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『東の魔王、西の勇者 ~普通のおっさんと少年ゲリラが世界を二分するまで~  作者: サラ男


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見えない力

停戦交渉が始まってから、数週間が過ぎた。中立国で続いている協議は、簡単には進まなかった。停戦ライン、捕虜、経済制裁、戦後の安全保障。話し合うことは多い。それでも、戦争を続けていた頃とは明らかに違っていた。銃声が減り、外交官が話し合い、両国とも戦争の終わりを意識し始めていた。


 その頃、アメリカ国内でも空気が変わり始めていた。


「戦争をいつまで続けるつもりですか?」


 議会で、一人の議員が政府関係者に質問した。


「軍事的な選択肢は、まだ残っています」


「選択肢が残っていることと、続けるべきことは別でしょう」


 議場がざわめく。戦争が始まった頃とは、空気が変わっていた。国内では物価や燃料価格への不満が出ている。企業からも、戦争による輸送コストや市場の不安定化を問題視する声が増えていた。


 東方カンパニーも、その影響を受けていた。エネルギー、資源、半導体、インフラ。アメリカ国内で事業を広げるほど、政府の政策は会社の利益に直接関係してくる。


 そのため、東方カンパニーは複数のロビー企業と契約していた。ロビー企業は、議員や政策関係者に情報を提供する。戦争が長引いた場合の経済的な影響、停戦した場合の復興需要、資源の安定供給、アメリカ企業が参加できる市場。そうした情報が、少しずつ政治の世界へ流れていった。


 東方カンパニーが政治家に命令するわけではない。特定の候補者を支持するよう求めるわけでもない。ただ、自分たちの事業に関係する情報を説明する。それだけだった。


 しかし、その情報を受け取った議員や政策担当者が、それぞれの判断で動き始めた。


「戦争を終わらせた方が、アメリカ企業にとっても利益が大きい」


「復興市場に入るべきだ」


「資源供給を安定させる必要がある」


 そうした意見が、少しずつ広がっていった。


 そして、その年。アメリカでは大統領選が近づいていた。


 候補者たちは、戦争についても発言する必要があった。「戦争を続けるべきだ」と主張する候補。「条件を整えた上で、停戦を目指すべきだ」と主張する候補。そして、「戦後の復興まで見据えた外交政策へ転換する」と訴える候補。


 選挙戦の中で、戦争は大きな争点になっていた。


 ある候補者の政策チームには、東方カンパニーと関係するロビー企業から資料が届いていた。そこには、停戦後に生まれる市場について詳しく書かれていた。港湾、エネルギー、資源、半導体、道路、通信。復興には莫大な需要がある。


「この市場を、他国の企業だけに取らせるのか?」


 政策担当者が資料を見ながら言った。


「アメリカ企業も入るべきだ」


 候補者は資料を読んだ。


「なら、戦争を終わらせる意味はあるな」


 その発言が、後日の選挙演説で使われた。


「アメリカは戦争だけを見るべきではない。戦後に何を作るのかまで考えるべきです」


 演説は大きな反響を呼んだ。


 もちろん、それだけで選挙が決まるわけではない。経済、雇用、国内政策、外交。多くの問題が選挙を左右する。東方カンパニーの影響も、その一つにすぎなかった。


 それでも、政治の流れに少なからず影響を与えていた。


 そして、そのことを黒崎は知らなかった。


 日本の自宅。黒崎は、いつものように庭にいた。


「恒一」


 美咲が声をかける。


「何?」


「東方カンパニーから報告が来てるよ」


「そうか」


 黒崎は庭の土をならしながら答えた。


「アメリカの方で、いくつか動きがあるみたい」


「へえ」


「ロビー会社から、政策関係者への説明が増えてる」


 黒崎は手を止めたが、振り返らなかった。


「そういう時期なんだろ」


「どうする?」


「任せればいいんじゃないか」


 それだけだった。


 今の黒崎は、個別の投資についてほとんど判断しなかった。東方カンパニーがどの会社を買うのか、どの地域へ進出するのか、どの事業へ資金を入れるのか。必要な判断は、四人のエキスパートが行う。


 黒崎は、基本的に報告を聞くだけだった。


 ある日のことだった。


「東方カンパニーが、また海外企業を買収したそうです」


 美咲が報告する。


「そう」


「関連会社も増えています」


「また増えたのか」


「みたい」


 黒崎は少し笑った。


「まあ、任せよう」


 それで終わった。


 黒崎は、買収先の会社名をすべて覚えているわけではない。どの会社がどの子会社を持っているのかも、すべて把握しているわけではない。


 それでも、資本は動いていた。東方カンパニーが投資する。その会社が別の会社へ出資する。その会社がさらに別の企業を買う。そうして黒崎が知らない企業が、少しずつ増えていった。


 黒崎自身は、それを止めようとも思わなかった。


「必要なら、やればいい」


 それが今の黒崎だった。


 ある時、美咲が別の報告を持ってきた。


「中東の事業だけど、港の再開発に参加するみたい」


「そう」


「かなり大きな計画になる」


「へえ」


「どう思う?」


 黒崎は少し考えた。


「港が直れば、周りも変わるんじゃないか」


「……それだけ?」


「うん」


 美咲は黙った。


 だが、その一言を四人のエキスパートが聞いた。


 港が直る。物流が戻る。道路が必要になる。電力も必要になる。企業が集まり、人が戻る。なら、周辺の事業にも可能性がある。


 彼らは、それを自分たちで調べ始めた。


 黒崎は知らなかった。


 数週間後、東方カンパニーの関連会社が、その地域のインフラ企業と新しい契約を結んだことも。


 黒崎にとっては、ただ思ったことを口にしただけだった。


 しかし、今の黒崎の周りには、それを聞いて動く人間がいる。黒崎が命令する必要はない。細かい指示を出す必要もない。黒崎が一言口にすれば、それを受け取った人間が考え、判断し、動いていく。


 その動きは、さらに別の企業へ伝わっていく。そして、その企業がまた別の企業を動かす。黒崎の一言は、いつの間にか本人の知らない場所まで届くようになっていた。


 その頃、中立国ではアメリカと相手国の代表が向かい合っていた。


「停戦ラインについては?」


「現在の戦線を基準にする」


「捕虜は?」


「相互に解放する」


「経済制裁は?」


「段階的に解除してほしい」


 交渉は続いていた。


 そして、最後に残った問題が戦後の復興だった。


「誰が負担する?」


 相手国の代表が聞いた。


 アメリカ側は答えなかった。戦争を始めた責任、被害、賠償、復興費用。簡単には決められない。


 その時、一つの提案が出された。


「企業に任せる方法もあります」


 両国の代表が顔を上げる。


「民間企業に?」


「はい。停戦が成立すれば、複数の企業が復興への投資を始める用意があります」


 資料が机に置かれる。


 そこには、東方カンパニーの名前もあった。


 戦争を終わらせれば、企業が動く。企業が動けば、港が戻る。電力が戻る。道路が戻る。雇用が生まれる。経済が戻る。


 両国の代表は、その資料を長い時間見つめていた。


 戦争を終わらせる理由が、また一つ増えた。


 その夜、ヴィクターにも停戦交渉の進展が伝えられた。


「まだ決まってはいません」


「でも、前には進んでいる?」


「はい」


 ヴィクターは頷いた。


「なら、待とう」


 今は、自分たちが前へ出る時ではない。戦争が終わる。その後に、地域の関係を作り直す。


 ヴィクターは、その先を見ていた。


 一方、黒崎は何も知らずに、庭の土をならしていた。


 遠く離れた国で、企業が動いている。政治家が動いている。大統領候補が政策を変えている。そして、戦争を終わらせるための交渉まで、少しずつ進んでいる。


 その流れの中に、黒崎の資本があった。


 だが、黒崎本人はもう、自分で世界を動かしているつもりなどなかった。報告を聞く。必要なら、ほんの一言だけ口にする。そして、あとは任せる。それだけだった。


 それでも、黒崎が何気なく口にした一言を受け取った人間たちが動き、その人間たちが動かした企業が、さらに別の企業を動かしていく。


 黒崎が知らない会社が増える。知らない土地で事業が始まる。知らない国で資金が動く。そして、その先で政治まで動き始めていた。


 黒崎は、それを知らない。ただ、報告を聞いているだけだった。

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