揺らぐ世界秩序
アメリカは、現在もなお世界有数の大国であることに変わりはなかった。経済力、軍事力、技術力、そのいずれにおいても巨大な国力を持っている。だが、世界はすでにかつての姿ではなかった。
連邦の台頭によって、アメリカの国際社会における発言力は徐々に低下していた。かつてならアメリカの一言で各国が動いた。しかし今では、一国の意思だけで世界を動かすことは難しくなっている。
その変化を象徴するものの一つが、国際連合だった。各国の利害が複雑に絡み合い、意思決定は遅れ、主要国同士の対立を調整することさえ困難になっていた。もはや国連そのものが、その存在意義を失いつつあるという声まで出始めていた。
軍事の世界でも、常識が変わり始めていた。
連邦にとって、旧来型のミサイル兵器は、もはや十分な抑止力とは言えなくなっていた。高度な監視網、迎撃技術、電子戦能力、そして新たな防衛技術。それらによって、これまで絶対的と考えられてきた兵器の価値が低下していた。
一方で、連邦の兵力そのものは決して多くない。だが、その不足を圧倒的な技術力で補っていた。
少数の兵力を高度な装備と情報網によって運用する。
その防衛力は、いつしか世界第一位と評価されるまでになっていた。
そして、そこへ新たな変化が加わった。
新安共和国の建国。
アメリカが警戒したのは、新たな国家が誕生したことだけではない。
その国家の中核に、東方カンパニーが存在していることだった。
東方カンパニーは、エネルギー、製造、資源、物流、技術、教育、都市開発まで、その事業領域を急速に広げていた。
そして今、アメリカが最も警戒しているものがあった。
地球エネルギー。
東方カンパニーが秘密裏に研究を進めている、既存のエネルギー概念とは全く異なる技術だった。
その詳細は、まだ世界には知られていない。
しかし、アメリカの情報機関は断片的な情報を掴み始めていた。
もしこの技術が実用化されれば、単なる新型発電技術では終わらない。
エネルギーが変われば、産業が変わる。
産業が変われば、輸送も製造も情報技術も変わる。
そして、それは最終的に軍事力そのものにも影響を与える。
アメリカ政府内では、ある認識が共有され始めていた。
「これはエネルギー問題だけではない」
会議室に集まった高官たちが、資料へ視線を落とす。
「地球エネルギーが実用化された場合、現在の戦力評価そのものが変わる可能性があります」
「どの程度だ?」
「現時点では断定できません」
担当官は一度言葉を切った。
「ですが、連邦によって防衛力の常識が覆されたばかりです。その上、新安共和国がエネルギーの常識まで変えることになれば……」
誰も続きを口にしなかった。
軍事力だけを比較していても意味がない。
エネルギー。
産業。
技術。
そして、それらを支える国家基盤。
その全てが変われば、現在の国力という概念そのものが変わる。
「ならば、どうする?」
一人の高官が尋ねる。
「軍事的に圧力をかけるのか?」
「現段階では、それは得策ではありません」
即答だった。
「技術の実態が分かっていません。それに、新安共和国と敵対する必要もありません」
「では?」
「まず、知ることです」
会議室が静かになる。
「東方カンパニーが何を開発しているのか。どこまで実用化しているのか。そして、その技術を誰が管理しているのか」
「黒崎か?」
「最終的な意思決定権は、投資会社黒崎にあると考えられています」
その名前が出た瞬間、室内の空気が少し変わった。
新安共和国を支配しているのは東方カンパニー。
そして、その東方カンパニーを支配しているのが投資会社黒崎。
この構造は、アメリカも把握していた。
「ならば、黒崎との関係を壊すな」
「はい」
「技術提携の可能性を探れ。共同研究でもいい。研究者の交流でもいい。何らかの形で接点を作るんだ」
「分かりました」
「そして、もう一つ」
高官が資料を閉じた。
「我々自身も研究を始める」
地球エネルギーを東方カンパニーから手に入れることだけを考えてはいけない。
自国で理解し、自国で再現できる可能性を追求する。
アメリカは動き始めた。
外交。
情報。
研究開発。
三つの方向から、新安共和国へ接近していく。
しかし、それとは別に、アメリカにはもう一つの問題があった。
連邦である。
連邦の防衛力は、すでに世界第一位。
そこへ新安共和国の地球エネルギーが加われば、世界の力関係はさらに大きく変化する。
アメリカは、連邦と新安共和国の双方を無視することができなくなっていた。
「三カ国会談を急げ」
その指示が出された。
アメリカ、連邦、新安共和国。
三つの国家が、初めて同じテーブルにつく。
その目的は、単純な同盟でも対立でもない。
変わり始めた世界の中で、互いの立場を確認することだった。
そして、その頃。
新安共和国では、黒崎が一枚の報告書を眺めていた。
「……三カ国会談?」
美咲が隣から覗き込む。
「アメリカから打診が来ています」
黒崎は報告書をめくる。
「連邦も参加するのか?」
「その方向で調整中だそうです」
黒崎は少し考えた。
「ずいぶん大げさだな」
美咲が笑う。
「世界の三カ国が集まるんだから、大げさにもなるでしょう」
「俺はただ、会社の仕事をしてるだけなんだけどな」
黒崎はそう言って、再び報告書へ目を落とした。
地球エネルギーが世界を変えるかもしれない。
そんなことを、今の黒崎は深く考えてはいなかった。
東方カンパニーの研究者たちが研究を続けている。
それが実用化できるなら、使えるようにする。
ただ、それだけだった。
だが世界は、すでにその技術を黒崎とは違う目で見始めていた。
一つの新技術が、国家の防衛力を。
産業を。
そして、世界秩序そのものを変える可能性を秘めている。
そのことを、まだ黒崎だけが知らなかった。




