今だ
亡国の首都で、暴動が発生した。
発端は生活必需品の価格上昇に対する抗議だった。集まった人々は時間とともに増え、政府への不満も混ざり始めていた。やがて抗議は別の地区へ広がり、地方都市でも同様の動きが確認される。
東方カンパニーの幹部会に、現地から報告が入った。
「首都で暴動が拡大しています」
担当役員が淡々と報告する。
「政府庁舎周辺は封鎖。警察も対応に追われています」
「他の地域は?」
「複数の都市で抗議が暴動に発展しています」
別の役員が端末を確認する。
「物流にも遅延が出ています。一部の港湾施設では職員が出勤できていません」
「電力は?」
「現時点では大規模な障害はありません。ただ、政府機能が低下しています」
幹部会の空気が変わった。
社長が資料を受け取る。
「政府機能の低下は、どの程度だ?」
「行政機関の一部が機能していません。指揮系統にも混乱が出始めています」
社長は数秒、資料を見つめた。
「黒崎さんには?」
「まだです」
「連絡しろ」
「はい」
その頃、黒崎は自宅にいた。
普段から東方カンパニーの業務は社長と主要な経営陣に任せ、黒崎自身は自宅を拠点にしている。
電話が鳴った。
画面には東方カンパニーの文字。
黒崎はすぐに出た。
「黒崎です」
『社長です』
いつもより硬い声だった。
『亡国で暴動が発生しました。首都だけではありません。複数の都市へ拡大しています』
「政府は?」
『機能が低下しています』
短い沈黙。
『まだ完全な麻痺ではありません。ただ、行政機関の一部が止まり、指揮系統にも混乱が出ています』
黒崎は時計を見る。
「東方側は?」
『主要企業は動かせます』
「物流」
『確保できます』
「電力」
『現時点では維持されています』
「港は?」
『大きな混乱はありません。ただし、一部で出勤に支障が出ています』
黒崎は黙って考えた。
そして言った。
「分かった。すぐ行く」
電話を切る。
黒崎は立ち上がった。
「全員、出るぞ」
ほどなくして、投資会社「黒崎」の六人が集まった。
黒崎と美咲。
そして四人の専門家。
誰も状況を聞き返さなかった。
黒崎の表情だけで十分だった。
「行くぞ」
六人は自宅を出た。
車が走り出す。
黒崎は後部座席で、次々と入ってくる情報を確認していた。
首都。
地方都市。
政府庁舎。
港湾。
物流。
通信。
表示が更新されるたび、亡国の地図に変化が現れる。
「広がっているな」
専門家の一人が端末を見た。
「政府の対応が追いついていません」
「東方側は?」
「現時点では大きな問題はありません。ただ、物流の一部が詰まり始めています」
黒崎は即答した。
「問題が起きてからでは遅い」
車内が静まる。
美咲が画面を見ながら口を開いた。
「ここまで準備してきたものが、動き始めるわね」
「ああ」
「なら、今日は投資家として見ている場合じゃない」
黒崎が美咲を見る。
美咲はそのまま続けた。
「今まで作ってきたものが、本当に機能するかを見る日よ」
黒崎は一瞬だけ黙った。
「……そうだな」
車は速度を上げた。
東方カンパニー本社では、社長が主要経営陣を集めていた。
「黒崎さんが向かっています」
その報告に、室内の空気が変わる。
「各部門責任者も集めろ」
社長が指示した。
モニターには亡国の地図が映っている。
赤い表示が少しずつ増えていた。
やがて、
「到着しました!」
扉が開く。
黒崎が入ってきた。
美咲と四人の専門家が、その後ろに続く。
「黒崎さん」
社長が立ち上がる。
「状況は?」
挨拶はなかった。
社長が画面を指す。
「首都を中心に暴動が拡大しています。複数都市で行政機能が低下。政府は対応していますが、指揮系統に混乱が出ています」
黒崎は画面を見つめた。
港。
空港。
電力。
通信。
物流。
工業。
これまで何年もかけて、資本、人材、技術、契約によって結びつけてきた企業群だった。
それぞれは独立した企業だ。
しかし、東方カンパニーとの資本関係や業務提携、融資、技術供与、人材交流によって、すでに強く結びついている。
黒崎は社長を見る。
「動かせるか?」
「はい」
「全部か?」
「全てではありません。しかし、主要なところは動かせます」
黒崎が頷く。
「それでいい」
社長が続ける。
「こちらから指示を出せば、提携先と出資先は対応できます。ただし、政府の権限まで我々が持っているわけではありません」
黒崎は即答した。
「政府を動かせとは言っていない」
一瞬、間を置く。
「国を止めるなと言っている」
その言葉に、経営陣が黙った。
黒崎が一歩前へ出る。
「今だ」
空気が変わった。
「全てを抑えろ!」
声が響く。
「今すぐだ!!」
社長が即座に応じる。
「各部門、緊急対応!」
黒崎は次々に指示を出した。
「港湾は、既存の契約と出資関係を使え。物流を止めるな!」
「はい!」
「食料、医薬品、燃料を優先しろ!」
「承知しました!」
「電力は病院、浄水、通信、港湾を優先!」
「了解!」
「通信は消防、救急、交通、物流を確保!」
「はい!」
「空港は貨物と燃料を維持しろ!」
「承知しました!」
「金融は決済網を維持。東方側の企業間取引を止めるな!」
「はい!」
「工業は?」
「主要工場の操業維持を――」
「維持だけでは足りない」
黒崎が遮った。
「原料、電力、物流をつなげろ。どこか一つが止まっても、全体が止まらないようにしろ」
「了解しました!」
社長が経営陣へ向き直る。
「各社へ連絡! 既存の契約と権限の範囲内で、可能な限り対応を急がせろ!」
端末が一斉に鳴り始めた。
「港湾、対応開始!」
「物流、代替ルートを確保!」
「電力、重要施設を優先!」
「通信、優先回線を確保!」
「空港、貨物運用を継続!」
報告が重なっていく。
黒崎はその様子を見つめていた。
まだ政府は存在している。
東方カンパニーが政府になったわけでもない。
それでも、混乱によって空いた隙間を、東方カンパニーの企業網が埋め始めている。
黒崎は小さく呟いた。
「……血は通った」
美咲がその言葉を聞いた。
黒崎は地図から目を離さない。
「なら、回せ」
そして、低い声で続ける。
「土地にも、文化にも、世界の全てに血を回せ」
社長が振り返る。
「全系統、実行!」
東方カンパニーの各部門が動き出した。
それは政府を倒す動きではなかった。
企業を一夜で奪う動きでもない。
何年もかけて積み上げてきたものを、初めて一つの方向へ動かす瞬間だった。
美咲は画面を見つめながら、静かに言った。
「恒一……」
黒崎は振り返らない。
「何だ?」
「あなたが作ってきたものが、国より先に動き始めてる」
黒崎はしばらく黙っていた。
そして、ほんの少しだけ笑った。
「まだだ」
「え?」
「まだ、始まったばかりだ」
画面の中で、亡国各地の企業網が次々と接続されていく。
その中心に、東方カンパニーがあった。




