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『東の魔王、西の勇者 ~普通のおっさんと少年ゲリラが世界を二分するまで~  作者: サラ男


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小さな手

その頃、一方ではおめでたい話があった。

ヴィクターとアリアの間に、待望の第一子が誕生した。玉のような女の子だった。

小さな身体。小さな手。そして、力いっぱい泣く声。

アリアはその姿を嬉しそうに見つめていた。目には涙が浮かんでいる。

自分のお腹の中で育ててきた命が、今こうして目の前にいる。その事実だけで、胸がいっぱいだった。

ヴィクターはベッドの横で、ただじっと娘を見ていた。

戦場で命が生まれる瞬間とは、何度も出会ってきた。

だが、自分の娘となると何もかもが違った。

嬉しい。

それなのに、どうしていいのか分からない。

しばらくして、アリアが笑った。


「ほら、あなたも抱いてみて」


ヴィクターの身体が固まる。


「……俺が?」


「あなた以外に誰がいるの?」


ヴィクターは恐る恐る両手を差し出した。

だが、すぐに動きを止める。


「……怖い」


「え?」


「こんなに小さいんだぞ。俺が抱いて大丈夫なのか?」


アリアは少し驚いた顔をした。

ヴィクターは自分の手を見つめている。


「俺は……親を知らない」


その言葉に、アリアの表情が少し柔らかくなる。


「だから、どう接すればいいのか分からないんだ」


ヴィクターは娘を見つめた。


「抱き方すら、よく分からない」


アリアは小さく笑った。


「じゃあ、教えてあげる」


アリアがヴィクターの腕をそっと支える。


「首を支えて」


「こうか?」


「そう。もう少しこっち」


ヴィクターが慎重に腕を動かす。


「そう! 抱けてるじゃない!」


ヴィクターは驚いたように娘を見る。

小さな身体が、自分の腕の中に収まっている。


「……軽いな」


「赤ちゃんだからね」


ヴィクターは黙って娘を見つめた。

小さな手が、自分の服をかすかに握る。


その瞬間、遠い記憶が蘇った。


自分には、こんなふうに抱いてくれる人はいなかった。

泣いても、名前を呼んでくれる人はいなかった。

誰かの腕の中で眠った記憶もない。

父親がどんなものなのかも、母親がどんなものなのかも、ヴィクターは知らない。


そんな自分が今、父親として娘を抱いている。


「……これが、俺の娘」


声が少し震えた。


アリアは何も言わず、その横顔を見つめていた。


「名前、決めた?」


ヴィクターは娘を見つめながら答える。


「ヌール」


「ヌール?」


「ああ。光という意味だ」


アリアも娘の顔を覗き込む。


「いい名前ね」


ヴィクターは小さな顔を見つめたまま、静かに笑った。


自分が知らなかったもの。

自分には存在しなかったもの。


それが今、自分の腕の中にある。


「……不思議だな」


「何が?」


「俺にも、こんな日が来るんだな」


アリアはヴィクターの肩に寄り添った。


「当たり前でしょう」


ヴィクターは答えなかった。

ただ、娘を抱く腕に少しだけ力を込めた。

もちろん、力を入れすぎないように慎重に。


「……温かいな」


「そうね」


ヴィクターは娘の寝顔を見つめる。


かつて自分が得られなかったものを、この子には与えてやりたい。

名前を呼ぶこと。

抱きしめること。

帰る場所を作ること。

そして、自分が生まれてきたことを喜んでくれる人間がいるということ。


それが、父親というものなのかもしれない。


「この子には、俺と同じ思いはさせたくない」


アリアは静かに微笑んだ。


「きっと大丈夫よ」


その言葉に、ヴィクターは小さく頷いた。


その日、世界では巨大な力を巡る出来事が動いていた。

だが、この部屋にいる三人には関係がなかった。

世界を変える力よりも、今のヴィクターにとって大切なのは、自分の腕の中にある小さな命だった。

親を知らずに生きてきた男が、初めて父親になった日。

ヴィクターはその喜びを、静かに噛み締めていた。

アリアは隣で微笑んでいる。

そして三人は、当たり前の幸せに包まれながら、その日を静かに終えていった。

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