。
戦場で、仲間を守るために力を求めた青年は、今、国を守るために国境そのものを越えた。
もっと大きな力を、作ろうとしていた。




