見えない相手
戦争が終わった。
ヴィクターは、中央司令部の会議室で報告書を読み返していた。停戦そのものは望んでいた。自分たちの国にとっても、周辺国にとっても、これ以上戦争を続ける意味はなかった。それでも、ヴィクターには一つだけ納得できないことがあった。
終わり方が、あまりにも急だった。
「この前まで、支援国は停戦に反対していたよな?」
「はい」
エリアスが答える。
「それが数日で政権崩壊。軍も継戦を拒否。議会も政府を支持しなくなった」
「そうです」
「偶然だと思うか?」
エリアスは、すぐには答えなかった。
「……思いません」
ヴィクターは、机の上に並んだ資料を見た。
「俺もだ」
盟友が、別の資料を置いた。
「政権が崩れる前から、国内企業の動きが変わっていました」
資料には、軍需、燃料、輸送、港湾、建設、通信など、戦争に関係していた企業の名前が並んでいる。その多くが、戦争継続を前提にしていた事業から、復興やインフラ整備へ資金を移していた。
「戦争が続く前提だった企業が、突然、戦後の事業へ動いています」
「同じ時期に?」
「ほぼ同時です」
ヴィクターの表情が変わった。
「それは偶然ではないな」
「私たちも、そう考えています」
「資金はどこからだ?」
エリアスが、一枚の資料を出す。
「複数の投資会社や企業を経由しています。ただ、流れを追うと、かなりの部分が一つの資本グループにつながっています」
「どこだ?」
「日本です」
ヴィクターは資料を見た。
「また日本か」
その下に、小さく名前が書かれていた。
投資会社「黒崎」。
「この会社について調べたか?」
「調べました」
「何が分かった?」
「分かったことの方が少ないです」
ヴィクターが顔を上げる。
「どういう意味だ?」
「会社は存在しています。ただ、規模に比べて情報が少なすぎます」
「規模?」
「確認できている人間は六人です」
「六人?」
「はい」
ヴィクターは資料を見つめた。
「六人で、これだけの資金を動かしているのか?」
「正確には、会社そのものが直接すべてを動かしているわけではありません。複数の企業や投資会社を通っています」
「だが、根をたどると出てくる」
「はい」
ヴィクターは黙った。
戦争を終わらせるほどの変化が起きた。その直前に、企業が一斉に動いた。そして、その資金の流れを追うと、日本の投資会社へつながる。
「その黒崎という会社は、何をしている?」
「ほとんど表に出ていません」
「政治との関係は?」
「直接的なものは確認できません」
「軍との関係は?」
「ありません」
「それなのに、戦争の終わりに影響している?」
「断定はできません」
ヴィクターは、資料を指で叩いた。
「断定できないからこそ、調べる必要がある」
エリアスが頷く。
「はい」
「もう一つ。東方カンパニーとの関係を詳しく調べろ」
「すでに調べています」
「結果は?」
「黒崎恒一という人物が、筆頭株主として名前を出しています」
「経営者か?」
「違います」
「政治家でもない?」
「はい」
「政府関係者でも?」
「確認できません」
ヴィクターは、椅子にもたれた。
「……妙だな」
「何がです?」
「これだけの資金と企業が動いているのに、中心にいる人間が表に出てこない」
エリアスは黙った。
「普通なら、権力を持つ人間は何かしらの肩書きを持っている。政府なら役職。軍なら階級。企業なら経営権」
ヴィクターは、黒崎恒一という名前を見た。
「だが、こいつには、それがない」
「はい」
「それなのに、資金は動く」
「……はい」
ヴィクターは、ゆっくりと息を吐いた。
「それが一番気になる」
しばらく、誰も話さなかった。
「会ってみたい」
ヴィクターが言った。
「本人に?」
「ああ」
「連絡を取ります」
「正式な外交ルートは使わなくていい。普通の面会でいい」
数日後。
日本。
投資会社「黒崎」に、連絡が入った。
「ヴィクター・ヘイルの所属する政府からです」
四人のエキスパートが資料を見る。
「面会の申し込み?」
「はい」
「内容は?」
「戦争終結までの経緯と、今後の復興について話をしたいとのことです」
四人は顔を見合わせた。
「黒崎さんに報告を」
黒崎は、自宅でその話を聞いた。
「ヴィクターって、あの国の政府の人?」
「はい」
「会いたいって?」
「そうです」
黒崎は少し考えた。
「どうする?」
美咲が聞く。
「四人に任せる」
それだけだった。
四人は先方へ返事を送った。
翌日。
返事が来た。
「面会は、お断りします」
ヴィクターは、その報告を聞いて眉を寄せた。
「理由は?」
「特にありません」
「もう一度聞いてくれ」
再び連絡する。
しかし、結果は変わらなかった。
「本人との面会はできません」
ヴィクターは、しばらく黙っていた。
「……会わない理由がない?」
「はい」
「こちらは、戦争が終わった経緯を確認したいと言っているだけだ」
「そのように伝えています」
「それでも拒否した」
「はい」
ヴィクターは、机の上の資料を見る。
普通の投資会社なら、政府関係者からの面会を完全に断る必要はない。特に、これから復興が始まる国との関係を考えれば、話を聞くメリットはある。
それでも。
会わない。
ヴィクターは、そこで判断を変えた。
「エリアス」
「はい」
「これからは、普通の企業調査として扱うな」
エリアスが顔を上げる。
「情報戦として?」
「ああ」
ヴィクターは、資料を一枚ずつ並べた。
「まず、黒崎という会社そのものを調べる」
「次に、東方カンパニー」
「その次に、関係している企業」
「最後に、資金の流れ」
「全部を一つの調査にまとめるな」
エリアスが考える。
「分けるんですか?」
「そうだ」
ヴィクターは答えた。
「一つの部署が全部を追えば、相手にも何を調べているのか分かる」
「だから、別々に調べる」
「企業情報は経済部門」
「資金は金融担当」
「海外企業との関係は外交部門」
「政治とのつながりは別に追う」
盟友が聞く。
「最後に、それを突き合わせる?」
「ああ」
ヴィクターは頷いた。
「最初から答えを決めるな」
「黒崎が黒幕だと決めつけてもいけない」
「逆に、ただの投資家だと決めつけるのも危険だ」
エリアスが資料を見る。
「何を探します?」
ヴィクターは少し考えた。
「痕跡だ」
「金がどこから来たのか」
「誰が誰と会ったのか」
「どの企業が、いつ動いたのか」
「戦争終結の直前に、何が変わったのか」
「時間を並べれば、何か見える」
それは戦場と同じだった。
敵の姿が見えなくても、弾丸の方向、車両の動き、通信、補給路を見れば、相手の位置を推測できる。
情報も同じだった。
一つの情報だけでは意味がなくても、別々の情報を重ねれば、そこに一つの流れが浮かび上がる。
「それと」
ヴィクターが言った。
「こちらから余計な情報を渡すな」
「面会を申し込んだことも?」
「それはもう知られている」
「なら、次からは慎重にする」
ヴィクターは、黒崎の資料を見る。
「相手がこちらを調べている可能性も考えろ」
エリアスの表情が変わった。
「向こうも?」
「ああ」
「こちらが戦争終結の経緯を調べていると分かれば、相手も動くかもしれない」
「だから、調査していること自体を目立たせるな」
その日の夕方から。
調査が始まった。
別々の部署。
別々の資料。
別々の経路。
それぞれが、別々の質問を投げた。
黒崎という会社について聞く者。
東方カンパニーについて調べる者。
海外投資について追う者。
ロビー企業との関係を確認する者。
誰も。
「黒崎を調べている」とは言わなかった。
数日後。
最初の報告が届いた。
「東方カンパニーは、戦争終結前後に海外投資を増やしています」
別の報告。
「複数の企業が、戦争継続を前提とした事業から復興事業へ切り替えています」
さらに別の報告。
「資金の一部が、複数の投資会社を経由しています」
そして。
「その先に、黒崎という名前が出てきます」
ヴィクターは、四つの資料を並べた。
一つだけなら偶然かもしれない。
二つでも、まだ分からない。
しかし。
別々に調べた情報が。
同じ場所へ集まっていく。
「……やっぱりか」
ヴィクターは呟いた。
まだ証拠はない。
黒崎が戦争を終わらせたという確証もない。
だが。
戦争が終わった。
その直前に企業が動いた。
資金が動いた。
政治が動いた。
そして。
その流れの先に。
同じ名前が現れる。
「偶然で片づけるな」
ヴィクターは言った。
「でも、決めつけるな」
「証拠を積み上げる」
エリアスが頷く。
「分かりました」
ヴィクターは、黒崎恒一という名前を見つめた。
「この男が何者なのか」
「それを知るまで、こっちは動かない」
その頃。
日本では黒崎が庭にいた。
「会わなくてよかったの?」
美咲が聞く。
「ああ」
「ヴィクターは、かなり気にしてるみたい」
「そうなの?」
「うん」
黒崎は少し考えた。
「別に、悪いことしてないだろ」
「そうだけど。相手からすれば、戦争が突然終わって、その直前にあなたの会社が大きく動いていたんだから」
「俺は何もしてないよ」
「それは本当?」
「四人がやった」
黒崎は土をならす。
「俺は、終わらせろって言っただけ」
美咲は、それ以上何も言わなかった。
黒崎にとっては、それだけのことだった。
だが。
ヴィクターにとっては違った。
戦場では、敵の銃口を見ればよかった。
今は違う。
金。
企業。
政治。
情報。
それらが、銃声のない戦場を作っている。
そして、その戦場のどこかに。
黒崎という名前の男がいる。
ヴィクターは、まだその顔すら知らない。
それでも。
その名前だけは。
もう、簡単には忘れられなくなっていた。




