議会
連邦に来てから、数か月が過ぎた。
アリアは、連合側の重要人物として、連邦の管理下に置かれていた。正式な立場は政治的人質。自由に帰国できるわけではなく、行動にも一定の制限がある。それでも、ヴィクターはアリアたちを必要以上に拘束しなかった。
護衛はつく。行き先も事前に伝える。政府施設へ入る時には許可が必要だ。だが、街へ出ることはできた。買い物もできた。連合側から拘束されている他の人間たちと会うことも許されていた。
最初の頃、アリアはそんな扱いを信用していなかった。
殺されるかもしれない。
奴隷のように扱われるかもしれない。
何が起きてもおかしくないと思っていた。
だが、数週間が過ぎても何も起こらなかった。
食事は十分に与えられる。医療も受けられる。護衛はいるが、必要以上に口を出してこない。街へ出れば、人々はアリアたちを特別扱いしなかった。
それどころか。
店員も、子供も、老人も。
アリアたちを普通の人間として扱った。
それが、少しずつアリアの警戒心を解いていった。
やがて、アリアは他の政治的人質たちとも話すようになった。
「明日は市場へ行かない?」
「またあの店?」
「今度は別のところにしよう」
「それなら賛成」
最初は互いに警戒していた。
それが今では、くだらないことで笑うこともある。
アリア自身も、いつの間にか連邦での日常を楽しむようになっていた。
そんなある日の午後。
ヴィクターが、アリアたちのところへ来た。
「最近、ずいぶん慣れたな」
アリアが振り返る。
「そう見えますか?」
「ああ」
「……実際、少し慣れました」
ヴィクターが笑う。
「それならよかった」
そして、少し考えるようにアリアを見る。
「アリア」
「はい」
「連邦議会を見てみないか?」
「議会?」
「ああ」
アリアは少し驚いた。
「私が入ってもいいんですか?」
「見学するだけなら問題ない」
「でも、私は政治的人質ですよ」
「そうだな」
ヴィクターは否定しなかった。
「だから、政府の機密を見せるわけじゃない。ただ、議会を見るくらいなら問題ない」
アリアは黙った。
自分は、この国に拘束されている。
それでも。
政治家として、連邦議会を自分の目で見る機会は大きい。
「……行きたいです」
「分かった」
翌日。
アリアと、数人の政治的人質たちは連邦議会へ向かった。
車の窓から、いつもの街が流れていく。
数か月前、この国へ連れてこられた時とは、同じ街なのに見え方が違っていた。
道路。
学校。
病院。
住宅。
工場。
そして、その間を歩く人々。
以前は、連邦という国の一部としてしか見ていなかった。
今は。
そこに暮らす人間の生活が見える。
「本当に、最初に見た時とは違うな」
隣の政治的人質が呟く。
「そうね」
アリアも答えた。
「街が変わったというより」
窓の外を見ながら、アリアは続ける。
「私たちが、見えるようになったのかもしれない」
「何が?」
「そこにいる人たちが」
隣の人間が黙る。
アリアは、街を歩く老人を見る。
店の前で笑う子供を見る。
道路を走る車を見る。
「戦争中は、国でしか見ていなかった」
「連邦軍。連合軍。敵。味方」
「でも、あの人たちは、そのどちらでもない」
アリアは静かに言った。
「ただ、ここで暮らしている人たちよ」
それが。
アリアの考え方だった。
敵国の兵士だからといって、その人間そのものまで敵だとは思わない。
政治家だから偉いわけでもない。
一般の人間だから価値が低いわけでもない。
人は、人として見る。
それがアリアにとっては当たり前だった。
やがて、連邦議会の建物が見えてきた。
「大きい……」
別の政治的人質が声を漏らす。
「ここで七か国が話し合っているんですか?」
「そうです」
案内役が答える。
車を降りる。
警備は厳重だった。
だが、アリアたちに対する扱いは丁寧だった。
「本日は議会見学ということで、必要な場所をご案内します」
職員が頭を下げる。
アリアは少し驚いた。
政治的人質である自分たちに、ここまで丁寧に接する。
だが、それ以上に気になったのは。
職員が自分たちを恐れても、見下してもいないことだった。
ただ。
一人の人間として接している。
アリアは、少しだけ表情を緩めた。
議会の中へ入る。
最初に案内されたのは資料室だった。
壁には、連邦成立から現在までの資料が並んでいる。
「連邦は最初から七か国だったんですか?」
アリアが聞く。
「いいえ。最初は二か国です」
「そこから?」
「三か国、四か国と増えていき、現在の七か国になりました」
「なぜ増えたんですか?」
「経済協力と安全保障です」
アリアは資料を見る。
「最初から一つの国になることを目指したわけではない?」
「違います。必要なことから、一つずつ協力していったそうです」
アリアは少し考えた。
「……現実的ですね」
次に案内されたのは、七か国の代表が使用する会議室だった。
「ここで予算も決めるんですか?」
「はい」
「各国で意見が割れたら?」
「話し合います」
「それでも決まらなければ?」
「投票です」
アリアは少し笑った。
「普通の議会と変わらないんですね」
「ただし、七か国ありますから」
職員も笑う。
「簡単には決まりません」
その言葉を聞いた直後だった。
奥の議場から声が聞こえてきた。
「我が国への配分が少なすぎます」
「しかし、共同インフラを優先すべきです」
「港湾整備も必要です」
「こちらは電力網が不足しています」
アリアが足を止める。
「……会議中ですか?」
「はい」
案内役が答える。
「少し見ていきますか?」
「お願いします」
議場の後方へ入る。
七か国の代表が、それぞれ資料を手にしていた。
「今年の予算では、我が国の道路整備が遅れます」
「こちらも同じです」
「では、共同基金から出すべきです」
「それでは別の国が負担することになります」
アリアは黙って聞いていた。
誰も簡単には譲らない。
自国の利益を主張する。
しかし、怒鳴り合うわけでもない。
「では、三年間の計画にしましょう」
「一年目は道路」
「二年目に港湾」
「三年目に電力」
少しずつ、妥協案が作られていく。
アリアは思わず呟いた。
「……ちゃんと揉めてる」
隣にいた政治的人質が笑う。
「そこ?」
「だって、もっとヴィクターが全部決めていると思っていたから」
その時。
議長席に座るヴィクターが目に入った。
ヴィクターは、誰かの意見を遮ることもない。自分の意見を押しつけることもない。ただ、全員の話を聞いている。
「では、修正案を提出してください。その後、採決します」
静かな声だった。
アリアはヴィクターを見つめた。
食事の席にいた男。
街を歩いていた男。
そして今、七か国の代表をまとめている男。
同じ人間なのに、まるで違って見える。
やがて、議会の休憩時間になった。
ヴィクターがアリアのところへ来た。
「少し休むか?」
「はい」
二人は、議場から少し離れた廊下へ出た。
窓の外には、議会前の広場が見える。
「疲れた?」
ヴィクターが聞く。
「少し。でも、面白いです」
「そうか」
ヴィクターは窓の外を見た。
しばらく、何も言わなかった。
アリアは、その横顔を見ていた。
「……どうしました?」
「いや」
ヴィクターが答える。
「昔のことを思い出してた」
「戦争ですか?」
「ああ」
短い返事だった。
「ここから見える街も、昔はもっと酷かった」
「戦争で?」
「そうだ」
ヴィクターは窓の外を見る。
「建物が壊れて、人がいなくなって、道路も使えなかった」
アリアは黙って聞いた。
「俺たちは、その中で戦ってた。勝つことしか考えてなかった」
ヴィクターの声が、一瞬だけ止まった。
「でも、戦争が終わったら……何もなくなってた」
アリアは初めて見た。
ヴィクターの表情から、ほんの一瞬だけ強さが消える。
「……守れなかった人間も多かった」
それだけ言って、ヴィクターは口を閉じた。
アリアは、何も言えなかった。
普段のヴィクターなら、もっと強い言葉を使う。
国を守る。
未来を作る。
前へ進む。
そんな言葉を迷いなく口にする。
だが、今だけは違った。
ただ、一人の男として。
失った人間を思い出していた。
「……私も」
アリアが、静かに口を開いた。
ヴィクターが見る。
「戦争で、たくさんの人を失いました」
「家族?」
「家族もいます」
アリアは窓の外を見る。
「政治家も。兵士も。普通に暮らしていただけの人も」
少し間を置く。
「だから、戦争が終わったからって、昨日まで敵だった人間を嫌いになれと言われても」
アリアは首を横に振った。
「私には、できません」
ヴィクターは黙って聞いていた。
「もちろん、戦争でされたことを忘れたわけではありません」
「許せないこともあります」
「でも」
アリアはヴィクターを見る。
「目の前にいる人まで、敵だと思う必要はないと思っています」
ヴィクターは、少しだけ目を細めた。
「……そういう考え方か」
「はい」
「強いな」
「そうでしょうか」
アリアは少し笑った。
「むしろ、普通だと思っています」
ヴィクターも、わずかに笑った。
「普通か」
「人間ですから」
短い言葉だった。
だが。
その言葉は、ヴィクターの中に残った。
国ではない。
軍でもない。
敵でも味方でもない。
まず。
一人の人間を見る。
アリアは、ずっとそうしてきた。
そして。
その日。
ヴィクターも、初めてアリアを政治的人質としてではなく、一人の女性として意識した。
アリア自身も。
隣にいる男を、連邦の指導者としてだけではなく、一人の男性として見始めていた。
「戻るか」
ヴィクターが言った。
「はい」
二人は議場へ戻った。
それから。
議会見学は最後まで続いた。
アリアは、議員たちの議論を見ていた。
七か国。
七つの政府。
それぞれ違う考え。
それでも。
一つのテーブルを囲んでいる。
それは、アリアが政治家として見ても興味深いものだった。
見学が終わる。
ヴィクターがアリアたちのところへ来た。
「どうだった?」
アリアは少し考えた。
「思っていたより、普通でした」
「普通?」
「もっと、あなたが全部決めていると思っていました」
ヴィクターが笑う。
「そんなことしたら、七か国がまとまらない」
「でも、最後はあなたが決めるんでしょう?」
「俺が決めるんじゃない」
ヴィクターは議場を見る。
「みんなで決める」
アリアは黙った。
「……なるほど」
その後。
二人は議会の廊下を歩いた。
アリアが尋ねる。
「ここまで来るのに、どれくらいかかったんですか?」
「何が?」
「この連邦です」
ヴィクターは少し考える。
「長かった」
「戦争の頃から?」
「ああ」
「大変でしたね」
「まあな」
ヴィクターは少し笑う。
「でも、戦争が終わった後の方が大変だった」
「なぜ?」
「国を作る仕事は、敵を倒すより難しいからな」
アリアは、その言葉を聞いていた。
「……あなたらしいですね」
「何が?」
「戦争の話をしているのに、最後は国の話になる」
ヴィクターは答えなかった。
ただ、少しだけ笑った。
アリアは、その横顔を見る。
黒い髪。
青い目。
戦場を生き抜いた男。
国を作った男。
そして。
今は。
自分の隣を普通に歩いている。
「BA」
「ん?」
「議会では、ヴィクターなんですね」
「ああ」
「でも」
アリアは少し笑った。
「私はBAと呼びます」
「好きにしろ」
ヴィクターが笑う。
その瞬間。
アリアの胸が、ほんの少しだけ高鳴った。
理由は分からない。
ただ。
目を合わせているのが少し恥ずかしくなり。
アリアは視線を逸らした。
午後。
議会見学が終わり、アリアたちは宿泊先へ戻った。
車の中では、政治的人質たちが今日見たものについて話している。
「思ったより普通だったな」
「でも、七か国が一緒に政治してるのはすごい」
「俺たちの国でもできるかな」
アリアは、その会話を聞きながら窓の外を見る。
連邦議会の建物が、少しずつ遠ざかっていく。
数か月前。
ここへ来た時。
アリアは、ただ生きて帰ることだけを考えていた。
今は違う。
帰りたい。
その気持ちは変わらない。
だが。
帰る前に。
もっと知りたい。
この国が。
どうやって戦争から立ち直ったのか。
どうして七か国が一緒に政治をしているのか。
そして。
なぜか。
ヴィクターのことが。
気になっていた。
理由は。
まだ分からない。
「……また、来たい」
思わず口にした。
「議会に?」
隣の政治的人質が聞く。
アリアは少し黙った。
「……そうね」
そう答えた。




