帰国
連邦と周辺国の間に残っていた問題は、時間をかけながら一つずつ片づいていった。国境、貿易、安全保障。それぞれの協議が進み、大きな対立も少しずつ減っていく。
そして、アリアたちを政治的人質として拘束しておく理由も、もうなくなっていた。
「帰国の準備が整いました」
担当者からそう告げられた時、アリアはしばらく返事をしなかった。
ずっと待っていたはずの言葉だった。自国へ帰れる。家族や仲間のいる場所へ戻れる。それなのに、思っていたほど嬉しくなかった。
数か月前なら、帰国することだけを考えていたはずだ。ところが今は、連邦で見たものが頭から離れない。
戦争で壊れた街。そこから少しずつ立ち直っていく道路や工場。国境を越えて行き交う商人や輸送車。そして、七か国の代表が同じテーブルについて議論する連邦議会。
帰国の日、アリアたちは空港へ向かった。
見送りには、ヴィクターも来ていた。
「いよいよだな」
「はい」
アリアはヴィクターを見る。
「いろいろ、ありがとうございました」
「ああ」
ヴィクターが手を差し出す。
「元気で」
アリアは、その手を握った。
「ヴィクターさんも」
一瞬だけ、手を離すのが遅れた。
だが、すぐに離す。
「それじゃあ」
「ああ」
アリアたちは搭乗口へ向かった。
飛行機が離陸すると、窓の外に連邦の街が小さくなっていく。アリアは、その景色を見ながら考えていた。
自国も戦争を経験した。道路は壊れ、工場も失われ、多くの人が死んだ。それなのに、連邦では少しずつ街が戻っている。
ただ建物を直しただけではない。
企業が投資し、人が働き、貿易が戻っている。国同士が協力し、その結果として経済まで動き始めている。
「……何が違うんだろう」
その疑問は、帰国してからも消えなかった。
アリアは、すぐに政務へ戻らなかった。戦争が終わった今、自分が政治の中心から少し離れていても大きな問題はない。
だから、しばらく自国を見ることにした。
市場へ行き、道路を見て、工場を訪ねる。地方の街も歩いた。
以前なら、政治家として問題点を探していただろう。今は違った。ただ、自分の国がどこで止まっているのかを知りたかった。
道路は復旧している。だが、物流が十分に戻っていない地域がある。工場は再開している。だが、新しい投資は少ない。人々は働いている。だが、若者の仕事が足りない。
アリアは、その一つ一つをメモに残した。
そして、連邦で見たものと比べていった。
道路。物流。企業。教育。行政。国境を越えた貿易。
調べていくほど、一つのことが分かってきた。
自国に必要なのは、単純な資金だけではない。
制度が必要だった。人材も必要だ。企業を育てる仕組みも必要になる。そして、それらを動かす行政が必要だった。
アリアは連邦の復興政策について、さらに資料を集め始めた。
「道路整備……企業誘致……教育政策……行政改革……経済協力……」
資料をめくり、数字を比較する。
だが。
読めば読むほど、分からないことが増えていった。
資料に書かれているのは、ほとんどが結果だった。
なぜ、その順番で復興を進めたのか。どこで反対意見が出たのか。何に失敗したのか。どうやって七か国をまとめたのか。
肝心な部分は、書類だけでは分からない。
アリアは、一枚の資料を閉じた。
「直接、聞くしかないわね」
誰に聞けばいいのか。
考える必要はなかった。
ヴィクター。
連邦を作った中心人物。戦争を知り、復興も知っている。七か国をまとめる難しさも知っている。
議会で見た時も、ヴィクターは一人で物事を決めていたわけではなかった。各国の代表の意見を聞き、対立すれば調整し、最後は話し合いでまとめていた。
なぜ、それができたのか。
アリアは知りたくなった。
連邦政府へ問い合わせる方法を調べる。そして、訪問申請の書類を作った。
その途中で、アリアの手がふと止まった。
ヴィクターに、また会える。
そう思った。
自国の復興のため。連邦の制度を学ぶため。専門家の話を聞くため。
理由はいくらでもある。
それでも。
アリア自身、もう一つ理由があることに気づき始めていた。
数日後。
連邦政府に、アリアからの訪問申請が届いた。
「アリアさんからです」
担当者がヴィクターへ報告する。
「アリア?」
「はい。以前、政治的人質として滞在していた方です」
「ああ」
ヴィクターは申請書を受け取った。
「来るのか」
「はい。今回は私的な訪問だそうです」
「目的は?」
「復興政策や経済協力について、現地で話を聞きたいとのことです」
ヴィクターは申請書に目を通しながら、少し笑った。
「熱心だったからな」
議会を訪れた時も、アリアは議員たちの議論を真剣に聞いていた。街を歩いた時も、復興の仕組みについて何度も質問していた。
「受け入れよう」
「はい」
「俺が案内する」
担当者が少し驚く。
「ヴィクター議長ご自身が?」
「ああ」
ヴィクターは申請書を机に置いた。
「せっかく来るんだ。それに、向こうにも恩が売れるかもしれないからな」
「外交的な意味でも?」
「ああ。今は政務から離れていても、あの人間は自国で影響力を持つ。こっちを知ってもらえば、これから何か協力する時にも話が早い」
担当者が頷く。
「分かりました。準備を進めます」
「ああ。頼む」
その頃。
アリアは、自宅で訪問の日程を確認していた。
連邦へ行く。
今度は政治的人質ではない。誰かに連れていかれるわけでもない。自分の意思で行く。
自国のために、連邦の復興について話を聞く。それは、確かに理由だった。
だが。
アリアは、もう一つの理由を考えないようにしていた。
ヴィクター。
また会える。
そう思った瞬間、少しだけ嬉しかった。
「……仕方ないわね」
アリアは、小さく笑った。
自分でも分かっていた。
理屈だけなら、わざわざ自分で連邦まで行く必要はない。資料を集めればいい。専門家に話を聞けばいい。
それでも。
もう一度、あの国を見たかった。
そして。
あの男と話してみたかった。
結局。
アリアは、自分自身の好奇心に勝てなかった。




