黒崎夫婦の海外旅行 第3話
百日間の世界一周クルーズを終え、黒崎と美咲は日本へ帰ってきた。
空港から滋賀の家へ向かう。
久しぶりに見る自宅は、旅行前と何も変わっていなかった。
玄関を開ける。
「ただいま」
返事はない。
当たり前のことなのに、それが妙に心地よかった。
荷物を置き、靴を脱ぐ。
家の中には、いつもの匂いがする。
見慣れた家具。
いつもの照明。
窓から見える景色。
百日間も家を離れていたのに、昨日までここで暮らしていたような感覚だった。
黒崎はリビングのソファに腰を下ろした。
「……落ち着くな」
美咲も隣に座る。
「やっぱり家っていいね」
「ホテルも船も悪くなかったけどな」
「でも?」
黒崎は少し考える。
「ここが一番楽だ」
美咲が笑った。
しばらく二人とも何も言わなかった。
外の音。
冷蔵庫の小さな音。
時計の音。
旅行中には気にもしなかった、いつもの生活音だった。
「何か食べるか」
「旅行から帰ってきて、また食べるの?」
「家に帰ったら腹が減った」
黒崎は冷蔵庫を開けた。
「お茶漬けでもいいな」
「いいね」
しばらくして、二人の前には熱いお茶漬けが並んだ。
黒崎は箸を持ち、ゆっくりと啜る。
「……やっぱり家が一番いいなぁ」
「ふふっ」
美咲もお茶漬けを口にする。
豪華な料理でもない。
特別な食事でもない。
それでも、二人には十分だった。
「なんか、帰ってきたって感じするね」
「そうだな」
食事を終えると、黒崎は立ち上がった。
「風呂入るか」
「先にどうぞ」
「一緒に入るぞ」
「はいはい」
しばらくして、風呂から上がった黒崎がリビングへ戻ってくる。
さっぱりした顔でソファに座る。
「美咲、ビール」
「自分で取ってよ」
「旅行から帰ってきた旦那へのサービスは?」
「仕方ないなぁ」
美咲は冷蔵庫からビールを取り出し、適当におつまみを並べた。
「はい」
「ありがとう」
黒崎はビールを開ける。
一口飲む。
「うまい」
「そんなに?」
「ああ」
黒崎はソファに深く背を預けた。
テレビから聞こえる音。
手元のビール。
隣にいる美咲。
どれも旅行中にはなかったものだった。
「……これだな」
「何が?」
「家に帰ってきたって感じ」
美咲は小さく笑った。
その横で、美咲は自分の指を眺めていた。
指には、旅行先で買ったペアリングが光っている。
しばらく眺めたあと、美咲が黒崎を見る。
「ありがとう」
「何が?」
「指輪」
黒崎は自分の指を見る。
「これか」
「うん」
美咲は嬉しそうに笑った。
黒崎も少しだけ笑う。
「今回の一番の収穫だな」
美咲はもう一度、指輪を眺めた。
百日間、世界を巡った。
いろいろな国を見た。
いろいろなものを食べた。
それでも二人が最後に一番安心したのは、いつもの家だった。
そして、二人の指には新しい指輪があった。




