それぞれの思惑
停戦協議の準備が始まった。
アメリカと(ある国)の双方が、正式な交渉の可能性を探り始めている。まだ戦争を終わらせると決めたわけではない。それでも、これまで存在しなかった「終わった後」の話が、政府の机の上に並び始めていた。
「停戦ラインはどうする?」
「現状維持が現実的です」
「捕虜は?」
「双方とも交換を求めています」
「賠償は?」
その質問で、会議室が静かになった。
「そこは、まだ触れない方がいいでしょう」
外交官が答えた。「最初から賠償の話をすれば、交渉そのものが止まる可能性があります」
「しかし、被害は大きい」
「分かっています。だからこそ、まず銃撃を止める。その後に話すべきです」
誰も反論しなかった。戦争を終わらせることと、戦争の傷を処理することは別だった。
その頃、ヴィクターの国でも新しい会議が開かれていた。隣国との非公式協議を続ける中で、さらに周辺国から連絡が入っていた。
「我々も参加したい」
「何に?」
「安全保障についての協議です」
ヴィクターは資料を見る。
「軍事同盟ですか?」
「まだ、そこまでは考えていません。ただ、一国だけで対応するより、周辺国で情報を共有した方がいい」
ヴィクターは地図を広げた。国境、港、主要道路、空港、エネルギー施設。戦争が終わっても、地域の不安定さは消えない。
「分かった。まずは情報共有から始めよう」
「軍の共同運用は?」
「まだ早い」
「なぜです?」
「国同士の信頼が、そこまでできていない」
外交担当者が頷く。
「では、段階的に?」
「ああ。国境監視、災害対応、密輸対策。戦争以外のところから一緒にやればいい」
「それなら、参加しやすい国も増えるでしょう」
「そういうことだ」
ヴィクターは、軍事だけで国を守る考え方から少しずつ離れ始めていた。敵を増やすより、敵にならない国を増やす。それが、今のヴィクターにとっての安全保障だった。
数日後、周辺国の代表が集まった。まだ正式な条約ではない。しかし、同じ机を囲んでいる。
「我々は、互いの領土を尊重する」
「国境での偶発的な衝突を防ぐ」
「情報を共有する」
「災害時には協力する」
一つずつ確認していく。その場にいた代表の一人が口を開いた。
「これで、我々はまとまったと言えるのか?」
ヴィクターは少し考えた。
「まだだ」
「では?」
「始まったばかりだ」
代表たちは互いの顔を見る。過去には戦争をした国もある。国境問題を抱えている国もある。簡単に信頼できるわけではない。
「次も、この席に集まりましょう」
誰かが言った。
「そうしよう」
ヴィクターは頷いた。
その頃、海の向こうでは、アメリカと(ある国)の停戦協議が始まっていた。
最初の会談。両国の代表が向かい合い、握手をする。しかし、表情は硬い。
「まず、戦闘を止める方法から話しましょう」
「異論はありません」
「では、前線の部隊をどうするか」
地図が広げられる。それぞれが、自国に有利な線を指す。
「ここは譲れない」
「こちらもです」
「それでは話が進まない」
「我々も簡単には譲れません」
数時間、交渉は続いた。しかし、決定的な合意には届かなかった。
会談終了後、記者が代表へ質問する。
「停戦の可能性は?」
代表は少し考えた。
「可能性はあります」
「いつ頃ですか?」
「まだ分かりません」
それだけ答えて、会場を去った。
世界中のメディアが、その言葉を報じた。停戦の可能性。まだ小さい。しかし、ゼロではなくなった。
そして、その裏側では企業も動いていた。
復興需要を見込んだ企業が、現地の市場を調べ始める。銀行が融資条件を検討する。資源会社が供給計画を作る。物流会社が港湾の復旧計画を見る。
誰もが、戦争が終わった後を考え始めていた。
その流れの中に、東方カンパニーの名前もあった。
ただし、そこに黒崎の名前はなかった。
東方カンパニーの筆頭株主として黒崎恒一の名前は公に確認できる。しかし、それ以外の企業については、黒崎との関係を簡単には追えない。
投資先が別の企業へ出資する。その企業がさらに別の企業を買う。さらに、その企業が現地企業へ資本を入れる。
黒崎が直接知らない企業まで、資本の流れは広がっていた。
その夜、日本の山間の家。
黒崎は縁側に座っていた。
「寒くない?」
美咲が声をかける。
「大丈夫」
「ニュース見た?」
「少しだけ」
「停戦の話?」
「ああ」
黒崎は湯飲みを手に取った。
「どうなると思う?」
美咲が聞く。
「分からない」
「珍しいね」
「戦争は、株価ほど簡単じゃないから」
美咲が笑った。
「株価も十分難しいと思うけど」
「まあな」
二人はしばらく黙っていた。
黒崎のスマートフォンには、四人のエキスパートから届いた報告がいくつか表示されている。新しい投資先、海外企業の買収、土地の取得、東方カンパニーの事業拡大。
黒崎は、それらを一つずつ確認した。
「これ、知ってる?」
美咲が画面を見る。
「知らない会社だな」
「東方カンパニーの関連会社」
「へえ」
黒崎は少しだけ画面を見た。
「また増えたのか」
「みたい」
「まあ、任せよう」
黒崎はスマートフォンを伏せた。
世界では、停戦をめぐって政府が動いている。ヴィクターは周辺国との協力を始めている。企業は戦後の市場を見ている。銀行は資金を準備している。
そして、黒崎の資本は、そのすべての動きの中へ少しずつ入り込んでいた。
誰かが命令したわけではない。黒崎が計画したわけでもない。昔、黒崎が置いた資本が、企業を育て、その企業が別の企業を育てている。
黒崎の手を離れた資本が、さらに別の手へ渡っていく。
それでも、その根には黒崎がいた。
本人だけが、その広がりを完全には知らない。
ヴィクターも知らない。各国の政府も知らない。
ただ、世界は少しずつ変わり始めていた。
そして、その変化の中心にいる二人は、まだ互いの存在を知らなかった。
一人は、国を守るために人と国をつなごうとしている。
もう一人は、自分が置いた資本が、知らないところで世界をつないでいる。
勇者は、まだ自分の剣で世界を変えようとしていた。
魔王は、もう剣を握る必要すらなくなっていた。




