黒崎夫婦の海外旅行
滋賀の自宅。
黒崎はソファに座り、テレビを眺めていた。
東方カンパニーのこと。
新安共和国のこと。
世界各地の事業のこと。
気がつけば、毎日のように仕事のことを考えている。
黒崎はリモコンを置いた。
「最近、のんびりしてないな」
美咲が隣から黒崎を見る。
「そうね」
少し考えてから、美咲が口を開いた。
「海外旅行なんてどう?」
黒崎は美咲を見る。
「海外旅行か」
「ええ。たまには仕事じゃない旅行をしてみない?」
黒崎は少し考えた。
これまで海外へ行くことは何度もあった。
しかし、その目的は投資や企業との交渉、視察ばかりだった。
旅行として世界を回ったことは、一度もない。
「ゆっくり客船で世界一周でもするか」
「いいわねぇ〜」
美咲の顔が明るくなる。
「あなたと一緒になってから、株とか仕事で世界を巡ることはあっても、旅行なんて初めて!」
「そうだったか」
黒崎は少し笑った。
「たまにはパーっと旅行を楽しむか!」
「賛成」
二人はその場で旅行の計画を始めた。
数日後。
投資会社「黒崎」の六人が集まっていた。
黒崎と美咲。
そして、四人のエキスパート。
黒崎が世界一周旅行に出ることを伝えると、四人はすぐに頷いた。
「仕事のことは我々にお任せください」
「東方カンパニーとの調整も、こちらで対応します」
「何か問題があれば、こちらから連絡します」
黒崎は頷いた。
「そうか」
少し間を置いて、黒崎が言った。
「国が滅ぶくらい以外は、連絡いらんぞ」
四人が顔を見合わせる。
「……」
「それは、かなり重大な問題では?」
「だから、それ以外は連絡するなってことだ」
「承知しました」
一人が苦笑する。
「では、国が滅びそうになった場合には連絡します」
「滅んでからじゃ遅いだろ」
黒崎が即座に返す。
美咲が吹き出した。
「ふふっ」
四人も笑う。
「分かりました。できるだけ旅行を邪魔しないようにします」
「頼む」
黒崎は満足そうに頷いた。
そして数週間後。
港に巨大な客船が停泊していた。
黒崎と美咲は、その船を見上げている。
「本当に世界一周するのね」
「ああ」
黒崎は荷物を持つ。
「今回は仕事のことは考えない」
「本当に?」
美咲が笑う。
「本当にだ」
黒崎はそう言った。
二人は並んで船へ乗り込んだ。
船がゆっくりと港を離れていく。
黒崎は甲板から遠ざかる陸地を眺めた。
「……たまには、こういうのも悪くないな」
「でしょう?」
美咲が隣に立つ。
黒崎は小さく笑った。
世界中に広がる企業。
巨大な資産。
国家をも動かすほどの力。
そんなものを持つ男が、この日だけは仕事を忘れていた。
「まずは何する?」
美咲が尋ねる。
黒崎は少し考える。
「……昼まで寝る」
「もう?」
「旅行なんだから、それでいいだろ」
「ふふっ」
二人の笑い声が、海風の中に消えていった。




