揺らぐ大国
アメリカ政府もまた、厳しい現実に直面していた。
100パーセント関税という強硬な政策。
それは単なる外交上の圧力ではなかった。
停滞する国内経済に、何とか活路を見出そうとした結果でもあった。
国内では貧富の格差が広がり、中間層の不満も積み重なっていた。
企業はコスト上昇に苦しみ、国民の生活にも景気の停滞が影を落としている。
政府にとって、国内経済を守るために打てる手は、もはや多く残されていなかった。
しかし、かつてのように国民の愛国心を刺激し、外敵を作り上げて戦争へ向かうこともできない。
先の戦争で、アメリカは手痛い敗北を経験していた。
国民の記憶にも、その傷はまだ残っている。
軍事力を背景にした強硬策が、必ずしも国民の支持を得られるとは限らない。
政府は慎重にならざるを得なかった。
それでも国内の不満は収まらない。
政策は行き詰まり、経済も好転しない。
そしてついに、その不満は一部で暴力へと変わり始めた。
ある日の夜。
首都の政府関連施設周辺には、数千人規模の群衆が集まっていた。
最初は抗議の声だった。
しかし時間が経つにつれて、その声は次第に大きくなっていった。
「政府は何をしている!」
「このままでは生活できない!」
無数の声が重なり、街全体を震わせる。
掲げられたプラカードが揺れ、スマートフォンを掲げる人々が次々と映像を撮影していた。
警備側は施設の入口を封鎖し、一定の距離を保つよう群衆へ呼びかけていた。
「これ以上、前へ進まないでください!」
しかし、呼びかけは怒号の中にかき消されていく。
群衆の一部が前方へ押し寄せる。
後ろから次々と人が押し寄せ、最前列では警備側との距離が一気に縮まった。
誰かが投げた物が、施設の壁へ当たった。
それをきっかけに、周囲からさらに物が投げ込まれる。
警備側が盾を構える。
「下がってください!」
怒号。
サイレン。
警告の声。
すべてが入り混じり、現場は一瞬で騒然となった。
施設の門が大きく揺れる。
警備員たちは互いに声を掛け合いながら、入口を守る。
一方、群衆の後方では、状況を見ていた人々が次々とその場を離れ始めていた。
「危ないぞ!」
「下がれ!」
しかし、その声すら周囲の騒音にかき消される。
やがて一部の暴徒が規制線を突破し、施設へ向かって走り出した。
警備側が一斉に動く。
その瞬間を撮影していた映像が、ネットへ投稿された。
数分もしないうちに、世界中へ拡散されていく。
別の都市でも抗議活動が始まっている。
さらに別の都市では、政府関連施設の周辺に人が集まり始めている。
ニュース速報が次々と画面へ表示された。
「アメリカ各地で抗議活動が拡大しています」
「一部の地域では暴徒化した集団と警備当局の衝突も発生しています」
「政府は事態の沈静化を急いでいます」
ネット上には、現場から投稿された映像が次々と流れていた。
燃える車両。
封鎖される道路。
走って逃げる市民。
怒号に包まれる街。
そして、政府施設を守る警備側。
それらの映像が編集され、拡散され、さらに別の都市へと広がっていく。
世界中の人々が、リアルタイムでアメリカ国内の混乱を目にしていた。
アメリカ政府は対応に追われていた。
国外との経済戦争。
国内経済の停滞。
広がる格差。
そして国民の不満。
複数の問題が、同時に押し寄せていた。
その映像を、連邦でもヴィクターとアリアが見つめていた。
ヴィクターは無言で画面を見ていた。
隣ではアリアが、複雑な表情を浮かべている。
アリアにとってアメリカは、生まれ育った国だった。
そこには、今でも大切な記憶がある。
しかし画面に映っているのは、かつて知っていた国とは少し違って見えた。
「……大丈夫なのかな」
アリアが小さく呟く。
ヴィクターはすぐには答えなかった。
やがて、静かに口を開く。
「分からない」
「アメリカが、こんなことになるなんて……」
「経済が崩れれば、人の心も不安定になる」
ヴィクターは画面を見つめた。
「それに、政府も簡単には動けない」
「戦争にはできないものね」
「ああ」
ヴィクターは頷いた。
「先の戦争で、多くのものを失った。もう国民を愛国心だけでまとめることも難しいだろう」
アリアは黙っていた。
やがて、隣で眠っているヌールへ視線を向ける。
小さな寝息。
何も知らずに眠る娘。
ヴィクターも、その姿を見つめた。
世界では国家同士が経済を巡って対立し、国内では人々の不満が噴き出している。
その先に何が待っているのか。
二人には、まだ分からなかった。
ただ一つだけ、ヴィクターには分かっていた。
「……これ以上、世界が荒れなければいいが」
その言葉に、アリアは静かに頷いた。
二人は再び画面へ目を戻した。
そこには、揺らぎ始めた大国の姿が映し出されていた。




