流れ出すものたち
軍トップが失踪してから、数日が経った。
政府から新たな説明はない。後任も決まらない。
それでも軍は動かなければならなかった。国境警備、基地の維持、兵站、治安維持。現場には待ってくれる理由などなかった。
「中央から命令が来ています」
司令部の将校が書類を机に置いた。
「内容は?」
「主要都市の警備強化。必要に応じて、反政府勢力の鎮圧です」
部屋の空気が重くなる。
「警察は?」
「地域によって対応が違います」
「地方政府は?」
「中央の命令に従わない地域が増えています」
「つまり、軍だけでやれということか」
誰も答えなかった。
以前なら、政府の命令はそのまま軍の命令だった。
今は違う。
政府は軍を疑い、軍も政府を信用できなくなっている。
そんな中、軍内部では別の動きが生まれていた。
「このままでは、何も変わらない」
若い将校が言った。
向かいに座るのは、以前から開放路線を主張していた改革派の将校だった。
「政府の命令に従うだけでは、国を立て直せない」
「では、どうするんです?」
改革派の将校は机の上に資料を置いた。
そこには、東方カンパニーが再建を進めている地域の状況がまとめられていた。
電力が戻っている。
港が動いている。
物流が回復している。
工場が再稼働し、病院にも物資が届いている。
「企業が、ここまでやっている」
若い将校が呟いた。
「政府より先に、国を動かしている」
「だからといって、軍が企業に入るのか?」
別の将校が口を挟んだ。
「軍が企業に入るんじゃない」
改革派の将校は首を横に振った。
「我々が、軍の外へ出るんだ」
その言葉に、部屋が静まり返った。
彼らが考えていたのは、軍そのものを東方カンパニーへ渡すことではなかった。
軍人としてではなく、一人の人間として国の再建に関わる。
そのために軍籍を離れる。
それが彼らの考えだった。
数日後。
東方カンパニー本社に、軍関係者から問い合わせが入った。
最初に対応したのは人事部だった。
「軍籍を離れた将校を、採用してもらえないかという話です」
人事部長が経営会議で報告する。
「何人です?」
「まずは数名。ただ、同じ考えを持つ将校が他にもいるようです」
法務担当が資料を確認した。
「軍籍を持ったままの人間を受け入れるのは?」
「機密や指揮系統の問題があります。難しいでしょう」
「では、軍籍を離れた後なら?」
「通常の採用手続きにできます。ただし、過去の職務や保有情報については確認が必要です」
社長が考える。
「軍を取り込んでいると見られるのは避けたい」
「当然です」
「なら、あくまで一般社員として採用する。ただし、彼らの経験を活かせる仕事を用意する」
こうして、東方カンパニーによる面談が始まった。
現れたのは、開放路線を支持する数名の将校だった。
「我々は、軍を東方カンパニーに移したいわけではありません」
代表して一人が話した。
「軍籍を離れた上で、自分たちの経験を国の再建に使いたい」
人事担当者が尋ねる。
「なぜ東方カンパニーなんです?」
「実際に、この国で仕事をしているからです」
将校は答えた。
「電力、物流、工場、港湾。政府が止まっている場所でも、東方カンパニーは動いている」
法務担当者が慎重に確認する。
「軍事情報を持ち込むことは?」
「しません」
「現在の軍との関係は?」
「軍籍を離れれば、軍人ではなくなります」
「それでも元軍人であることには変わりません」
「承知しています」
面談は長く続いた。
東方カンパニー側も、簡単には受け入れなかった。
だが、彼らの持つ組織運営、危機管理、輸送、人員配置の経験は、事業を守る上で大きな意味を持っていた。
やがて経営陣が一つの案を出した。
「保安部門を新設してはどうでしょう」
社長が顔を上げる。
「保安?」
「発電所、港湾、工場、倉庫、物流拠点。東方カンパニーが管理する施設は増えています。今後、警備の重要性はさらに高くなる」
法務担当が続ける。
「通常の警備会社だけでは対応できない事態も想定されます」
人事部長が資料を示した。
「元軍人を中心に、警備計画、危機対応、施設防護などを担当させる」
社長はしばらく考えた。
「名前は?」
「東方カンパニー保安局」
こうして、東方カンパニーに新たな部門が生まれた。
最初は、あくまでインフラや施設を守るための組織だった。
発電所を守る。
港を守る。
工場を守る。
物流拠点を守る。
それだけだった。
軍籍を離れた将校たちは、その経験を生かして警備体制を整えた。
誰をどこに配置するか。
どの施設を優先するか。
緊急時にどう動くか。
施設間の連絡をどう維持するか。
それまで東方カンパニーにはなかった仕組みが、少しずつ作られていった。
その日の夜。
経営陣から黒崎にも報告が入った。
黒崎は自宅で資料を受け取った。
「保安局?」
美咲が資料を覗き込む。
「東方カンパニーが新しく作ったみたい」
黒崎は資料を読む。
「元軍人が中心か」
「そうみたいね」
「採用は東方の人事と法務が判断している」
「ええ」
黒崎は頷いた。
「それでいい」
「あなたが決めると思っていたわ」
「俺は東方カンパニーの社員じゃない」
黒崎は資料を閉じた。
「会社には会社の経営がある。俺が口を出すのは、全体の方向だけだ」
美咲は資料を見ながら言った。
「でも、面白い流れになってきたわね」
「ああ」
黒崎は窓の外を見る。
軍を手に入れたわけではない。
政府を倒したわけでもない。
ただ、軍を離れた人間たちが東方カンパニーへ入り、その能力を使い始めただけだ。
しかし、その数は少しずつ増えていた。
一人。
また一人。
やがて、将校だけではなく、その下で働いていた人間たちも東方カンパニーへ流れ始めた。
保安局の規模も膨らんでいく。
最初は発電所の警備だった。
次は港だった。
その次は工場。
物流拠点。
重要施設。
守る場所が増えるたび、必要な人間も増えた。
そして、いつしか保安局には、かつて軍にいた者たちが集まるようになっていた。
東方カンパニーは軍を買ってはいない。
軍を支配しているわけでもない。
ただ、軍から人が流れてきた。
知識が流れてきた。
経験が流れてきた。
そして、その受け皿となった保安局は、少しずつ姿を変えていった。
企業の施設を守るために生まれた組織は、やがて――。
一つの大きな力になろうとしていた。




