現場
車は。
地方へ向かっていた。
ヴィクター・ヘイル。
まだ。
その名前で呼ぶ人間は少ない。
多くの人間にとって。
彼は。
今もBAだった。
車の窓から。
街を眺める。
首都から離れるほど。
道路の状態が悪くなる。
建物も。
古いものが増えていく。
戦争の傷跡が。
まだ残っていた。
「この辺りは。
復旧が遅れているな」
BAが言う。
「はい」
同行していた職員が答える。
「予算の配分が。
まだ追いついていません」
「なぜ?」
「中央の基準では。
優先順位が低い地域だからです」
BAは。
窓の外を見る。
「現場では。
違うんだろうな」
「はい」
しばらくして。
車が止まった。
「到着しました」
BAが。
車から降りる。
そこには。
地方自治体の職員が。
何人も待っていた。
「大臣。
お待ちしていました」
「ヴィクターでいい」
職員が。
一瞬戸惑う。
「……分かりました」
BAは。
周囲を見回した。
「まず。
案内してくれ」
庁舎へ入る。
会議室。
資料が並べられている。
「道路の復旧が。
遅れています」
「病院も。
人手が足りません」
「学校も。
仮設のままです」
次々と。
問題が出てくる。
BAは。
口を挟まず。
最後まで聞いた。
そして。
一つだけ聞いた。
「一番困っているのは?」
職員が。
顔を見合わせる。
「……道路です」
「なぜ?」
「物流が止まります」
「物流が止まると?」
「食料も。
医薬品も。
届きにくくなります」
BAは。
頷いた。
「じゃあ。
道路からやろう」
職員が。
驚く。
「ですが。
中央の計画では――」
「計画を変える」
BAは。
即答した。
「現場が必要だと言ってる」
「そこを優先する」
同行していた中央職員が。
口を開く。
「予算上。
簡単ではありません」
「分かってる」
BAは。
答えた。
「だから。
俺が調整する」
それだけだった。
翌日。
BAは。
道路の現場に立っていた。
重機が。
壊れた道路を直している。
作業員たちが。
BAを見る。
「大臣が。
直接来るとはな」
「珍しいですね」
そんな声が。
聞こえてくる。
BAは。
作業を見ながら。
質問を続けた。
「ここ。
あとどれくらい?」
「三週間くらいです」
「一週間縮められる?」
「人手と資材があれば」
「分かった」
BAは。
同行していた職員を見る。
「手配して」
「はい」
その日のうちに。
中央から追加の支援が決まった。
数日後。
道路の工事が。
予定より早く進み始めた。
小さな変化だった。
だが。
地方の人間にとっては。
大きな変化だった。
その後も。
BAは。
各地を回った。
病院。
学校。
農村。
工場。
港。
人々の話を聞く。
中央へ戻れば。
また会議。
また書類。
また予算。
しかし。
以前とは違った。
BAの机には。
地方から直接届く報告が。
増えていった。
「大臣。
こちらも確認していただきたいと」
「分かった」
「こちらの地域からも」
「全部見る」
誰かが。
BAに言った。
「どうして。
そこまで地方を見るんですか?」
BAは。
少し考えた。
「俺が。
そこにいたから」
「……」
「中央に来る前。
ずっと地方にいた」
「だから。
分かるんだ」
それ以上。
BAは語らなかった。
地方を回る。
人の話を聞く。
必要なものを探す。
そして。
中央で動かす。
それを。
繰り返した。
少しずつ。
地方の人々が。
BAの存在を知るようになった。
最初は。
「BAが来たらしい」
それだけだった。
次に。
「道路を直してくれた人だ」
「病院にも支援を回したらしい」
そんな話が。
市場や役所で。
交わされるようになった。
そして。
新聞が。
彼を取り上げた。
写真。
黒い髪。
青い瞳。
地方の道路に立つ姿。
見出しには。
こう書かれていた。
「内務行政を担う若き改革者、ヴィクター・ヘイル」
BAは。
新聞を見た。
「……ヴィクター・ヘイル」
自分の名前が。
紙面に載っている。
少し。
妙な感じがした。
その頃。
首都でも。
名前が広がっていた。
「ヴィクター・ヘイルって知ってる?」
「内務の人だろ」
「地方を直接回ってる人」
「BAって呼ばれてた人だよ」
「そうそう」
人々の間で。
名前と通称が。
少しずつ繋がっていく。
そして。
ある日。
地方の学校で。
一人の少年が。
新聞を見ながら。
友人に言った。
「この人。
知ってる」
「誰?」
「BAだよ」
「BA?」
「戦争の時。
俺たちの街を助けた人」
少年は。
新聞の写真を見る。
そこには。
黒い髪と。
青い瞳の男がいた。
「ヴィクター・ヘイルっていうんだって」
「へえ」
「でも。
俺たちにはBAだよな」
「うん」
二人は。
笑った。
その頃。
別の街では。
老人が。
新聞を手にしていた。
「ヴィクター・ヘイル……」
名前を。
ゆっくり読む。
そして。
小さく笑った。
「名前が。
ついたか」
戦場では。
BAだった。
復興の街でも。
BAだった。
だが。
今。
国民は。
新しい名前を知り始めていた。
ヴィクター・ヘイル。
それは。
大統領から贈られた名前。
そして。
これから。
国を背負っていく男の名前だった。
やがて。
BAという通称と。
ヴィクター・ヘイルという名前は。
国民の中で。
一つの人物を指す言葉になっていく。
「BA」
「ヴィクター・ヘイル」
呼び方は。
違う。
だが。
人々が思い浮かべる男は。
同じだった。
戦場を知り。
地方を知り。
人々の声を聞き。
中央で国を動かし始めた男。
その名前が。
この国に。
静かに広がっていった。
そして。
まだ誰も知らない。
その名前が。
やがて。
この国だけではなく。
世界の政治史に。
刻まれることになるとは。




