小さな家族
ある日のこと。いつの間にか、アランとエレンの間には子供が生まれていた。
研究院では相変わらず研究が続いている。量子コンピューター、AI、核融合、新素材。世界を変えるほどの研究が進んでいるというのに、その中心にいるアランは、最近まったく別の問題に悩んでいた。
「……どうすればいいんでしょうねぇ」
アランは腕の中にいる赤ん坊を見つめていた。
「何が?」
エレンが聞く。
「接し方です」
「子供に?」
「はい」
アランは真剣だった。
「何を話せばいいのか分かりません」
「普通に話せばいいでしょう」
「普通って、難しいですよ」
アランは赤ん坊を見つめ、しばらく考えた。
「……そうだ。一般相対性理論なら話せます」
「何でそうなるの?」
アランは赤ん坊に向き直った。
「いいですかぁ。まず、重力というものはですねぇ」
「ちょっと待って」
「時空が曲がって――」
「待ちなさい」
「質量を持つ物体が――」
「アラン」
「はい?」
「この子、まだ赤ちゃんよ」
「知ってますよぉ」
「じゃあ、一般相対性理論は早いでしょう!」
エレンのツッコミが飛ぶ。
「でも、いつか必要になりますよ」
「いつかって何年後よ!」
「十年くらい?」
「早すぎるわ!」
アランは大げさに胸を押さえた。
「痛い……」
「叩いてないでしょう!」
「心が……」
「大げさ!」
エレンは呆れながらも笑っていた。
赤ん坊はそんな二人を見ながら、小さな声を出した。
「あー」
アランが振り返る。
「今、何か言いましたよ」
「赤ちゃんだからね」
「もしかして、相対性理論に興味が?」
「違うと思う」
エレンは笑った。
その様子を見ていたヴィクターも、少し離れたところで困った顔をしていた。
「……子供って、どう接するんだ?」
盟友が隣に立つ。
「知らないのか?」
「知らない」
「大統領だったのに?」
「政治と子育ては別だろ」
「まあ、それはそうだな」
ヴィクターは赤ん坊を見る。小さい。そして、どう見ても弱い。少し触っただけでも壊れそうに見える。
「……怖いな」
ヴィクターが呟く。
エレンが笑った。
「ヴィクターさん」
「何だ?」
「抱っこしてあげてください」
「俺が?」
「はい」
「どうやって?」
「普通に」
「普通が分からない」
「腕で支えるだけです」
ヴィクターはしばらく赤ん坊を見つめ、恐る恐る腕を伸ばした。エレンが赤ん坊をヴィクターへ渡す。ヴィクターはぎこちなく抱き上げた。
「……」
「どうですか?」
「暖かい」
ヴィクターは赤ん坊を見つめる。
「それに……」
少し眉を寄せた。
「首がぷらぷらじゃないか」
「ヴィクター!」
アリアがすぐに割って入った。
「首は支えないとダメです!」
「そうなのか?」
「そうです!」
「知らなかった」
「危ないですよ!」
アリアがヴィクターの腕を直す。
「こうです。頭を支えてください」
「こう?」
「はい」
ヴィクターは言われた通りにする。赤ん坊が、ヴィクターの胸元で小さく動いた。
「……静かになった」
「安心してるんですよ」
エレンが微笑む。
ヴィクターはしばらく赤ん坊を見つめていた。
「こんなに小さいのに」
「はい」
「生きてるんだな」
「そうですよ」
ヴィクターの表情が少しだけ柔らかくなる。
その様子を見ていた盟友が、ふと笑った。
「なんか、新婚みたいだな」
「え?」
ヴィクターとアリアが同時に振り向く。
「いや」
盟友は笑いながら言った。
「二人で子供を抱いてると、夫婦みたいに見える」
「違います!」
アリアが即座に否定する。
ヴィクターも口を開く。
「そういう関係じゃない」
だが、二人とも少しだけ照れていた。
「……顔、赤くないか?」
盟友が言う。
「赤くない」
「赤いですよ」
アランまで口を挟む。
「アランは黙ってて!」
「痛い!」
エレンのツッコミが飛ぶ。アランが大げさに頭を抱えた。
「また叩かれましたぁ」
「だから叩いてない!」
部屋に笑い声が広がった。
ヴィクターは赤ん坊を抱いたまま、その光景を見ていた。
戦場。政治。国。外交。そんなものとは、まったく違う時間だった。
目の前にいる小さな命。それを囲む人間たち。アランは相変わらず赤ん坊に難しい話をしようとしている。エレンは、それを笑いながら止めている。アリアはヴィクターの抱き方を気にしている。盟友は面白そうに眺めている。
ヴィクターは、まだ子供がいる生活なんて想像できなかった。だが、この時間が悪くないことだけは分かった。
「……子供って、不思議だな」
ヴィクターが呟く。
アリアが隣で笑った。
「そうですね」
赤ん坊が、小さく笑うような声を出した。
ヴィクターは少し驚く。
「今、笑ったか?」
「たぶん」
「俺に?」
「そうかもしれません」
ヴィクターは少しだけ照れたように笑った。その横で、アリアも同じように笑っていた。
盟友は、その二人を見て呟く。
「やっぱり新婚みたいだな」
「だから違います!」
今度はヴィクターとアリアの声が重なった。
また、部屋に笑い声が響いた。
その日。世界を変える研究者と、国を背負う男と、政治家と、戦場を生き抜いた男が、ただ一人の赤ん坊を囲んでいた。
それは、世界のどんな会議よりも静かで、穏やかな時間だった。




