世界の根
中央政府の会議室。ヴィクターは、一冊の分厚い資料を受け取った。
「調査結果です」
担当者が言った。
「例の日本企業について?」
「はい」
ヴィクターは資料を開いた。最初のページには、東方カンパニーの名前があった。その下に、いくつもの企業名が並んでいる。
「思ったより多いな」
「まだ全部ではありません」
「全部じゃない?」
「はい。直接の子会社だけなら追えます。しかし、投資先や共同出資会社、その先の企業まで含めると、正確な数を出すのが難しいです」
ヴィクターはページをめくった。エネルギー。資源。半導体。AI。通信。物流。建設。金融。素材。防衛。宇宙。医療。農業。水。さまざまな分野の企業が載っていた。
「これは……全部、東方カンパニーなのか?」
「直接所有している会社ばかりではありません」
「では?」
「子会社、関連会社、投資先、共同事業体。それから、買収された企業です」
ヴィクターは、さらにページをめくった。
「この会社は?」
「東方カンパニーの投資先です」
「こっちは?」
「その会社が買収した企業です」
「その下は?」
「さらに、その企業が出資した会社です」
ヴィクターの手が止まった。
「……つまり」
「資本関係をたどると、何世代も前まで東方カンパニーにつながる企業があります」
ヴィクターは黙って資料を見た。一つの会社が巨大になった。そういう話ではなかった。東方カンパニーを中心に、企業と企業が資本でつながっている。そして、そのつながりが世界中へ広がっている。
「国別では?」
「こちらです」
別の資料が出された。北米。ヨーロッパ。アジア。中東。アフリカ。南米。オセアニア。どの地域にも、東方カンパニーと関係する企業が存在していた。
「……世界中じゃないか」
「はい」
ヴィクターは地図を見る。赤い印が世界中に付いている。
「何をしている?」
「国によって違います」
担当者が説明する。
「エネルギーを供給している国があります。資源開発を支えている国もあります。半導体関連の工場を持つ国もあります。通信インフラを提供している地域もあります。物流網や港湾設備に関わっている国もあります」
ヴィクターは、しばらく地図を見ていた。
「これだけ広がっていると……」
担当者が言葉を選ぶ。
「東方カンパニーが撤退した場合、大きな影響を受ける国があります」
「どの程度?」
「産業によります」
担当者が、一枚の資料を差し出した。
「ただ、最先端分野では、かなり深刻です」
ヴィクターが資料を見る。半導体製造。AI用データセンター。次世代通信。高性能素材。宇宙関連技術。エネルギー貯蔵。それぞれの産業に、東方カンパニーと関係する企業が入っていた。
「この国は?」
「AI産業の一部を東方カンパニー関連企業に依存しています」
「こちらは?」
「半導体製造装置と素材です」
「この国は?」
「電力と通信です」
ヴィクターは眉を寄せた。
「……依存しているのか?」
「はい」
「東方カンパニーなしでは?」
担当者は少し黙った。
「短期的には、事業が成立しない国もあります」
会議室が静かになった。
ヴィクターは資料を閉じなかった。
「つまり、その国の産業を動かしている企業の中に、東方カンパニーの関係企業がいる」
「そういうことです」
「しかも、一つの分野だけじゃない」
「はい」
「エネルギーから始まって、半導体、通信、AI、物流、金融……」
「広がっています」
ヴィクターは、そこで一枚の資料に目を止めた。そこには、自分たちの国の名前があった。
「……待て」
ヴィクターがページを戻す。
「この国にもあるのか?」
「はい」
担当者が答えた。
「東方エネルギー時代の施設です」
「東方エネルギー……」
その名前を聞いた瞬間。ヴィクターの記憶が、過去へ戻った。
まだ若かった頃。戦争が終わってから、しばらく経った時期だった。ヴィクターは、復興状況を確認するため、その巨大な施設を訪れていた。
その時。施設の中で、一人の日本人とすれ違った。企業関係者の視察団にいた男。黒崎だった。
ヴィクターは、ほんの一瞬だけ男の顔を見た。黒崎も、ヴィクターを見た。黒い髪。青い目。ただ、それだけだった。
二人とも、相手が何者なのか知らなかった。名前も知らない。立場も知らない。その時は、それ以上のことなど考えなかった。
ヴィクターにとっては、ただの日本人だった。黒崎にとっても、ただの現地の青年だった。
それが、二人が初めて、同じ場所で顔を合わせた瞬間だった。
ヴィクターは、写真を見た。
「……これか」
写真に写っていたのは、巨大なプラントだった。見覚えがある。忘れるはずがなかった。
あの施設の近くで、自分たちは何度も戦った。仲間を失った場所も、逃げた道も、住民を避難させた場所も、そのすべてがあのプラントの近くにあった。
「この施設は……」
「東方エネルギーが建設しました」
担当者が続ける。
「現在は東方カンパニーのエネルギー部門に引き継がれています」
ヴィクターは、写真から目を離さなかった。
「俺は……この施設を知っている」
担当者が顔を上げる。
「戦争中、何度も見た」
「そうでしたか」
「まさか」
ヴィクターは、ゆっくり資料をめくった。
「これが、あの東方エネルギーだったのか」
当時、ヴィクターは会社のことなど知らなかった。誰が経営しているのか。どこの国の人間が資金を出しているのか。そんなことを考える余裕もなかった。
ただ、巨大なプラントがそこにあった。
そして、今になって分かった。あの施設は、世界中へ伸びていく企業網の、ほんの一部だった。
「この国だけじゃないんだな」
「はい」
担当者は答えた。
「調べれば調べるほど、東方エネルギー時代の施設や事業が出てきます」
「そして、その多くが現在の東方カンパニーにつながっています」
ヴィクターは椅子にもたれた。自分が戦っていた時代から、東方エネルギーは、すでにこの国に根を張っていた。そして、戦争が終わったあとも、消えることなく、名前を変え、事業を広げ、世界中へ伸びていた。
「……最初から、ここにいたのか」
ヴィクターが呟いた。
「はい」
短い返事だった。
ヴィクターは地図を見る。自分たちの国。隣国。さらに遠くの国々。そのあちこちに、東方カンパニーとつながる企業がある。
しかも、それぞれの企業が自分たちの判断で事業を続けている。誰かが一つの命令を出して動かしているわけではない。だからこそ、さらに分かりにくかった。
「上にいる人間は?」
ヴィクターが聞いた。
「東方カンパニーの経営陣ですか?」
「そのさらに上だ」
担当者が資料をめくる。
「確認できる範囲では、投資会社です」
「名前は?」
「黒崎」
ヴィクターの目が止まった。
「……黒崎」
「はい」
「前にも聞いた名前だ」
「例の日本人です」
ヴィクターは椅子に座ったまま、しばらく黙っていた。
あの巨大なプラント。戦争中に何度も見た施設。自分たちの国の復興に関わっている企業。そして、世界中の産業につながる東方カンパニー。そのさらに上に、一人の日本人がいる。
「何者なんだ?」
担当者は答えなかった。分からない。それが、今の調査結果だった。
政治家ではない。軍人でもない。政府関係者でもない。東方カンパニーの経営者として表に出ているわけでもない。それなのに、その資本の先には世界中の企業がある。
「黒崎本人が、全部を動かしている証拠はありません」
担当者が言った。
「むしろ、本人が把握していない企業まであります」
「……本人が?」
「はい」
ヴィクターは資料の最後のページを見る。そこには、複雑に枝分かれした企業関係図があった。一番上に、小さく「黒崎」と書かれている。その下に東方カンパニー。さらに無数の企業が、世界中へ伸びている。
まるで、一つの巨大な樹木のようだった。根は見えない。枝だけが、世界中に伸びている。
「……これは危険なのか?」
ヴィクターが聞いた。
担当者は、すぐには答えなかった。
「分かりません」
「ただ」
「はい」
「これほど巨大な資本網を持つ人間が、表にほとんど出てこないというのは……」
ヴィクターは言葉を止めた。
怖い。そう思ったわけではない。ただ、分からないことが一番危険だった。
「引き続き調べてくれ」
「はい」
「ただし」
ヴィクターは資料を閉じた。
「まだ敵だと決めつけるな」
「分かりました」
「何をしている人間なのか。それを知りたい」
その頃。
黒崎は日本にいた。自宅の庭で、土をいじっていた。
美咲が、新聞を持ってくる。
「東方カンパニー、また海外で事業を広げたみたい」
「そう」
黒崎は、それだけ答えた。
「あなたが持っている会社なのに?」
「俺が?」
黒崎は少し考えた。
「会社が勝手にやってるんじゃない?」
美咲は笑った。
「そうかもね」
黒崎は、また庭に視線を戻した。
世界のどこかで、東方カンパニーが新しい事業を始めている。別の企業が買収を進めている。その企業の先で、さらに別の会社が生まれている。
それでも、黒崎自身は何もしていなかった。投資会社の四人も、必要な報告以外で、黒崎へ細かい指示を求めることはなかった。
黒崎は、ただ、資産を持っている。それだけだった。それだけなのに、その資産から生まれた企業が、世界中へ広がっている。
黒崎は、そんなことを深く考えることもなく、庭の土をならした。
「夕飯、何?」
「今日は魚」
「じゃあ、それで」
黒崎は、また土に手を戻した。
世界では、一人の男の名前を調べ始めた人間がいる。しかし、その男自身は、世界が自分を調べ始めたことすら、まだ知らなかった。
そして、東方カンパニーの根は、さらに深く、世界の産業へ伸びていこうとしていた




