新しい家族
アリアが連邦へ戻ってから、しばらく経った。
二人の生活は、いつの間にか穏やかなものになっていた。政治的人質として扱われることもなく、アリアは自由に街を歩き、買い物をし、ヴィクターと食事をする。特別なことは何もない。ただ、二人にとっては、それが心地よかった。
ある日の夕方、二人は庭を歩いていた。
「アリア」
「何?」
「俺と結婚してくれないか」
ヴィクターは、まっすぐアリアを見た。飾った言葉はない。
アリアは少し黙り、それから笑った。
「……それ、プロポーズ?」
「ああ」
「ずいぶん普通ね」
「駄目か?」
「ううん」
アリアはヴィクターの目を見た。
「嬉しい」
ヴィクターは、わずかに息を吐いた。
「よかった」
「でも」
「何だ?」
「指輪は?」
ヴィクターが黙る。
「……必要なのか?」
「普通はね」
「分かった」
数日後。
ヴィクターは、小さな箱をアリアへ差し出した。
「開けて」
蓋を開ける。
中に入っていたのは、金の指輪だった。
中央には、真っ赤なルビーが一粒だけ埋め込まれている。深い赤色が光を受けて静かに輝いていた。
「……綺麗」
「気に入った?」
「うん」
アリアは指輪を手に取る。
「どうしてルビー?」
ヴィクターは少し考えた。
「赤が似合うと思った」
「それだけ?」
「ああ」
アリアは笑った。
「あなたらしいわ」
ヴィクターが、その指輪をアリアの指にはめる。
アリアは自分の手を見つめた。
人質として連邦へ来た時には、こんな未来など想像していなかった。戦争で敵だった国。その国で出会った男。そして今、その男と人生を共にしようとしている。
「本当に結婚するんだ……」
「嫌か?」
「ううん」
アリアは首を横に振った。
「嬉しい」
その夜。
ヴィクターは、アリアの父親へ連絡を入れた。
「正式に、お話ししたいことがあります」
「分かった」
数日後、二人は再び父親の前に座った。
父親は、アリアの指に光るルビーを見て、すべてを察した。
「そういうことか」
アリアが少し照れる。
「うん」
父親はヴィクターを見る。
「本当に、娘を連れていくんだな」
「はい」
「幸せにできるのか?」
ヴィクターは少し考えた。
「分かりません」
父親が眉を上げる。
「分からない?」
「俺が、アリアを幸せにできるとは約束できません」
ヴィクターは続けた。
「でも、何があっても一緒にいることは約束します」
父親は黙った。
やがて、ふっと笑う。
「それなら十分だ」
アリアを見る。
「お前が決めたんだな?」
「うん」
「なら、私から反対する理由はない」
アリアは少しだけ目を潤ませた。
「ありがとう」
「幸せになれ」
「うん」
こうして、二人の結婚が正式に決まった。
両国の政府にも結婚の予定が伝えられた。かつて戦争をした二国の男女が結ばれるというニュースは、世界中へ広がっていった。
だが、二人は報道を気にしなかった。
式についても、派手なものにはしなかった。両国から大切な人だけを招き、静かに祝う。それが二人の希望だった。
そして、結婚式当日。
会場には、両国から招かれた人々が集まっていた。エリアス、盟友、アリアの父親もいる。
父親は会場の隅から、娘の姿を見つめていた。
白いドレスを着たアリアが、ゆっくりと歩いてくる。
その姿を見た瞬間、父親の胸に幼い頃の記憶が浮かんだ。
まだ小さかった娘。自分の後ろをついて歩いていた頃。転んで泣いた日。初めて一人で学校へ行った朝。大統領だった自分の帰りを待ちながら、眠ってしまった夜。
どれも、遠い昔のことだった。
「……大きくなったな」
父親は、小さく呟いた。
そして、ヴィクターを見る。
かつて敵だった男。
今は、娘の隣に立つ男。
以前の自分なら、到底受け入れられなかっただろう。
だが今は違う。
娘自身が選んだ。
それだけで十分だった。
かつて自分は、国を守るためという理由で、娘を保証人として連邦へ送り出した。
あの日、玄関に立つ娘を見送りながら、父親は何もできなかった。
国のため。戦争を終わらせるため。
いくら理由を並べても、娘に負担を背負わせた事実は消えない。
だからこそ。
今日、アリアが自分の意思でヴィクターの隣に立っていることが、何より嬉しかった。
もう、自分が娘の人生を決める必要はない。
アリアは、自分の人生を自分で選んだのだ。
やがて、アリアが父親の前を通る。
二人の目が合う。
父親は、静かに笑った。
アリアも笑う。
それだけで、言葉は必要なかった。
式が始まる。
誓いの言葉が交わされ、二人はこれからの人生を共に歩むことを誓った。
ヴィクターがアリアの手を取る。
「これからも、守る」
アリアは笑った。
「私も、あなたを支える」
二人は指輪を交換した。
アリアの指には、真っ赤なルビーのついた金の指輪が輝いている。
父親は、その指輪を見つめた。
あの時は、自分が娘の人生を決めた。
今は違う。
娘が、自分自身で選んだ男と未来を決めている。
その違いが、父親には何より大きかった。
拍手が起きる。
父親も、ゆっくりと手を叩いた。
目元が少し熱くなる。
それを隠すように、父親は静かに顔を伏せた。
式が終わる。
二人は会場の外へ出た。
夜の庭を歩きながら、アリアがヴィクターを見る。
「終わったね」
「ああ」
「これからは?」
ヴィクターは少し考えた。
「家に帰る」
「それだけ?」
「それだけでいい」
アリアが笑った。
「そうね」
二人は並んで歩いていく。
戦争で敵だった国の女性と、その国と戦った男。
その二人が今は、一つの家へ帰ろうとしている。
ヴィクターは隣のアリアを見る。
「アリア」
「何?」
「これからも頼む」
アリアは笑った。
「こちらこそ」
二人は、そのまま歩いていった。
戦争によって始まった二人の関係は、この日、一つの家族として新しい形になった。




