縁結びの神
翌朝。
エリアスは朝食の席で一冊の資料を読んでいた。向かいに座っていた盟友が、その様子を見て声をかける。
「何を読んでる?」
「日本の神社についてです」
「神社?」
「ええ。日本には、縁結びで知られている場所があるそうです」
盟友が興味を示した。
「縁結びって何だ?」
「人と人との縁を結ぶ、という考え方です。恋愛だけではなく、夫婦や友人など、いろいろな縁を指すようです」
「なるほど」
盟友は少し考えた。
「で、一番いいところは?」
「一番?」
「せっかくなら、そういう場所へ行ってみよう」
エリアスは呆れた顔をした。
「神様に順位をつけるものではないと思いますが」
「細かいことはいい。調べてくれ」
「分かりました」
エリアスはスマートフォンを手に取った。
「東方カンパニーにも聞いてみます」
しばらくして。
「伊勢神宮が、日本でも特に格式の高い神社として知られているようです」
「伊勢神宮か」
「ただし、縁結びだけを目的とした場所ではありません」
「近くには?」
「少し待ってください」
エリアスが調べる。
「夫婦岩という場所があります」
「夫婦岩?」
「二つの岩が並んでいる場所です。夫婦円満や縁結びの場所としても知られているそうです」
盟友の顔が明るくなった。
「それだ」
「何がです?」
「伊勢神宮へ行って、そのあと夫婦岩だ」
「はい」
「ヴィクターとアリアも連れていく」
エリアスが黙る。
盟友は、完全に何かを企んでいる顔だった。
「そこで二人にお参りしてもらう」
「なるほど」
「それで、少しでも仲が進めばいい」
エリアスはため息をついた。
「あなた、本当にやるんですね」
「もちろん」
「本人たちに気づかれないようにしてくださいよ」
「分かってる」
「あなたは、すぐ顔に出ますから」
「出てないだろ」
「今も出ています」
盟友は慌てて真顔になった。
「……これなら?」
「まだ怪しいです」
「難しいな」
その時。
廊下からヴィクターの声が聞こえた。
「何が難しいんだ?」
二人が振り返る。
「……」
「……」
ヴィクターが不思議そうに二人を見る。
「何か相談していたのか?」
「日本の観光について調べていた」
盟友が答える。
「伊勢神宮という場所があるらしい」
「ああ。名前くらいは聞いたことがある」
「行ってみないか?」
「急だな」
「日本に来たんだ。せっかくだから、いろいろ見ておこう」
ヴィクターは少し考えた。
「まあ、いいか」
盟友とエリアスが一瞬だけ目を合わせる。
「では、決まりですね」
「よし」
「何が決まった?」
ヴィクターが首を傾げる。
「明日の予定です」
「そうか」
ヴィクターは、それ以上気にしなかった。
その後ろからアリアが現れた。
「明日は、どこへ行くんですか?」
「伊勢だ」
盟友が答える。
「歴史のある場所らしい」
「伊勢ですか?」
アリアが少し考える。
「行ってみたいです」
「じゃあ決まりだな」
ヴィクターが頷いた。
「明日は伊勢へ行こう」
「はい」
アリアが笑った。
翌日。
一行は伊勢へ向かった。車が市街地を抜けると、景色は少しずつ落ち着いていった。建物の間から木々が見え、道沿いには昔ながらの店もある。都会とは違う時間が流れているようだった。
「伊勢です」
案内役が告げる。
ヴィクターは窓の外を眺めた。
「静かな場所だな」
「そうですね」
アリアも景色を見ていた。
しばらくして、盟友が説明する。
「ここは伊勢志摩サミットが開かれた場所でもある」
「世界の代表が集まったんですね」
「ああ」
エリアスが続ける。
「日本の国際会議としても有名です」
ヴィクターは周囲を見渡した。
「今日は、ここに泊まるのか?」
「そうだ」
盟友が答える。
「今日は仕事の話はなしだ」
「珍しいな」
ヴィクターが笑う。
「たまにはいいだろ」
アリアも微笑んだ。
「楽しみです」
宿へ向かう途中、昔ながらの町並みを歩いた。甘味を買い、海の幸を食べ、店先で足を止める。普段なら政治や軍事の話をしている三人も、この日ばかりはくだらない話で笑っていた。
ヴィクターが買った菓子を見て、アリアが尋ねる。
「それ、甘すぎないですか?」
「食べてみます?」
アリアが差し出す。
「いいのか?」
「どうぞ」
ヴィクターが一口食べる。
「……うまい」
「でしょう?」
アリアが笑う。
少し離れたところで、盟友とエリアスがその様子を見ていた。
「いい感じじゃないか」
「声が大きいです」
「聞こえてないだろ」
「聞こえますよ」
二人は小声で話しながら、満足そうに頷いた。
夕方。
宿に戻る。
部屋へ入ると、窓の外は夕焼けに染まっていた。
しばらくして、夕食が運ばれてくる。料理は一品ずつ丁寧に出された。季節の野菜、魚、肉、椀物。最後には温かな飯と汁物が並んだ。
普段なら急いで食事を済ませるヴィクターも、この日は箸を置く時間が長かった。
「日本の料理って、こういうものなんですね」
アリアが言う。
「落ち着くな」
ヴィクターが答える。
酒も用意されていた。日本酒を少しずつ飲みながら、政治とは関係のない話をする。今日見た景色、食べたもの、日本の街のこと。やがて、盟友が若い頃にした失敗談まで話題になった。
「そんなことしてたのか?」
ヴィクターが笑う。
「若い頃は誰だってそんなもんだ」
「あなたは今でも変わらないでしょう」
エリアスが言う。
「お前まで言うか」
笑い声が起きた。
誰も明日の外交について話さない。軍のことも、国境のことも、政治のことも。今だけは、何も考えなくてよかった。
食事が終わったあと。
ヴィクターは宿の外へ出た。夜風が心地よかった。庭の端に設けられた休憩スペースに腰を下ろし、手にした日本酒をゆっくりと傾ける。
しばらくして、足音が聞こえた。
「隣、いいですか?」
アリアだった。
「ああ」
アリアが隣に座る。
二人とも、すぐには話さなかった。虫の声、木々が風に揺れる音、遠くの街の明かり。ヴィクターはもう一度酒を飲み、アリアも静かに夜を眺める。
言葉がなくても、気まずくはなかった。
しばらくして、ヴィクターが杯を少し上げた。
「いっぱいやるか」
アリアが笑った。
「ええ」
二人は静かに酒を飲んだ。
何か特別な話をしたわけではない。それでも、その時間は不思議なくらい心地よかった。
翌朝。
一行は伊勢神宮へ向かった。長い参道を歩き、木々に囲まれた道を進む。静かな空気の中で、ヴィクターは普段とは違う表情で周囲を見ていた。
「ここが……」
「伊勢神宮です」
エリアスが答える。
アリアも立ち止まり、境内を眺めた。
盟友が少し後ろでエリアスに囁く。
「ここからだな」
「何がです?」
「縁結び作戦」
「本当にやるんですね」
「もちろん」
二人は何でもない顔をして前へ進んだ。
ヴィクターとアリアは、まだ何も知らない。
この日の次の目的地が、夫婦岩だということを。




