重なる線
黒崎は。
朝から。
滋賀の地図を見ていた。
工場。
道路。
電力。
水。
物流。
住宅。
買った土地。
線を引いていく。
「……やっぱり」
工場だけじゃない。
いろいろなものが。
この地域に集まり始めている。
黒崎は。
証券口座を開いた。
東方エネルギー以外の銘柄を見る。
銀行。
海外株。
投資信託。
いくつもの資産。
黒崎は。
少し考えた。
ポートフォリオ。
分散投資。
もちろん知っている。
一つに集中する危険も。
十分に分かっている。
昔の黒崎なら。
こんなことは考えなかった。
金がなくなって。
仕事もなくなって。
家族にも見放されて。
何も残らなかった。
あの頃は。
一つに賭けるしかなかった。
失っても。
自分一人だった。
だから。
怖くなかった。
でも。
今は違う。
美咲がいる。
子供がいる。
守るものがある。
だから。
分散することを覚えた。
資産を守る。
家族を守る。
失わないために。
それが。
大人になるということなのかもしれない。
黒崎は。
画面を見る。
「……甘くなったな」
小さく呟いた。
昔の自分なら。
全部賭けていた。
今の自分は。
失うことを考えている。
それは。
弱くなったということなのか。
それとも。
守るものができたということなのか。
黒崎には。
分からなかった。
ただ。
どん底だった頃の自分を。
少しだけ思い出した。
何もなかった。
怖いものも。
守るものも。
何もなかった。
あの頃の自分には。
狂っていたからこそ。
できたことがある。
そして。
今の自分には。
あの頃にはなかったものがある。
家族。
黒崎は。
少しだけ笑った。
「……だから、か」
失いたくないから。
分散する。
安全にする。
余裕を残す。
そんな自分になった。
それを。
黒崎は。
甘くなったと感じていた。
だからこそ。
今。
決める。
「……でも」
黒崎は。
売却画面を開いた。
一つ。
また一つ。
東方エネルギー以外を。
すべて手放した。
そして。
その金で。
滋賀の土地を買う。
一つ。
また一つ。
土地が増えていく。
夜。
黒崎が帰宅する。
「おかえり」
「ただいま」
「今日は遅かったね」
「ちょっと土地を見てた」
「また滋賀?」
「ああ」
美咲が笑う。
「好きだね、滋賀」
「まだ安いから」
「それだけ?」
「それだけ」
食事を続ける。
しばらくして。
美咲が聞いた。
「そういえば、他の投資は?」
「売った」
「全部?」
「東方エネルギー以外は」
美咲の箸が止まる。
「……全部売ったの?」
「うん」
「分散してたのに?」
「分散は知ってるよ」
黒崎は。
何でもないことのように言った。
「でも、決めたから」
「何を?」
「滋賀」
美咲は。
黒崎を見る。
「……そんなに?」
「ああ」
「もし外れたら?」
「その時は、全部外れただけだよ」
黒崎は。
普通にご飯を食べている。
その顔には。
焦りもない。
まるで。
明日の天気の話をしているようだった。
美咲は。
少しだけ黙った。
「……ねえ」
「ん?」
「もし、あなたに何か起きたら」
黒崎は。
顔を上げる。
「子供たち連れて、家を出て」
「……何それ」
「そのままだよ」
黒崎は。
箸を置いた。
「俺に何か起きると思ったら」
一拍。
「俺のことは置いていっていい」
美咲は。
黒崎を見る。
「子供たちだけは連れて逃げて」
「……」
「それだけ覚えておいて」
黒崎は。
また箸を持った。
「冷めるぞ」
「……うん」
美咲は。
返事をした。
それ以上。
何も聞かなかった。
黒崎にとっては。
ただの確認だった。
美咲にとっては。
少し違った。
この人は。
何かが起きることを。
いつも。
どこかで考えている。
それでも。
美咲は。
何も言わなかった。
子供たちは。
何も知らない。
ただ。
いつものように。
父親と母親のいる家で。
普通の夜を過ごしている。
その夜。
黒崎は。
また滋賀の地図を広げた。
工場。
道路。
電力。
水。
物流。
住宅。
行政。
一本の線に。
つながっていく。
「……面白い」
黒崎は。
そう呟いた。
その頃。
東京では。
別の地図が広げられていた。
そこにも。
滋賀がある。
そして。
その地図には。
まだ黒崎の知らない言葉があった。
――首都機能。
黒崎が買った土地と。
国が描く未来。
二つの線が。
少しずつ。
重なり始めていた。




