迎えに来た男
会談から数日後。アリアは自国へ戻っていた。
久しぶりの自宅で、机の上に残っていた仕事を一つずつ片づけていく。国会議員としての引き継ぎ、外交委員会の書類、関係者への連絡。ほとんどは、すでに終わっていた。
そこへ父親が入ってきた。
「もう、決めたのか?」
「うん」
「本当に行ってしまうんだな」
「はい。ヴィクターと一緒に行きたい」
父親は、しばらく何も言わなかった。
机の上に並んだ書類を見る。そこには、娘がこの国で積み上げてきたものが詰まっていた。
「身辺は、しっかり整理しておけよ」
「もう全部終わってる」
「全部?」
「残っているのは、議員辞職を発表することだけ」
父親は小さく笑った。
「昔から、お前は決めると早いな」
「そうだった?」
「ああ。迷っているように見えて、最後は自分で決める」
アリアは少し笑った。
「お父さんに似たのかもね」
「それなら、もっと慎重になれ」
二人で笑った。
だが。
笑いが途切れると、部屋は静かになった。
父親が窓の外を見る。
「連邦へ行けば、そう簡単には戻ってこられないぞ」
「分かってる」
「今までみたいに、好きな時に家へ帰ることもできなくなる」
「うん」
「政治家として積み上げたものも、全部置いていくことになる」
アリアは、机の上の書類を見た。
「置いていくんじゃないよ」
「え?」
「終わらせるの」
アリアは静かに言った。
「ここでやるべきことは、もうやった」
「だから、次へ行く」
父親は娘を見つめた。
「……強くなったな」
「連邦に行ったからかな」
「それだけじゃない」
父親は首を横に振った。
「自分で人生を決めるようになった」
アリアは返事をしなかった。
父親は、しばらく娘を見ていた。
「ヴィクターは、いい男なのか?」
アリアが少し笑う。
「変な人よ」
「ほう」
「真面目すぎるし、冗談も通じない」
「それは大変だな」
「でも」
アリアは少しだけ視線を落とした。
「私を一人の人間として見てくれる」
父親は黙った。
「政治家でも、元大統領の娘でも、人質でもなく」
「アリアとして」
その言葉を聞いて。
父親は、ゆっくり頷いた。
「なら、いい」
そして。
「幸せになれ」
アリアの目が、少しだけ潤んだ。
「……うん」
父親は娘を抱きしめた。
長い抱擁ではなかった。
だが。
父親にとっては、幼い娘を抱いた最後の記憶になるかもしれなかった。
アリアも、その胸に顔を寄せた。
「お父さん」
「何だ?」
「今までありがとう」
「礼なんか言うな」
父親は、少し照れたように笑う。
「父親だからな」
「うん」
しばらくして。
二人は離れた。
父親は、娘の顔を見る。
「泣くなよ」
「泣いてない」
「そうか」
「お父さんこそ」
「私は泣かん」
「……嘘」
「うるさい」
二人は、また笑った。
翌朝。
アリアは最後にもう一度、父親のもとへ行った。
「行ってきます」
「ああ」
父親は玄関まで見送った。
「気をつけろ」
「分かってる」
「困ったら連絡しろ」
「うん」
「何かあったら、すぐ帰ってこい」
アリアは少し笑った。
「その時は、迎えに来てね」
「お前は本当に……」
父親は苦笑した。
「分かった」
アリアは、父親を見つめる。
「じゃあね」
「ああ」
扉が閉まる。
父親は、その場にしばらく立っていた。
そして。
小さく呟いた。
「……幸せになれよ」
その日の夜。
アリアはヴィクターへ連絡した。
「ヴィクター、準備できたわ」
「分かった」
「まさか、迎えに来ないなんて言わないでしょうね?」
軽い冗談だった。
しかし。
「俺が行く」
「……え?」
「分かってる」
「じゃあ、来なくても――」
「それでも行く」
アリアは思わず笑った。
「本当に、冗談が通じないんだから」
「迎えに行く」
「……はいはい」
翌朝。
その話はエリアスにも伝わった。
「ヴィクターが、アリアを迎えに行くそうです」
「そうか」
「政府専用機を使うとのことですが」
エリアスは、特に驚かなかった。
「問題ないだろう」
ヴィクターは元大統領で、現在は連邦議会議長だ。今回の訪問には、両国関係についての協議という公的な目的もある。
「それに」
エリアスは少し笑った。
「今さら止めても、あいつは行くだろう」
「……確かに」
こうして、連邦政府専用機の使用が決まった。
同時に、アリアの自国政府へ正式な訪問連絡が入る。
「ヴィクター・ヘイル連邦議会議長が来訪します」
「目的は?」
「両国関係についての協議です」
「他には?」
「アリア・ヴァレス議員の今後についても、話し合う予定です」
政府内に緊張が走った。
先の戦争以来、両国は関係改善を進めてきた。それでも、アリアが連邦へ移ることには政治的な意味がある。
だが。
「受けよう」
政府の責任者が言った。
「連邦議会議長が自ら来るんだ。少しでも関係改善につながるなら、こちらにも意味がある」
訪問の日程は、驚くほど早く決まった。
そして当日。
空港には国旗が並び、政府関係者と儀礼部隊、報道陣が待っていた。
やがて、連邦政府専用機が滑走路へ降りてくる。
扉が開く。
ヴィクターが姿を現した。
迎えに出た政府関係者と握手を交わし、その後ろからエリアス、盟友、連邦側の随行員が続く。
そして。
アリアも、その中にいた。
ヴィクターがアリアを見る。
「準備は?」
「できてる」
「忘れ物は?」
「ないわ」
アリアが笑う。
「本当に来たのね」
「約束した」
「冗談だったのに」
「知ってる」
「じゃあ、なおさらよ」
二人のやり取りに、周囲から小さな笑いが起きた。
だが。
その日の会見で、世界中が二人の関係を知ることになる。
「今回の訪問の目的は?」
記者が尋ねる。
ヴィクターは迷わなかった。
「アリア・ヴァレスを迎えに来ました」
会場が静まる。
「両国関係についての協議では?」
「それもあります」
ヴィクターは、隣に立つアリアを見る。
「でも、一番の目的は彼女です」
カメラのシャッター音が一斉に響いた。
「私は、アリアと一緒に生きたい」
「だから、自分で迎えに来ました」
その言葉は、瞬く間に世界へ広がった。
『連邦議会議長、元大統領令嬢を自ら迎えに』
『戦争を越えた二人のロマンス』
『かつて敵だった国の男女が新たな人生へ』
さらに。
アリアの議員辞職も発表された。
「私は、本日をもって国会議員を辞職します」
「これまで政治家として国に尽くしてきました」
「これからは、一人の人間として、自分の人生を選びたいと思います」
その言葉も、世界へ広がった。
数日後。
連邦へ戻る政府専用機の中。
アリアは窓の外を眺めていた。
「ねえ」
「何?」
「私たち」
アリアが少し笑う。
「世界で一番有名なカップルになっちゃったね」
ヴィクターは少し考えた。
「そうなのか?」
「ニュースを見てないの?」
「見てない」
「本当に?」
「ああ」
アリアは笑った。
「あなたらしいわ」
ヴィクターも、少し笑う。
「別に、有名になりたかったわけじゃない」
「私もよ」
「ただ、迎えに行きたかった」
アリアは、その言葉を聞いて静かに笑った。
「……うん」
そして。
日本。
黒崎の自宅では、テレビに二人の姿が映っていた。
「すごいね」
美咲が言う。
黒崎は、しばらく画面を見ていた。
「この人」
やがて、ぽつりと呟く。
「面白い男だな」
「どこが?」
「国会議長が」
一拍。
「政府専用機で女を迎えに行くんだぞ」
美咲が笑う。
「そこ?」
「ああ」
黒崎も少し笑った。
「普通じゃない」
テレビの中では、ヴィクターとアリアが並んで歩いている。
黒崎は、その姿をしばらく眺めていた。
そして。
何も言わず、テレビを消した。




