貿易戦争
数週間後。
世界中を駆け巡る一つの発表があった。
新安共和国政府とアメリカ合衆国政府は、エネルギー分野を中心とした技術提携を締結した。
その中心となるのは、地球エネルギー。
まだ実証段階にある新技術ではあるものの、両国の研究機関と企業が共同で研究を進めることが正式に発表された。
さらに、両国の間で行われる対象貿易については関税を免除するという。
一方で――。
連邦および連邦を構成する各国に対しては、50パーセントの関税を課す。
世界が騒然となった。
貿易戦争が始まった。
その報を受け、連邦でも緊急会議が招集された。
ヴィクターを中心に、エリアス、アラン、そして各国の代表が会議室に集まっている。
大型モニターには、新安共和国とアメリカの共同声明が映し出されていた。
「新安がアメリカと組んだか……」
誰かが呟いた。
ヴィクターは資料を手にしたまま、しばらく黙っていた。
アランが口を開く。
「地球エネルギーの共同開発については、かなり踏み込んだ内容です」
「実証段階の技術をアメリカと共有するということか」
「はい」
エリアスが資料をめくる。
「そして、アメリカは新安との関税を免除した」
「その代わり、我々には50パーセント」
ヴィクターは共同声明を見つめた。
「……単なる関税ではないな」
エリアスが顔を上げる。
「どういう意味だ?」
「アメリカは我々と新安を切り離そうとしている。新安との貿易は免除し、その一方で連邦には50パーセント。経済と技術を同時に動かしている」
アランが資料を表示した。
「そして、エネルギー分野でも状況が変わりました」
画面には、連邦の核融合技術と新安の地球エネルギー研究についての比較が表示される。
「連邦では核融合の実用化にすでに成功しています。一方、新安の地球エネルギーはまだ実証段階です。しかし、アメリカとの共同研究によって、研究資源と人材が一気に増える可能性があります」
「つまり、エネルギー分野では我々と同じ競争圏に入る可能性があるということか」
「はい」
ヴィクターは腕を組んだ。
「……これは、思った以上にまずいな」
しばらく沈黙が続いた。
そのとき、エリアスが静かに口を開いた。
「アメリカは、友好国や同盟国を自国の利益に沿うよう動かそうとしますからね」
ヴィクターがエリアスを見る。
「日本がいい例です」
エリアスは続けた。
「もちろん、日本には日本の意思があります。しかし、長年の同盟関係の中で、安全保障や経済など様々な分野でアメリカの影響を受けてきた」
エリアスはモニターに映る共同声明を見つめた。
「今回も同じ形になる可能性があります」
「新安がアメリカに依存する?」
ヴィクターが尋ねた。
「最初から依存するわけではありません」
エリアスの声が低くなる。
「技術交流。研究者の往来。共同研究。資金。そして市場」
一つ一つ言葉を重ねる。
「それが十年、二十年と積み重なればどうなるでしょう」
室内が静かになった。
「新安の産業や研究機関がアメリカ市場を前提に動くようになれば、アメリカとの関係を簡単には切れなくなる」
ヴィクターは答えない。
エリアスはさらに続けた。
「アメリカは世界最大級の市場と研究資源を持っている。新安には東方カンパニーがある」
エリアスは二つの国を見比べるように画面を見た。
「その二つが結びつけば、我々が想像している以上の経済圏が生まれる可能性があります」
アランが口を挟む。
「連邦にも核融合があります」
「分かっています」
エリアスは即座に答えた。
「だからこそ、今のうちに考えなければならない」
その表情には、これまで以上の緊張が浮かんでいた。
「核融合があるから大丈夫、ではないんです」
ヴィクターが静かに聞く。
「どういうことだ?」
「技術だけでは国家は動きません」
エリアスは答えた。
「エネルギー、経済、金融、物流、食料、通信、人材、そして市場。これらが一つの経済圏として結びついたとき、初めて巨大な力になる」
エリアスはヴィクターを見る。
「我々が恐れるべきなのは、新安が地球エネルギーを実用化することだけではない」
ヴィクターは答えない。
「アメリカと新安が、地球エネルギーを中心に一つの巨大な経済圏を形成することです」
ヴィクターの表情が変わった。
エリアスはさらに続ける。
「そうなれば、50パーセントの関税は単なる嫌がらせではなくなる。我々をその経済圏から外すための壁になる」
「そして、連邦の市場を狭める」
「ええ」
エリアスは頷いた。
「我々が気づいたときには、技術ではなく市場で負けている可能性がある」
会議室に重い沈黙が落ちた。
ヴィクターはゆっくりと椅子へ背を預けた。
「……経済戦争か」
「その可能性は高いでしょう」
エリアスはモニターを見つめる。
「だから私は、軍事的な衝突よりも、こちらの方を警戒しています」
アランが尋ねる。
「軍事よりも?」
「軍事なら、相手が敵だと分かる」
エリアスは静かに答えた。
「しかし経済は違う。企業が動き、人が動き、研究者が交流し、投資が流れ込む。それ自体は平和な活動です」
そして、少し間を置いた。
「だからこそ、止める理由もない」
ヴィクターは黙って聞いていた。
「気がついた時には、我々の周囲に巨大な経済圏が完成している」
エリアスは静かに資料を閉じた。
「そのとき連邦が何を持っているか。それが問われることになるでしょう」
ヴィクターはしばらくモニターを見つめていた。
そして、意を決したように口を開く。
「ならば、核融合技術の商用化を進めてくれ」
アランが顔を上げる。
ヴィクターの声には、明確な意思があった。
「この段になれば、どちらがイニシアチブを取るかはスピード勝負だ」
ヴィクターは資料を指した。
「我々には、まだ技術を確立しているという大きな有利さがある」
そして、はっきりと言い切った。
「その優位を最大限に活用しろ」
「分かりました」
アランが頷く。
「商用化までの工程を再構築します」
「頼む」
ヴィクターは席を立った。
「研究室の中で勝っていても意味がない。実際に社会へ出し、産業を動かし、市場を押さえる」
エリアスも頷いた。
「先に市場を作った者が、次の時代の基準を作る」
「ああ」
ヴィクターは大型モニターを見つめた。
そこには三つの勢力が映し出されている。
連邦。
アメリカ。
新安共和国。
まだ地球エネルギーは実証段階。
一方、連邦では核融合の実用化にすでに成功している。
だからこそ、時間が重要だった。
「急ごう」
ヴィクターは静かに言った。
「世界が動き出す前に、こちらから世界を動かす」
会議室の空気が変わった。
連邦は守りに入るのではない。
すでに手にしている技術を、今度は市場へ投入する。
経済戦争の幕は、もう上がっていた。
そしてその先には、三つの勢力が技術と市場を巡って競い合う、新たな時代が待っていた。




